昔のコラムぼうっとしている時ほどが
今思えばのんきな時代だったが、 遠くに資料の調査に行く時、夜行列 車をよく利用した。しかも移動の間 に論文の下書きをしたり調査の下調 べをしたりして、列車の中ではいつ も本を読んだりメモをとったりして いた。
こっちは気がつかなかったが、若 い娘が一人でそうして夜行列車に乗 ってること自体、当時は珍しかった かして、必ずと言っていいほど隣り や向かいの席の客から話しかけられ た。そういう列車の客は、お酒とつ まみを持って乗ってるような男性が ほとんどで、暇をつぶすのに苦労し ているのだから、無理はないが。
それでも、こっちが必死になって 本を読んだり、メモをとったりして いる時はさすがに鬼気せまるのか、 声はかけない。ふと、手を休め、目 をあげて、考えにふけったとたん、 必ずと言っていいほど声がかかった。 「何の本?」「せいが出ますね」
まったく無理のないことだ。しか しこんなに弱ることはなかった。同 じことならまだ、読んでいる最中か 書いている最中に話しかけてもらっ た方がいっそましなぐらいだった。 そうやって、手や目をとめて宙を見 てぼんやりしている時ほどが、考え をまとめ、感じたことをなんとか言 葉にしようとしている、最高に集中 を要する瞬間だったのだから。
学問の効率化が言われる。長く論 文を書かないでいるとさぼっている とみなされるらしい。しかし、のべ つまくなし目に見える仕事をしてい るような人間の仕事にはろくなもの がないということを研究者なら多分 皆、実感として知っている。放心、 空白、怠惰なしには、良質の成果は この分野では決して上がらない。