昔のコラム平和は手ごわい

八月になるとよく「平和を守ろう」 という言葉を耳にするようになる。 だがこの数年、私はそれより、「平 和を育てる」「平和と戦う」ことの 方が先かもしれないと、やや物騒な ことを考えている。
戦時中、軍国少女だったらしい私 の母はその反動で戦後は八十五歳の 今まで一貫して戦争反対の立場をつ らぬいている。それはいいが、幼い 私が暑いの寒いの食べたくないのと 文句を言うと彼女は必ず「戦争に反 対して監獄に入ったらこんなもので はない」と言い聞かせて、私にがま んさせた。あまり軍国少女だった頃 と変わってない気もするが、これは これでまあよかったと思っている。
ただ、この発想は下手をすると、 「戦争でないだけでも幸せ」「平和 なんだから贅沢をいうな」というこ とにもなりかねなくて、それはちが うと思うのである。頭の上から爆弾 が降ってきて、赤ん坊にやるミルク もないという悩みと、子どもが援助 交際にはまってパンティを売ってる かもしれないという悩みは、どちら が軽いなんて言えない。どちらも同 じように全力で真剣に向き合わなけ ればならないことだ。
平和って、時に戦争以上に手強い。 油断すると人をむしばみ、腐らせ、 疲れはてさせる。「平和に感謝し、 毎日をがんばろう」もいいが、「お たがいよく、こんな大変な平和な時 代を生きていますな」と互いにねぎ らいあうことだって時には大切なの ではあるまいか。でないと私たち皆、 平和の毒にしてやられ、結局それに 勝つために、戦争の手を借りなくて はならなくなってしまいかねない。

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カツジ猫