昔のコラムこだまのように

今から四十年ほど前、私は九州大 学の学生で、友人と名島に家を借り ていた。(水道はなく、トイレと井 戸が戸外にある古い家だった。)
ある夜、ものすごい音がして、 てっきりすぐそばの道で車が衝突し たと思って二人で外に飛び出した。 だが何もなく、しばらくあたりを見 て回ってから狐につままれた思いで 私たちは家に入った。
小高い山が私たちの家と大学の間 にあった。それがなければ私たちの 目にも、いつも大学のキャンパスの 上をつんざくような音をたててベト ナムの戦場へ飛んでいた米軍の戦闘 機が、大学の(近くには放射性物質 を使った研究所もあった)計算機セ ンターに墜落し、夜空を焦がして燃 え上がる炎が見えたはずだった。
大学の近くにいた学生は私たちと は比較にならぬ轟音を聞き、すぐに 現場にかけつけた。しかし警察や米 軍が警戒していて門から入れず「私 たちの大学なのに」と怒った学生の 中には塀や柵を乗り越えて中に入り、 建物や機体を見た者もいた。
まもなく、車椅子の学長を先頭に、 板付基地への抗議の長いデモが行わ れた。その後の連日のデモには、ハ イヒールをはいた女子学生も何キロ もの道を歩いて参加しつづけた。危 険な施設が近くにあったことから、 プラカードの中には「死にそこなっ た皆さん、いっしょに立ち上がろう」 と書かれたものもあった。
今、沖縄の米軍ヘリ墜落事件の報 道を見るたび、私と同じようにあの 時のことを思い出している当時の学 生が多いだろうな、と思う。センター 試験の英語のヒヤリングが聞き取れ ないのでは、と問題になっているよ うに、板付からの旅客機はまだ九大 上空を飛んでいるが。

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カツジ猫