昔のコラム消えて行く地名
江戸時代の紀行を翻刻紹介する時、 「これは今のどこどこ」と地名に注 をつける。ところがそうやって旅人 の足跡を追って行くと、ある地域に 入ったとたん、突然ばったり現在の 地名がわからなくなって、臭跡を失 った警察犬のようにうろたえること がある。次第に気がついたが、そう いう地域では昔の地名が軒なみ変わ って、「駅前何丁目」「空港通り」 あるいはカタカナ横文字風の名前に なっているのだった。
何で?と自分の仕事の都合だけか ら勝手に恨めしく思っていたが、最 近私の住む地域でも地名改正の話が 起こり、たとえば私が素敵だなあと 思う「土穴」などという地名は住む 方々は恥ずかしがっておられて「駅 前何々」とかにしてほしいと思って おられるらしかった。
クリエイトだのリバティだのと新 しげな名前がいい、という感覚もそ れなりに、過去のことなんかふみに じって未来に生きましょう、という 元気があるようで、私はそう嫌いで はない。「赤毛のアン」で有名なプ リンス・エドワード島も、先住民の つけたアベゲイトという「美しい名 前」だったのが、こんな味気ない名 に変えられた、と作者モンゴメリが 小説の中で嘆いていて、昔からどこ でもこういうことはあったのだろう。
ただ、自分の仕事の上での不便さ はさておくとしても、江戸時代の旅 人が自分たちの町を通った紀行を読 んで馴染の地名を発見し、胸のとき めく思いをする喜びを、自分の子孫 や以後その土地に住む人から奪って いっているのだなあ、ということは、 やっぱりとても気になるのである。