福岡教育大学物語13-先頭に立つとは

何度も言うが、私は定年退職後、週に一回非常勤の授業に行く以外は教育大に寄りつかず、そこでいろんな先生から愚痴を聞くことはあっても、どんな状況なのかは、あまりつかめていなかった。

それでも、組合のニュースやフェイスブックなどで、寺尾さんと櫻井さんの二代の学長が、いろいろ問題があるらしいことは読んでいた。

しかし、それに対する組合や、学内の先生方、職員や学生の状況はどうなのか、そこはもう、ほとんどわからなかった。今もあまりわからない。

当然、愉快な状況でないことは見当がつく。学長選挙をピークとして、学内の教職員のさまざまな意見が、大学運営に反映されない。政府の機関が「不当労働行為」と認定した判決が、大学側からは明確に周知徹底されず、それに対する見解もコメントも出されない。一方的に予算は削られ、美術関係の授業はモデルを雇えないで閉鎖され、これは新聞でも報道された。学生にとって不利なカリキュラム改定(複数の教員免許が取得できなくなった)が行われ、特別支援学校の設置も、さまざまな不安や疑問を無視したままに進められる。教員の懲罰処分は大学執行部のみの密室協議で決定される。組織の改編も充分な説明や討論のないまま決められる。役職者の公私混同もハラスメント事件も取り沙汰される。教授会も長過ぎると一方的に打ち切られ、充分な審議ができない。役職者のほぼすべてが、学長の指名で決定される。

どう考えても何かとストレスがたまりそうだ。
今もそうかは知らないが、以前に聞いたところでは、教授会で提案される学長や執行部の提案は、かなりの多数で皆否決されるらしい。すでに教授会の決定は、どんな拘束力も持たないらしいから、いくら否決しても何の効力もないのだが、それでも大差の否決がくり返されていたらしくて、大勢の先生方が、学長の方針を認めてなかったことがわかる。
実際にいろんな場所で行きずりに私と立ち話をする先生方も、学長を支持し大学の現状に満足し希望を持っているような人は多分一人もいなかった。

その一方で、組合の中心になって学長や執行部と対決している先生方(いつも同じメンバーではなく、引き継がれたり移り変わったりもあるが、私の知る限りでも十名以上の先生方が積極的、精力的に、文書や発言で大学への抗議を続けておられた。実際にはもっと多かっただろう。これは他の大学と比べても、決して少ない数ではない。組合活動がそれなりに根づいていた伝統、学長のさまざまな変革の過激さ、などが、そういう結果となっていたのだと思う)に対する批判や不満もしばしば耳にした。そんな批判をする人たちも、学長のやっていることが乱暴だ、問題だ、という点では一致していた。いわば、それはもう前提で、自明の理だが、それにしても、組合の中心メンバーのやることには、ついて行けない、というニュアンスの不満だった。

私はそれが、どのくらい正当な不満だったか、あるいは自分がいっしょに戦う勇気がないのをごまかすための口実だったか、まったく判断できない。そんなことを判断するには私には知らないことが多すぎる。

安倍内閣のやっていることは認められないが、野党もだらしない、というマスメディアや世間の声についてなら、それは情報不足の不勉強の怠惰ゆえのまちがいであり、自分が声を上げず行動しない言い訳にすぎないと、はっきり言える。
学長が悪いのはわかっているが、さりとて組合もねえ、という言い方は、それとそっくりなのだが、だからと言って、中身まで同じかどうかはわからない。

一応、組合の中心となって戦っている人の何人かに私は、「もっと大勢の先生方が、いっしょに動いてくれるといいのだが、何かそういう方法はないのか」と尋ねるかたちで、その不満に対する解答を探ろうとした。その時に、その人たちが、ほぼ同じように答えたのは、「今のように大学側が激しい攻撃をかけて、私たちをいじめているのを目の当たりにしたら、他の先生方や若い先生は、恐くてとても立ち上がれないだろう。だから私たちが矢面に立って戦うしかない」という意味のことだった。

実際にそうやって、多くの犠牲を払って戦っている人たちに、それ以上何かを言える立場に私はないから、そうだねと言って納得するしかなかった。
ただ、どうしても口に出せなかった、脳天気すぎる感想を書いてしまうと、いや、他の人が見ていて、わあ自分もやってみたいと思うような戦いでないといけないんじゃないかと思ったし、恐くてついて来れないから皆がついて来ないと考えるのは、たとえ少々本当でも、やっぱり基本的には皆に失礼なことではないかと思った。
孤立することを恐れてはならないが、孤立する原因や理由を検証することも、恐れてはならないのではあるまいか。

だがそれは、本当に微妙で、難しい問題ではある。

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カツジ猫