福岡教育大学物語25-映画「主戦場」を見て

あれー、すみません。映画の感想書いてたら、最後が教育大問題に結びついちゃった。しょうがないから、シリーズに入れます。ほとんどが教育大とは関係ない雑談ですけど、息抜きにごらん下さい。

慰安婦問題を扱った映画「主戦場」を見て来ました。いろんなポイントや背景や関わりが、わかりやすく整理されていて、なかなか勉強になる映画でした。

しかしながら、加瀬さんだっけ、日本会議系の大物が、インタビュアーに対して、本当にふしぎそうに、「どうしてそんなに慰安婦問題に興味があるんです? 何なの、やっぱりポルノ的な興味?」みたいなこと聞いた、あのことばが個人的にはもう衝撃強すぎて、それもスカンクの最後っ屁はこんなんだろうと思うほど、ひどさがあんまりで、あとのこと全部忘れそうで困る。

この、慰安婦も虐殺もなかったと言ってるような人たちの、トップクラスの論客がだね、慰安婦問題をとりあげて訴えてる人たちの動機、声をあげずにいられなかった、自分のことのように感じてる、たくさんの人たちの気持ちが、マジで、ほんとに、根っから、わかってない。「え、どうして騒ぐの? んなこと気にするの?」と、無邪気に、素直に、思ってる。

わからないのか、それが…。
レイプされ、それも長期間に大勢に、幼いころに陵辱され、その結果、家族や故国にまでさげすまれ苦しみつづけて来た人たちの気持ちが。

この日本でも、この現代でも、同じような差別や屈辱を味わいつづけているからこそ、そのような人たちの痛みも絶望も、まったくひとごとに思えず、もう、自分の苦しみを何とかするためにも、支援するしかない人たちの心が。
わからないのか、この人には、それも…。

そして、ようやく思いついた「人が慰安婦問題に関心を持つ」理由が、「なんか、ポルノチックな意味?」だって。
つまり、幼い少女や若い女性が男たちによってたかって犯される事件に関心を持つのは、それに刺激を受けて、ポルノみたいに性的興奮を感じるからかなー、そうかなーとかしか思いつけないわけね、この人は。

多分、自分もそうなのね。慰安婦の告発の内容聞いて、「嘘かもしれない、でっちあげかもしれない、それにしたって、それはひどい、吐き気のする話だ」とか思ったりもしないのね。ぞくぞくして性的に興奮するのね。それをこうして、うっかりさらけ出すことに、危機感や警戒心さえ持てないのね。

おどろおどろしい闇が深すぎて、のぞきこみたくもない。

あんまりこれがショックだったんで、この人が、インタビューで、慰安婦問題に関する基本的な著作や研究者を「え、それ誰です?」と知らなかったり、自分と同じ意見の仲間の学者の本さえも「とても親しいけどね、本は読んでないです。私あまり人の書いたものは読まない、怠け者なんで」と笑ったり、それでまあ、いっぱしの講演や運動やプロパガンダにいそしんでるのかという驚きも、どっかにぶっとんで消えそうだわ。本当はそれもたいがいショックなはずなのに。

帰って、ネットをのぞいたら、日本会議と一体化してるらしい安倍首相が、自民党の配った冊子の内容について聞かれて、「党本部がいろんな冊子を配っているが、いちいち見ていないので知らない」と発言した、と小池晃さんが書いてる。なるほどね、この人たちは皆こうなのか。読まない、知らない、見ていない。それを恥とも思わないのか。

目まいがして来たから、気分転換にスポーツニュースのページを見ていたら、ソフトバンクンクホークスの強打者グラシアル選手が、

打てなかった時に、何が悪いのかを分析して反省することが大事。記者に話をするには、きちんと頭の中でそれが整理できていないとできない。だから、悪い時ほど(取材対応は)大事なんだ。

と言っていて、別の意味でまた目まいがした。記事には、次のようにもある。

「当然、打てない時は私も少し感情的になっていて取材がしにくいと思うけどね」。状態が下降気味だった交流戦中には、直撃取材した記者の肩を優しくさすり「来てくれてありがとう」と言って落ち着いた口調で取材に応じた。

いやさ、私のこういう言い方も差別かもしれないけどさ、日本の政治家も、スポーツ選手に負けててどうするんだよ。それも、これだけ完璧に。
彼はキューバの元軍人らしいが、さすがゲバラの国とかいう冗談はさておき、それもまたどういうか、こんなとことは戦うと負けそう。

安倍首相が記録をかくしてごまかすのも、麻生副首相が人を恫喝して黙らせるのも、菅官房長官が記者に質問させないのも、教育大の学長が質問状を受け取り拒否するのも、それ自体けしからんと言えばけしからんが、一番恐いのは、そうやって質問を拒否し、情報を隠すことで、自分のしたことを人に説明する機会を失い、どこがいけなかったかよかったかの分析や整理も全然できないままになり、進歩も修正もしないまま前進しなくちゃならないことだ。
いろんな人からの質問に対応しようとするからこそ、自分のしたことをちゃんと総括して、今後に活かせるんですよ。

それも、ほんとは二重帳簿が必要です。私はそうするし、グラシアル選手だって多分そうしているんじゃないかと思いますが、公式に人の質問に答えるためには、それ用の回答とともに、誰にも言えないが徹底的にとことん自分に問いかけて、心の隅々まで照らしつくし、どんな苦痛や恐怖にも耐えて真実と向き合う作業も必要です。それをやってこそ、公式の発表もできる。嘘をつくには真実を直視していなければなりません。そうでなければ、嘘さえつけない。

質問に誠実に答えるというのは、そういう意味もあるのです。聞く者より答える者が、その恩恵を多く受ける。答えず隠していればいるほど、断捨離できない荷物がつまった物置同様、人も組織も国もどんどん、役にたたないものと化し、弱体化して行くのです。

 

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