福岡教育大学物語64-学長選の準備

11月の学長選挙がどうなっているのか、候補者が誰か決まっているのか、わかりませんので、なかなか不用意なことが書けずに難しいのですが、ちょっとひとり言みたいに、思ってることをつぶやいておきます。

そもそも、教育大の今の状況が、かなりひどいのか、何とかなってるのか、前よりよくなってるのか、もっとひどくなりそうなのか、よそに比べてどうなのか、外部の私にわからないのは当然ですが、学生や職員の方々も含めた内部の皆さんも、よくわからないのじゃないかと思うのですね。ちがっていたらすみませんが。

理由は二つあって、ひとつは、法人化以前と比べて大きく変わった状況が、それなりに長く続いているので、それでも日は昇り時は過ぎるというのが実感としてあるということ。
もうひとつは、組織の大幅な改編が最近行われて、その新しい状況によって生まれる快不快を整理するまでに、まだなっていないこと。

極楽の蓮の上でも地獄の血の池の中でも、長くいたら慣れて来ますし、更にそこに蓮が枯れたり蜘蛛の糸がたれたり、いろんな変化が訪れたら、何を維持して何を排除するべきかは、ますますもってわからなくなる。

今の状態がベストでなくても、このままこわさずそっとしておけば(そして、それなりの努力もすれば)次第によくなってくるものか、それとも放っておけばおくほど、取り返しがつかなくなるものか。その見極めもつけにくい。

そのことをまず、いろんな立場や意見のちがいを超えて、皆が考え、話し合うことが、学長選を迎えるには、そして新しく選ばれた学長と接して行くには、何よりも緊急で重要なことのように思います。

もう、教職員全員の投票はありません。十数人のメンバーの学長選考会議(そのメンバーは今の学長が選びます)によって、誰を学長にするかが決められます。
どんな学長が選ばれるにせよ、その方が学内の教職員にどのくらい支持されているのかは、わからないままです。

それが腹立たしいと思う教職員も多いでしょうが、気楽だと思う人だっているでしょう。「自分が選んだわけじゃない」と思えば、どんな責任も取らなくていいし、協力もしなくていいわけですから。

正直、私はそのことが一番まずいだろうなと思っています。選挙の投票率が下がるのと似て。「紅旗征戎わが事にあらず」とか藤原定家みたようなこと言って、自分の好きなことだけやってるのは、すごくおいしい生き方に見える時もあるけれど、いや、おいしい生き方ですけれど、大学や国全体としては、決して望ましいことじゃない。上に立つ立場の人ほど、組織や共同体を守ろうとする人ほど、それは避けなくちゃいけない。絶対、国も組織も弱体化するんだから。

まじめな人はとにかく、普通の人なら、組織から協力や献身を要求されたら、引くし避けるし逃げます。大学教員だって聖人君子よりは普通の人が多いから、私はそこんところは期待しません。誰だって、というのが失礼なら、少なくとも私なら、藤原定家なみに「んなこた知らん」と言って、自分の趣味や仕事に没頭します。

学長なり大統領なりが、そこで構成員に何か無理をさせようと思ったら、「おまえは私を選んだじゃないか。この決定に賛成したじゃないか。責任をとれ」と言うしかありません。それが最大の武器です。選挙をなくし、投票をなくすということは、その武器を自分からなくすということじゃないんですかねえ。

あ、もちろん、代わりの武器として、金とか地位とか優遇とかはありますが、あのー、ささやかな体験から言わせてもらうと、そんなので買える人材や能力って、あまりあてにはなりません。第一、それ以上の条件や金が提示されれば、そういう人はすぐよそに行っちゃいます。それに、金や利益で釣るとなると、それなりのものを出さなければ、いいものは手に入らないわけで、安物買いの銭失いをしたくなければ、ものすごい額が必要になる。貧乏な大学や国がするこっちゃありません。どう考えても、絶対に。

きれいごとみたいですけど、良心や義務感で買いつけるのが、人材や能力って、一番安上がりで合理的なんですよ。

各方面に失礼なことを申しますが、私が今の教育大を見ていて、涙が出るほどもったいないのは、専門知識や事務能力や政治感覚、管理能力、その他、学長のブレインとなる頭脳集団にするのに最高に有能な人たちの多くが、大学当局を批判する側にいることです。それこそ何の報酬もなく、むしろ手弁当で犠牲を払いながら、大学や学長と戦っている。その高潔な精神とパワフルなエネルギーが大学当局を支持するかたちで結集したら、九州どころか全国規模で名を馳せる大学になるのも夢じゃないでしょうに。何という資源の無駄遣いかと、情けないったらないです。何でもう、こんなことになっちゃってるの。

こういった人たちをこき使うのに、お金も地位もいりません。民主的手続きを踏んで、「あなたたちが決めたことでしょう」と言えば、どんな仕事も押しつけられるのに。

そこまで立派で有能じゃない、私のような、すきがあったら藤原定家みたように好きなことだけして寝てようと思う人間でも、学長や大学の方針を決めるのに意見を聞かれ、発言を求められ、それを取り入れて運営がなされたら、そりゃーさすがに責任感じて、ちょっとは大学や学長のために自分の力を捧げますよ。多分、誰でもそうだと思う。

でもまあ、この前聞いた講演で講師が言ってた、「安倍首相はとにかく国民に投票に行ってほしくない。政治に関心を持たず、家で寝ていてほしいんです」というのが、もし本当なら日本の総理が、そこんとこわかってないわけですからね。ましてや教育大じゃ無理、と思うか、せめて教育大ぐらいは、と思うか、それはどちらもありでしょうけど。

私の書き方が無責任で無気力に見えるかもしれませんが、何のかのと言っても私は渦中にいるわけじゃない。ある意味、気楽な立場です。多分、一番苦労して、迷って、落ち着かない気持ちでおられる大学内の皆さまに、えらそうなことを言える分際じゃないですから、自然とこういう書き方になる。

それでも書くのは、前にも言いましたが、大学紛争時に学生だった経験からも、当事者だと本当に情報がなく、考える資料がないことが多いのです。あるいは限られた情報や考え方しか入って来ない。

だから、せめて、しばらくは見当違いになるかもしれませんが、何かのめやすやきっかけにしていただくために、こういう無駄話をして行こうかと思っています。

で、あえて、さしでがましく申しますと、上のような理由から、私は教育大の全構成員が、自分が候補者になった気分で、学長選に関心を持ち、今の現状をどう見るのか、一人でも、皆とでも、考えてみることが緊急に必要だろうと思っています。

大学であれ国であれ、自分の属する組織や共同体が弱体化するのは、「紅旗征戎わが事ならず」と寝ていたい人にとっても、長い目で見たら決して望ましいことじゃない。いや、短い目で見たって、かなり危険なことです。

上に立つ人が、それに気づいて下さらないなら、一人ひとりが何かのかたちで決定に参加し、責任を果たすことで、その弱体化をくいとめるしか、自分を守る方法はありません。ある意味、大サービスなんですけどねー。

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カツジ猫