福岡教育大学物語16-学長から副学長へ

前回の最後に現学長の櫻井先生と前学長の寺尾先生を、ほとんどいっしょくたにして書いたが、そんなにひとまとめにしていいのか、だいたい、お二人の関係はどうなっているのかということを少し書いておこう。

寺尾先生は、最初の任期四年が終わったところの学長選挙で、例の123対88の結果を無視して、自分がまた学長になった(しつこいが、これで法律は違反してない。こんなことができるようになったのは、寺尾先生のせいではなく、このように法律を変えた政府と、それをとめなかったマスコミと国民の責任以下略)。

再選されたら任期は二年。で、また学長選挙が来た。
この時は外部からの立候補者もあった。もちろん学内の先生たちが推薦した候補者で、大変立派な人だったようだ。教職員の投票はもうそれ自体、規則が変えられてなくなっていたから、また学長選考会議が決めたが、寺尾学長の意向を汲みがちなこの会議も、それまでの二年間にまたいろいろあったりして、けっこう学長に疑問を持つ人も出て来ていたようで(まあ、それはまともな会議である以上、寺尾先生が学長でなくても、当然あり得ること、なかったら恐いこと、それじゃ今の自民党と同じ以下略)、そうすんなりとは行かなかったようだが、結局は寺尾先生の方針を継続する人の方がいいということで、櫻井先生が選ばれた。

そこまでは、まあ好みはいろいろあるにしても一応予想の範疇だ。だが、組合の中心メンバーだけでなく、多分全部の先生が唖然としたのじゃないかと思うのは、任期満了して退職金ももらって退任した(多分花束とか記念品とかももらったんじゃないのかなあ)寺尾先生が、そのまま翌日の4月1日から、副学長や顧問などの肩書で、学内行政の中枢に残り、学長室の隣に新しく副学長室を作って、そこに入られたことだ。こんな例って、世間の官公庁や一般企業でどれだけ普通にあるのか知らないが、大学では聞いたことがない。

寺尾先生が学長時代にやったりやらなかったりしたことで、批判されていることは多いのだが(詳しくはこちらや、こちらをごらん下さい。安倍内閣と同様、問題が多すぎると調べる方も追求する方も聞く方も読む方も判断する方も疲れてしまって投げたくなるので、思いきりたくさん、こういうことをやる方が、批判をかわすにはいいのかとまで、つい思ってしまいますけど)、インパクトとして記憶に残りやすく、批判する人たちを激怒させているのは、この「123対88」と、「学長から副学長へ」の二つではないかと思う。

極端な言い方をすれば、もっと地味な失点、福教大を疲弊させ、危機に導いた問題は、まだ他にいろいろあって、そっちの方が重要だ。しかし、それはまあ別に寺尾先生でなくても他の学長でも、上に立つ以上、誰だってあり得るし、やってもしょうがないミスだ。
安倍首相の諸政策が意見のちがいなどを超えて異次元に問題なのは、彼が記録の改ざん、解答拒否、手続きの無視など、ルールそのものを破壊し、民主主義と議会政治を崩壊させていることにある。それと同様に、寺尾先生のこの二つの決定は、異常で露骨で禁じ手だ。法律的に認められるかどうかではなく、というか、法律が許すことでも、社会や共同体が責任を持って法律を補完し、許してはならないことだ。そこまで法律に責任をおっかぶせてはいけない。まともな人間だったら、法律がどうでも守ったり守らせたりしなくてはならないことは、いくらでもある。

私は寺尾先生も櫻井先生も存じ上げている。いっしょに仕事もしたし、今でも会えばお話もする。昔も今も私はお二人がそんなにおかしな人だとは、どんな点でも思わない。はっきり言って、ちょっと話しただけでも、この人たいがいおかしいなと思える人は学内外にいくらでもいた。やたら自慢をする、野心がみえみえ、大言壮語ばかり、人の話をまるで聞いてない、ちゃらちゃら人を持ち上げる、回りが見えずに一言二言三言いらんことを口走る、明らかにただの怠け者、明らかに無責任、人に頼る甘えるじゃれつく、上っ面だけで人を評価して決めつける、説明しても話がまったくのみ込めない、早とちり、自意識過剰、その他もろもろ、大抵は会って数分ですぐわかる。
寺尾先生と櫻井先生には、そんなところはどちらもまったくおありではなかった。そりゃもっと深くつきあえば、いろんな面はまた見えるかもしれないが、それは誰でも同じことだ。

だからこそ、どう考えても、寺尾先生がとった、あの二つの行動の意味が私にはわからない。
私はよく、「3月の顔」ということを、しゃべったり書いたりした。3月というのは就職昇任移動合格不合格その他もろもろの結果が決まり、皆が一喜一憂するときだ。人の卑劣さ冷酷さ傲慢さ弱さ気高さ優しさ誇り高さが、とてもはっきり、あらわにされることが多い。「5月に優しいのも8月に強いのも、まだわりと簡単だが、3月に優しい人は本当に優しく、3月に強い人は本当に強い」と、私は人にも自分にもくり返して来た。
組合の先生から「生々しい醜い資料だが、正規の手続きで、費用も出して入手したから、公開してくれてかまわない(すでにあちこちで公開している)」と言って、寺尾学長が任期の最終日の3月31日に決済した、ご自分でご自分を顧問にする人事異動の書面を見せてもらった。あわただしい中で書かれたようで、手書きの訂正もあるその書類を見て、私は言うべきことばがない。寺尾先生にとって、それは、どういう3月だったのだろう。

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カツジ猫