福岡教育大学物語19-悪役の効用
これは、それこそ禁じ手かもしれないが、寺尾先生が櫻井先生を新学長として支え、学内に一定の秩序や融和を取り戻して、自分の方針を継続する櫻井体制を確立しようとするのなら、むしろ自分を悪役として、櫻井先生をカッコよく見せる方がきっと有効だった。少なくとも私が寺尾先生ならそうする。他に方法を見つけられない。
どうせ妄想ですからお許し下さい。私だったら櫻井先生にこう言います。
「私はこの六年間、できることはして来ました。玄関に日の丸は立てたし、学長が何でも決められるように規則も変えました。他にもいろんな成果をあげました。この方向は守って行ってほしい。しかし、組合をはじめとした学内の反発も強い。特に有能な人材が執行部に協力しない。したくても周囲の目があってできない。これを何とかしないと、方針や政策の決定で、まちがいを犯さず効果的な将来計画を作って行くのは困難です」
「だから、私の方針を引き継ぎつつ、反対派ともできるだけ協力して、その力を体制内にとりこんでほしい。そのためには、私が退職した今がチャンスです。人心を一新するというイメージが作りやすい。まず、私とはちがう、ということをアピールして下さい。つまらないことでいいですから、私との差を強調して下さい」
「過去のことを批判されたら、全部、私が悪かったことにして、私に罪を着せて下さい。実際には何も変えなくていいから、私と同じことはしないという姿勢を見せて下さい。私との距離が大きければ、反対派も先生を容認し、支持するようになるはずです」
「もちろん、迷うことや困ったことは何でも相談して下さい。いくらでも情報も智慧も差し上げます。しかし、困ったらとにかく、私を悪者にして下さい。そうすれば、よくよくの敵意を持っている人以外は、協力してくれるはずです。
先生がどうしても必要と思えば、日の丸も下ろしていいし、規則ももとに戻していいです。私に悪いとか思わないで、先生の判断でやって下さい。しかし、どうするべきかわからないときには、相談して下さい。意見を述べます。しかし、それに従わなくても、まったくかまいません」
この方がずっと簡単だったのじゃないでしょうか。なぜそうしなかったのか、わからない。
ご自分が批判され、否定されるのを避けたかったのでしょうか。でも、滝沢馬琴でもリチャード三世でも、大きな力を持った人ほど、次の時代には否定され、けちょんけちょんに言われるものです。それはむしろ、何かをした証でもある。
その点、櫻井先生は任期の間ずっと、ご自分の方針や信念を試す機会を、多分ほとんど持てなかった。あの状況、あの図式ではどうしたって、持てる要素がありません。寺尾さんには逆らえない。反対派には最初から寺尾さんと同一視される。動きようがないでしょう。ひたすらに沈黙し、解答をさけ、質問状は突き返し、という以外の選択肢があったでしょうか。「何もしない、考えないまま、任期の終わるのを待って、退職金持って逃げる気だろう。そしてまた、自分と同じようなイエスマンを次の学長に指名するのだろう」と怒っている人もいますが、私はある意味、櫻井学長は、こんなかたちのお仕事によくがんばられたとさえ感じています。
次の学長がどなたになるにしても、寺尾先生も櫻井先生も、反対派への警戒や責任感からサポートされたりしないで、せめて陰で支えて、ぜひ、その方のやり方にまかせてほしい。反対派や組合も必要以上に先入観や敵意は持たず、前任者の操り人形としてではなく、あくまでその人個人として、虚心に向き合ってほしい。もうあまりにもごちゃごちゃになっている学内を、何とか少しずつ片づけて行くには、最低でもそれが必要だと思います。