福岡教育大学物語34-もう何か、笑うっきゃない

私が初めてお金をもらう教師として教壇に立ったのは(つまり、教育実習では教えていたから)、大学院生のときにある看護学校で始めたバイトだ。こういう学校では文学の授業というのが必須科目になっていて、外国文学でも何でもよかったから、私は「シートン動物記」などを教えていた。受講生は多分三十人か五十人ぐらいの若い女性たちで、あまり年のちがわない私を先生としてきちんと扱ってくれた。

それは新設されたばかりの学校で、責任者の事務長は、小柄なほっそりした女性で、婦長さんか何かだったようだ。私よりずっと年上のこの方もまた、私を大先生のように礼儀正しく遇してくれた。私はそれが照れくさく、特に授業が終わって帰るとき、講師控室から玄関に出て行くと、この方が必ずうやうやしく頭を下げて見送って下さるのが申し訳なくて、こそっと気づかれずに帰ろうとするのだが、そうするとあちらも意地になられるわけでもあるまいが、絶対どこからともなく現れて、ご苦労さまでございましたと深々と頭を下げられるので、毎回私たちは、その攻防をくり返していた。

私は恐縮するとともに、その方の常に落ちついてきびきびとした立ち居振る舞いにあこがれた。尊敬したり愛したりする人をおちょくる私の悪い癖で、よく友人たちに、「その人多分婦長さんか何かだと思うんだけど、きっともう不治の病の人がげっそりやつれて、どこからどう見ても明日は死ぬだろうという時でも、面と向かってびくともしないで、にこやかに『お顔の色がよろしいですね。きっともうすぐ退院できますよ』と言いそうな人よ。それで病人も、『そうかな』と思って、つい回復してしまいそうなぐらい、確信にみちた態度で言い切っちゃいそうなんだから」と説明していた。

キャラがちがいすぎる私に、その方の真似ができるわけもないが、それでも私は、その方の態度や雰囲気に学ぶところが多かったので、教師としても、たとえばとても卒論になりそうにない資料を持って締め切り数日前にかけこんで来る学生にも、「そうね、ここをこうして、もう少し、この部分をふやして」と、教科書によく載っている小説「しらかば」のアリョーシャのお母さんのように、「大丈夫よ」オーラを放ちながら、何とか地上に無事に降りられるようにすることを心がけていた。

でもって、わが愛する福岡教育大学の話である。
いろんな人に愚痴も聞いたし、混乱が続いているという話も知っていたが、まあ一応大学の運営は続いているわけだし、学長や副学長、組合のメンバーも半分以上は顔見知りのこともあって、少々ひどいことがあっても、それほどのことはあるまいと何となく考えていた。

しかし、ここ数日、いろんな事実を聞けば聞くほど、いったいどうしてそうなるのだと、唖然とすると同時に、もうこれって、いったいどこからどうしたらいいのさと、言い方が超失礼なのは承知だが、汚部屋と言われる散らかりつくした部屋の中で、立ちつくしてしまうしかない心境になる。「はは、大したことないですよ、このくらい。どこの大学でもよくあることですよ」とか、あの婦長さんのような顔と口調で言えたらさぞよかろうが、やっぱり私には向かない役柄だなあ。しみじみ思う。

この十数年で、親戚や田舎の家の膨大な荷物を何とか片づけた私に、このくらいの状況の整理はできないこともあるまいと開き直って、手をつけて、ぼちぼち話して行ってみるが、まず、雑然と、いろんなことを並べてみる。

先日また、大学と団体交渉をしたと言うので、組合役員の教授を「おまえ」と呼んでいた理事さんは、どうだったのか聞いてみた。
「今回は『おまえ』呼ばわりはなかったですね」
「それはよかったじゃないですか」
「でもそれだけで、あいかわらず、最後は怒鳴り合いでしたよ」
「その人以外の理事さんとかは、とめたりはしないんですか」
「笑っておられるだけですね」
「それは、ちょっといろいろ、よそに知れたら、まずいんじゃないですか」
「そう言えば、『この交渉の内容を外部に漏らしているだろう』と何度も言っておられましたね」
「え、それも、脅迫と取られたら不当労働行為でまずいんでは」
いや、私がいちいち、大学執行部の皆さんの心配してもしょうがないんですけど。
それにしても、組合の先生たちもほんと、優しいですねえ。(手ぬるいとも言う。)

もっと、ずっこけたのは、次の話。詳しい流れは聞かなかったけど、北海道大学の学長がハラスメントで処分されたりしていることもあってなのか、学長がそういうことをした時の対処が話題になったそうです。そうしたら大学側の解答は(あまりにショックだから改行しちゃう)、
「学長がそんなことをするわけはないから、学長がパワハラやセクハラをした疑いがある際の調査や検討や処分をする組織とか委員会とかは作っていないし、今後も作る予定はない」
ということだそうで。正確な文言じゃないので、また確認してから書きますが、大筋はこの通りです。

いやもう、コメントに困る。「キャッチ22」や「ふしぎの国のアリス」や昔のローマの法律かなんかで、「処女は死刑にできない」というのがあったので、処女はレイプしてから殺してたとか、ヨーロッパの古い裁判で、容疑者を川に投げこんで溺れ死んだら無実、浮かんで生き延びたら有罪で死刑だったとか、そういう、しょーもないヘビがしっぽを呑み込んで最後どうなるかっていうような理屈を次々思い出してだなあ。私は胸が悪くなった。

さらにとどめは、別の人から聞いた話。これもまた詳しく話しますが、学生の卒業論文に指導教官として名のあがった教員が、のちに論文として発表したとき、共同研究者として名を連ねて自分の業績としてカウントすることが、わりとちょくちょくあるらしい。
「え、それ、以前誰かが学内でそういうことして、処罰されたんじゃなかったっけ」と聞いたら、「それはそれ、これはこれ」みたいな話でダブルブッキングじゃなかったダブルスコアじゃなかったダブルミーニングじゃなかったダブルスタンダードっぽいけど、どうなのよ。これもまたいずれ詳しく。

それもまあいいんですけどね、いろんな事情や場合があるんだろうし。「ただ心配なのは、昇任や採用の人事のときに、そういう、ちょっと問題になりそうな論文を業績としてカウントするときのチェックがどうなってるかなんですよね」と、その人が言うので、「そりゃ教授会でも、そもそもその前の審査委員会でも議論されるだろ」と言ったら、「今は講座もなくなったし、専門の先生が審査するとも限らず、学長の指名した人が委員になって業績審査をしますから、たしかなことは何とも」。えええええ。
これがどんなにとんでもないことか、大学の教員なら電光石火で理解するでしょうが、一般の方のために、またあらためて詳しく説明はします。説明はしますが、もうあまりのことに、耳を疑い、舌がしびれて、指も動かなくなりそうよ私は。

たしか、懲罰委員会も学長の指名した人だけで、いわば密室で有罪無罪が決まって処分が決定されるんじゃなかったっけ。そして業績審査による昇任も採用も、学長が指名した人だけで決められるって、嘘でしょう。
私が呆然としていたら、相手は鼻で笑って、「そんなので驚いてちゃどうしようもないですよ。期末手当(ボーナス)や特別手当だって、どこかで勝手に決められて、誰に行ってるかわからないし」だと。「業績審査の委員だって、学長指名だから、同じような人ばかりでぐるぐる回ってますよ」だそうで。

すみません、これが嘘ならどなたか指摘して。嘘であってほしいから。外部に知られちゃ困ることなんだったら、それも教えて下さいな。私がずぼらで調べないだけで、大学の規程に全部書いてあるはずのことですけどね。各種委員の選び方も、委員会の構成も。別に機密じゃないでしょう。

あ、でも念のために、団体交渉については、こちらもリンクしておきます。「交渉の内容を組合がインターネットで全部公開してるので、会社の仕事にマイナスになるけど、やめるよう申し入れたらいけないか」という会社側の質問に対し、「名誉毀損や虚偽でない限り、そんなこと申し入れたら、法律違反の不当労働行為になる」という解答です。まあ、インターネットがいつも正しいわけじゃないとは、私も学生たちによく言いますが、他の記事を見ても、友人知人に聞いても、だいたいはこれが常識のようなので、あまり「外部にもらしたな」という言い方はされない方が無難なのではないでしょうか。

まあこういうこと、気にされない理事さんなのでしょうね。私は何となく、たたき上げの会社の社長さんみたいな無邪気なおじさんをイメージしていて、組合の先生に、「悪い人じゃないんだろうから、文部科学省から来た事務局長かどなたかに注意してもらったら」と言ったら、相手はこれまた哀れむように私を見て、「その人、文科省出身の人ですよ」と。
もうね、「蟹工船」で最後に労働者たちが、軍艦が来たのを見て、正義の味方と喜んでたら、逆だったってラストを連想してしまうじゃないのさ。

学長はじめ執行部の方々、組合や、その他の教職員の皆さん、そして学生たち、などの、現にこの大学の中でがんばったり疲れたりしておられる方に、私がこんなこと言うのは本当にいかんですが、しかし、このいろいろな状況を知れば知るほど、もう知るかとかもう知らんとか、言いませんけど、第一私が言ったって、誰も何ともないでしょうけど、しかしまあ、本当に、どうすればいいものやら。
うるさい、放っとけと言われてもねえ…すでに言われてそうですが。
まあ、もうちょっと考えてみます。

Twitter Facebook
カツジ猫