福岡教育大学物語9-新学長の評判

寺尾先生が学長になってほどなく、私は定年で退職したから、その後の大学の様子はあまり知らない。非常勤で週一回行ってはいたが、そんなに誰かと話す機会はなかった。私も家の片づけや母の介護で、それどころではなかったこともある。
それまで、大学の正面玄関の前にポールだけがあったのに、国旗を掲揚するようになったとかいう話を聞いた。憤慨している人もいたし、私も好みではなかったし、何もそういうことから始めなくてもよかろうにとも思ったが、まあだから即辞職してほしいなどというほどのこととは思わなかった。

たしかそのころは、民主党が政権をとったばかりだった。そして、名誉教授になっていた私のところには、毎年の名誉教授会のお誘いと同時に、出欠のハガキをそのまま印刷してならべて綴じた、名誉教授の先生たちの近況報告も送られてきた。
私といっしょに定年退職した一人は、一応組合員で執行委員もしたことはあったようだが、組合のことは嫌いで、というか、すべては組合の陰謀で学内政治は動いていると考えることが多くて、私はよく「あんたが一番、組合を過大評価してる」とからかって笑っていた。「絶対、あんたの頭の中では何年も前に退職した組合の大物の先生が、車椅子で、屋敷の庭の池のコイに餌なんかやっていて、訪問した先生たちに『あれは、このように』とか言って、花鋏でぱちんと菊の首を切ったりしてるとか、そういう図式が浮かんでるんだろマジで」と言ったりしていたものだ。

その人が、そのハガキの近況報告で、「大学の将来は心配していませんが、国の将来は心配です」と書いていて、私はあいかわらずやなあと吹き出したのだが、ということは、民主党政権の成立を憂えている一方で、その人は寺尾学長の大学運営には全幅のとまでは行かなくても、それなりの信頼をおいていたわけだ。そういう人もいたわけだから、それなりの評価もあったのだろう。もちろんその一方で、いろんな批判はあったのだろうが、自分の身辺が大変だったこともあって、私はそれを聞いたとしてもあまりしっかり覚えていない。

で、いいかげんな記憶で書くのだが、とにかく学長がワンマンで傲慢で強引で、人をばかにした発言をするみたいな話はちらちら耳にした。それがどれだけ本当だったかは知らない。そのころ何人もの先生から「いい時にやめられましたよ」と言われて、私はそのたびにそうかいと腹の中で考えていた。てやんでえ私がいたら、そんなひどい状況にさせとかねえよ、いい時だったのは、こっちがいい時にしてたんだよあほんだらという気分もちょっとはあった。それ以上に、ひゃあ、そんなワンマン学長やとりまきの体制まだ見たことはないから、一度対決してみたいなあと腕が鳴ってわくわくして、ちょっと欲求不満でつまらなかった。

どっちも、現にそのような状況で苦しんでいる人たちの前で、夢にもおくびにも出せる心境ではないし、実際に私がその場にいたとしても、せいぜい思いつくことは、ようそんなこと黙って言わせとくな、学長でも事務長でも私だったら、その場で一応灰皿投げつけるぐらいは一回してみるぞぐらいなことだったが、灰皿なんてもう多分いまどき会議の席においてないだろうし、ならば湯のみかと思っても、とにかく事態はかえって悪化したかもしれないから、そらまあやっぱり、いい時にやめましたねと言われたら、そうねえと言っておくしかないことだったのかもしれない。

私がそんな邪悪なことを一人で考えている間に、四年間はあっという間にすぎて、学長選挙の時期がまた来た。もちろん私は何も事情も様子も知らなかったが、結果は、いまだにそらで言えるが123対88のけっこうな差で寺尾先生は落選し、若い女性の先生が新学長に当選した。

私に言わせれば、教育大が決定的に変になるのは、そこからではないかという気がする。

 

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