福岡教育大学物語60-留学生の消えた町
先日また、市民と教育大の先生たちとの話し合いを持ったのですが、特別支援学校のこと、教員免許のこと、いろんな話題が多すぎて、大学でやること、市民がすること、仕分けをするのに、いろいろ工夫が必要と皆で話しました。
これは私が個人的に感じているだけのことかもしれませんが、聞いていると、純粋にちょっともうそれ早くどうかしてくれ、恐いやんみたいな感じのこともあり、本当に大学当局の意見を聞いてみたくなることが多すぎます。
市民の会で学長と話す機会が持てないかと言ってみたら、皆が、あなたが申し入れ書の文案を書いてくれと言うので、頭をひねっていましたが、めんどうになって、私個人で櫻井学長や寺尾先生と話してみたくなりました。そっちの方が簡単そう。
でも、無理だろうなあ。お二人をよく存じ上げてるわけじゃないから、ぜーんぶ忖度の推測ですが、多分寺尾先生はもう辞めてかなりになるから、忘れてしまいたくていらっしゃるかもしれないし、櫻井先生だって、もうすぐ11月には学長選挙で、任期も終わられるはずだから、今さら何か説明したりするお気持ちにはなれないだろうし。
これも私のまったくの印象ですが、櫻井学長は、よかれあしかれ、あまり欲のない方じゃないかという気がするのです。んなこと言うと組合の先生方からは、ロッテの応援団どころじゃない、ものすごいブーイングが来そうですが。教育大をものすごく大きく立派にしようとか野望を抱くよりは、つつましく現状を維持して行ければという感じなのかなと。たとえば安倍首相が台風被害もそっちのけで、今後の目標は改憲とか口走るような、こだわりや執着はお持ちじゃないのじゃないかなと。
それは、いいことでもあるのですが、今はそれが裏目に出てるのかもしれない。
予測の上に予測を重ねる、論文なんかじゃやっちゃいけないことですが、まあ一般論として話すとですね、何か野望や信念がある人は、それを押し通すために、今の安倍首相がいい例ですが、あらゆるルール違反をして、独裁者まがいのことをし続けてでも、自分の目的を達しようとする。
まあ、もっと細かく言うと、安倍首相はそれもやっちゃいませんけどね。真に改憲を望むなら私はあの人の就任時から十回や二十回は言ってる気がするけど、なぜ改憲したいか、必死に誠実に説明しまくりますよ。それを一回もしないで、脅かしとかごまかしとかしかしないんだから、あれを執念とか悲願とか言うたら、執念と悲願が怒って化けて出て来ますがな。
オバマ大統領がオバマケアを必死になって成立させたように、婦人参政権を求めた女性が自殺して抗議したように、何かを必死にやろうとしたら、それなりのことを人はするものです、いいことも悪いことも。人や場合によって、それぞれちがっても。
学長が、大学のあり方や自分の構想のために必死になったら、ひどいこともするかもしれないけど、一方で、嫌いな人とも手を組むとか、いやなことでも我慢するとか、そういうこともせざるを得ないと思うのです。
少ない資料で勝手に失礼な分析をすると、櫻井学長のなさっていることに、そういう執念や首尾一貫した統一性や悪意が感じられない。組合のチラシによれば、「不当労働行為」の招いた混乱について、組合ではなく教職員相手になら謝罪してもいいというお考えもあるらしい。でも一方で理事さんの中にはすごく謝罪などもってのほかという感じの方もおられるように見える。
学長だけではないのですけど、教育大の今の支配体制?は、いろんなことが、むぞうさで、練れていなくて、先を見据えて周辺を監視するといった風じゃない。「合意形成ができていませんね」と、ある方がしみじみ評されましたが、それは一般の教職員と役員の間だけじゃなく、トップの内部でも十分じゃないんじゃないかと思ってしまう。
これは、くれぐれも櫻井学長がそうだという話ではなくて、ほんとに一般論なのですが、野望や執念のない人は、逆に感情的に反発したりしてしまいやすい。
かつての私も、役職についていたころ、あまり野望も目標もなかった分、不愉快な発言や対応をする人に、すごく反感を持ちました。
自分の管理下の、全教職員、学生のためを思って愛するということだけで、私はその怒りや憎しみを消していました。
もし、もっと権力欲や名誉欲があったら、どんな憎たらしいことを言う相手でも、利用価値があると思えば腹は立たなかったでしょう。
櫻井学長に限りませんが、教育大の責任ある立場にあるすべての人は、自分の感情を抑えるだけの、夢や希望や野望がないのなら、なおのこと、敵対する立場の人に感情的にならないで、ものごとを判断してほしいし、正しい意味で、計算高くなってほしいと思います。
また脱線してしまいましたが、その市民との話し合いの中で、私が気になったのは、教育大に来ている外国(アジア、欧米各国)からの留学生数が激減しているという事実です。
聞き間違いじゃないと思うのですが、以前は100名を超えていたのが、今は6名になっているとか。
理由は「カリキュラムが魅力なくなって、学ぶことがない」からだそうです。
私がいたころは、中国、アメリカ、オーストラリアにそれぞれ提携している姉妹校みたいなのがあり、そこと毎年留学生を行き来させていました。
私は外国語などまったくだめですから、その方面への関わりはありませんが、留学生担当の全学でたった三人の先生は、それこそ粉骨砕身の苦労をしておられたし、受け入れる先生方もそれぞれボランティアにも近いサービスをされていました。
「昔は、市内のどこの店に行っても、留学生がバイトしていておちおち酒も飲めなかったけど、最近ではそんなこともまったくない」という、この状況がどうして生まれたのか、私にはわかりません。
ただ、いろんな点で宗像市にとっても、これは経済的にも文化的にも大きな痛手でもあるのではないでしょうか。アパートを借りたり買い物をしたりする留学生は多かったし、いろんなイベントその他でも、彼らの協力は大きかったはずです。
大学院の指導も留学生の指導も、教職員にはたしかに大きな負担でしたから、大学院廃止や留学生の減少には、その軽減をめざした計画という側面も、もしかしたらあるのでしょうか(ちがうと思うけど)。
何ひとつ詳しいことはわかりませんが、まあ私にわからないのはかまわないのですが、学内での現状の把握と分析は、どの程度行われているのか、気になってなりません。