福岡教育大学物語57-採用人事のアリの穴
今回の内容は特に、私の知っていること、わかっていることが少ないので、まちがいがあったら、どうか指摘し、補充して下さいね。
前にも書いたように私は定年退職後、教育大の非常勤に行って週一回顔を出していたが、そこでいろんな昔なじみに聞いた愚痴やぼやきを言っちゃ何だが、そんなに真剣に耳をかたむけていたわけではない。それでも次第に、あーこれまずいかもなーと思いつつ印象に残ってきたのが「教職大学院」ということばだった。
この連載の最初の方で「組織の改編」ということを書いたが、そこそこうまく行っている職場でも、この組織の新設や再編ということは、よっぽどよく考えて注意深くやらないと、めちゃくちゃ人間関係が悪くなる。そういうのって、なってみないとわからないものだから、けっこうのどかで快適だった職場では想像できず、そのままの状態が維持され継続されることは当然という感覚で、ことにあたると、まずこける。まったく同じメンバーでも、思いもよらなかった暗黒の修羅場が誕生したりすることなんか珍しくも何ともない。教育大は見たところ、そんなにひどくなっているようにも見えないのは、皆がそれなりに努力したのだろうと思う。
そんな状況になるのを防ぐには、いろんな工夫がいるのだろうが、少なくとも新しくできる場所を、文句も言えない若手やトシヨリや弱者の掃き溜め、吹きだまりには絶対しない方がよくて、できたら組織再編にあたる人自身が行きたくなるような場所にすべきだと私は考えたし、言ってもきた。
もっと一般的に言うなら、その組織の改編で一番ひどいことになりそうな場所に、作った本人が率先して行くようにしないといけないと思った。
ところが教職大学院というのは、どうもどうやって出来たのか、私がいいかげんに聞いていたせいもあるのだが、よくわからない。皆の言っていたことでも、「またいつものように学内の意見を聞かないで上が勝手に作って」、というニュアンスだったのだが、そうは言っても誰か創設に携わった人もいるのはいるのだろう(じゃあるまいか)。でも、どちらにしても、例によって、学内で十分に討論し検討して、皆が納得して作ったという状態にはほど遠かったようだ。
ただ、だからと言って、そこがいわゆる、誰も行きたくない得体の知れない新しい場所なのかというと、そういう面だけでもなく、というか、そうなりそうでも、それこそ上からの方針で作られた要素が大きければ、それなりに大学当局の方は力を入れるだろうから条件のいい場所にもなりかねなくて、今までにない奇妙な要素がいろいろある場所になっていたようでもある。
ちなみに、今回の大学院の廃止(あと一回は募集を行う)は、従来あった普通の大学院で、教職大学院はそのまま残る。だが、これは従来の大学院とはまったくちがう性質のもので、いわゆる専門分野を学ぶことはほぼ無理だし、目的も内容も別物と言っていい。
多分、思い出す人も多いと思うが、少し(いや、かなりかな)前に、法学部の大学院とはちがう法科大学院というのが全国にできた。いわゆる専門的な学問よりも実際に司法試験に通って法律関係の仕事に早くつけるような人材を養成しようというような感じのところではなかったかと思うのだが、あまり成功しているようではない。
教職大学院って何となく、それの教育学部版みたいな感じがして、私は内心それほど明るい展望が持てなかった。しかし私の勘なんかあてにはならないし、法科大学院同様、時代の要請もあるんだろうなと思ったから、特に感想を言ったことはない。
今回の大学院廃止に関して資料も見せてもらったが、いわゆる専門的な学問ではなく、もっと学校経営や学級運営などの実践的な方向に力を入れた内容の教育をするのかなとは感じる。
それは、大学をより実用的に使い倒そうとする政府の方針と一致するのかとも漠然と思ったが、組合の先生の一人が説明してくれたところによると、ことはそう単純ではなく、政府だって文科省だって、専門的な教育は重視しており、教職大学院だけでやって行けるなどという姿勢は政府の意向と一致するものでさえないと言う。そうかもしれないが、そのへんになると、もう私にはわからない。
わかっているのは、その後また学内で聞いた愚痴やぼやきの中に、「教職大学院の人事がすごく怪しいかたちで、いいかげんに行われている」というのが増えたことだった。
それは多分、やむを得ないところもあるだろう。つまり、教授会の議を十分に経ることもなく、上からの方針を中心に作られているから、どんな組織か皆あまり知らないし、人員を採用する手続きも従来のやり方では出来ないし、本来なら学内の中心メンバーであるべき人たちの多くが程度の多少はあれ、批判的で傍観的だから、積極的に関わらない。もしくは大学当局としては批判的な人に加わってぶちこわされたら大変だから関わらせたくない。
そんなこんなで、「口を出したら認めたことになる」「口を出されたらややこしくなる」などなど、いろんな思惑が交錯した結果、一種のブラックホールができて、それまでの手続きによらない採用人事が可能になったのじゃないだろうか。
言い方はすごく悪いが、そうやってこそこそと教職大学院の人員が確保され組織がスタートし、どこのチェックも受けなかった。少なくとも、それまでのような手続きはなかった。そうやって、作られていった教職大学院の初期のメンバーの苦労は、それなりに大きかったと思うが、そうやってかたちが出来て行くと、今度はそこに移籍する教員が必要になって来る。移籍と言っても人手は足りないのだから、これまでと同じ仕事をして、その上に教職大学院の授業が加わることになる。もちろん報酬はその分増える(んじゃないだろうか。よく知らないけど。)。
私が聞いていた学内の教職員の愚痴やぼやきは、その頃から怒りよりも嘆きのニュアンスが大きくなった。私も聞いていて、これはまずいなあつらいなあと感じ始めた。
それは私がこれまで何度もいろんな職場で味わって、見てきた、「組織の改編」にともなう人間関係の混乱とよく似ていた。行きたくない、行けば裏切りになる、誰かが犠牲になって行かなきゃいけない、そんな相反するいろんな要素が入り乱れる。これで職場が再生不可能なほど悪い雰囲気にならなければいいがと私は祈っていた。
実際はどうなったのか、よそから見ているだけではわからない。私がこれまで自分のこととして体験してきたものとちがって、「上の方針で作られた」「皆は了承していない」組織に加わることが、上に優遇されること、皆に裏切り者とみなされることという要素が、プラスマイナスどのように作用したかもわからない。
だが少なくとも、さまざまに迷ったあげく、教職大学院を担当することを決意して、そこに籍をおくことにした先生方への批判や悪口は、誰からも私は一度も聞いていない。それに近いニュアンスのことばさえ耳にしたことはない。
それは大きな救いだし、限りない希望も生む。
ただ、それは、教職大学院に携わることが、必ずしもプラスになることばかりではないという微妙で複雑な事情もある。それについては、次に給与に関しての話で触れる。
ここで言っておきたいのは、従来とてもきちんと行われていた採用や昇任の手続きが、ごく最近の講座の解体と新しい組織への全学の再編という大改編にともなって、私の見る限り、狂気の沙汰と断言してもいいほど完璧に崩壊、雲散霧消したのは、その前の教職大学院の創設から運営で培われていた、「従来の手続きに必ずしもよらないで、やってみたら何とかなった(そりゃ何でもやってみれば何とかなるでしょうよ)」実績が大きな(まちがった)自信となり先例となって作用したのではないかということだ。
それがなければ、いくら何でも、もうちょっと従来の手続きを残すような方策は、自然に普通に、大学当局も含めて、皆が考えたのではないか。前例らしきものもまったくなしに、それを一気に消し去るような勇気や発想は、なかなか生まれるものではない。
ほとんど資料も調査もないままの個人的見解による分析です。まちがっていたら、どうぞ教えて下さい。それで、この間の事情が少しでも追跡確認できればよいと思っています。