福岡教育大学物語33-名誉教授のビラ配り

昨日の午後、JRの教育大前で、「福岡教育大学の民主化を応援する市民の会」の人たちと名誉教授の先生たちが、学長の公用車使用に関する問題について、ビラを配って市民や学生に訴えました。

内容は、すでに組合ニュースで何度か報告されていることで、学長が公用車にご家族のお一人を何ヶ月も同乗させていたこと、学長就任後も共用にすることになっている研究室を使用し、その方に入稿許可証やパスカードも使用させて、研究室に滞在させていたことについて、大学規程に違反するのではないかと、事情説明を求めるものです。

数年前、前学長の再任後に、教職員組合のメンバーが同様に抗議のチラシを配布し、それを問題視した学長が、配布した一人の研究科長就任を認めなかったことが、更に混乱と対立を深め、長期の裁判の末、学長の「不当労働行為」という判決が決定しました。
学長の行為は誤っていたと裁判の結論は出たわけですが、それはそれとして、このようなビラの配布は、おそらく学長や大学執行部の人たちにとって、非常に不快で、大学をおとしめる行為と受けとめられたのでしょう。だからこそ、研究科長の任命拒否という、のちに不当労働行為と判定されるような、強い対応にもなったのでしょう。

学長や執行部の顔ぶれは変わっても、あるいは、今回もまた、その時と同様の印象を持たれているのではないかと思います。それについて私の感じたことを申し上げたいと思います。

詳しく全員の方から経緯を聞いたのではありませんが、私の理解している限りでは、こうなったのは、名誉教授の先生方数人が、最近、年に一度の名誉教授会への参加者が減っていることや、教育大でいろんな問題が起こっていることを心配し、櫻井学長の自宅へお手紙を出し、また大学の事務局へも質問を寄せたことが最初でした。

しかし、何度か出した手紙は、封を切らずに「受取拒否」で返送され、大学からの回答は「そういった問題を学外者に話すわけには行かない」ということだったそうです。

名誉教授という称号は、大学によってちがいはあるかもしれませんが、少なくとも教育大の場合は、定年退職と同時に自動的、機械的に与えられるものではありません。所属の講座がその人の履歴や業績を調べて書類を作り、委員会や教授会で審議して採決された結果、与えられるものです。また、いろんな理由で、ご自分から辞退される方も時にはおられます。大学がその称号にふさわしいと責任を持って認め、教員もまた、その大学の名を自分の肩書として示すことで、たがいが誇りを持ってその名を社会に認めさせる役割を果たすものでもあります。

一応私も「まあ持っておけば何かの役には立つだろう」程度の軽い気持ちで、名誉教授の名をいただいている者ですが、当時の講座主任やその他の方が、書類作成や審査その他の手続きに膨大な精力を費やされたことは知っていますし、深く感謝もしています。そして、いろんな著作や講演その他にあたっては、それなりに教育大の名を汚さないようにしたいと配慮もしています。私のいろんな業績で、福岡教育大学の名を知って下さる人が増えれば、少しは恩返しになるかなと考えることもあります。

他の名誉教授の先生方もそうでしょう。どなたも好んで、自分の大学の恥をさらすようなビラを大学の前でまきたいと思われるわけはありません。
ましてや、この炎天下、七十過ぎた方々が、街路に立ちつくして通り過ぎる人たちにビラをさし出し続けるなどと、誰が好んでするでしょうか。

前学長のときに最初に組合の先生たちが抗議のビラを配布したときの、細かい成り行きを私は知りません。学長や大学執行部の怒りが強かったのは、たしかに、それだけの理由があったのかもしれません。しかし、組合がビラの配布にいたるまでの怒りもまた深かったはずです。今回の名誉教授の先生方の場合を考えても、私はそれがわかります。

なお、私はそこに居合わせただけで、配布には参加しませんでした。「非常勤に行かれているのだから」と名誉教授の先生方が配慮されたのもありますが、何よりも私自身は、直接学長や事務局に質問や面会に行ったことはなく、したがって事務局からも学長からも、まだ受取拒否や、「学外者には」云々の回答をされておらず、抗議する権利はないと感じたからです。言いかえれば、そのような対応をされた先生方には、充分に今回の行動をする理由も権利もあると思っています。

なぜ、大学や学長は、このような、学長の個人的な問題を、天下の公道にさらけ出すような恥ずかしいことを、名誉教授の先生方が、しなくてはならないような状況にしてしまうのでしょうか。
「やかましいトシヨリが」「うるさい外野が」と思ったとしても、訪れたらお茶でも出して、少しの時間お話をする、手紙はせめて開封して、通り一遍の返事でもいいから出しておく、せめてそのような対応をしていただけたらと、残念でなりません。

今回ビラを配布された先生方は、在学中は決して特定の派閥に属したり過激な発言をなさる方ではありませんでした。組合活動に特に積極的でもない、穏やかな方々でした。
少しの手間と時間を割いて、お気持ちを話し合っていただければ、いろいろな問題の解決の糸口がつかめる可能性さえあったのに、と思います。

「いきなり大学に送りつけるのではなく、内輪で話し合う可能性がないかと思って、自宅にお送りしたのだが」と、名誉教授の先生はおっしゃっていました。「それを開封もせずに返されたら、もうビラをまいて訴えるしかないじゃないですか」

「名誉教授を取り消されても、痛くもかゆくもない。これまで何の役にも立たない称号だった」と笑いあっておられるのを見ても、私は胸が苦しくなります。それはねえ、「学外者には話せません」と相手にされなかったなら、名誉教授の称号なんて何になるのかと思っても、しかたがないじゃないですか。大学執行部は、大学の歴史と伝統をどう考えているのでしょう。その象徴でもある名誉教授の皆さんを、どう考えておられるのでしょう。大学を粗末にし、その顔に泥をぬっているのは、まあ学外でビラをまく名誉教授や、こんなこと書いてる私かもしれないけど、それと同じくらいに、今の大学そのものではないですか。

できれば今からでも、何らかのかたちで、このような先生方への対応をもう少し何とか考えて、話し合いの場を作ってほしい。もちろん名誉教授の中には、学長を支持する方もおられるでしょう。そういう方も含めて、組合相手ではできない、いろんな意見のやりとりの機会を設けてもらいたい。どうか、前学長の時のように、これをきっかけにますますたがいが硬化して対立するような方策は避けて、別の道を探してもらいたいのです。

また、まさかと思いますが、大学や職員や先生方は、「このようなビラは取らないように」などという指導を学生たちにしないで下さい。この問題を別にしても、そうやって、さまざまな情報から学生たちを遮断しようとすることは、決してよい結果を生み出すとは思えません。

私は忙しくてあまり参加しませんが、「むなかた九条の会」などでは、よく市内でビラを配ります。市民や高校生は、かなり受け取って読む中、教育大の学生はあまりビラを受け取らないと聞きます。私は心配だったので、名誉教授の先生方に「見るからに大学の先生らしいかっこうをして、名誉教授とか書いたのぼりでも立てていた方がいいですよ」と、しょうもないアドバイスをしましたが、暑かったせいもあって、昨日は皆さん、ごく普通のかっこうでポロシャツに帽子などかぶっておいでになりました。

もちろん、退職後何年もたっているから、通りかかる学生は誰も先生方の顔を知りません。なのに、私が驚いたのは、ごく普通に自然にビラを渡しながら「何年生?」「もう就職は決まった?」などと、いとも親しく先生方は学生と話に興じておられ、学生もまた足をとめて話に応じているのです。

若い学生への警戒や恐れがまったくなく、空気がとけるようにひとつになるその様子に、私は胸をつかれる思いで、ああ、この方々は学生が、大学が好きなのだなあと心の底から実感しました。そうやって話されながら先生たちは、とても楽しそうでした。どんなに年をとっても現場から離れていても、教師はやっぱり教師なのだと、本当に鮮やかに目の前で見せつけられた時間でした。

もちろん中には、先生方をつきのけるようにして、目もくれずに通り過ぎる学生もまたいます。それを見ながら私は、この学生たちは、この人がどんなに偉い先生か知らないんだなあと思っていました。教育大の一時代を支え、教育者として、研究者として、役職者として、教員生活の最後まで、今あなたたちのいる大学を築いてきた方々だということも知らないのだなあと。

それはやはり、あってはならない光景だ、と私には思えてなりませんでした。
名誉教授の先生たちも、大学も、学生たちも、傷つけられている気がしました。
配布されているビラで学長もまた傷つけられていますが、それを配る先生方も、確実に傷ついています。

もし、ビラを受け取るな、と指導するなら、それは、学生に、名誉教授の先生方を、大学を、さらに無視し傷つけろと言っているのと同じことでもあります。
もしできるなら、学生たちには、むしろ、受け取って、読めと言って下さい。
それについて話し合おうと言って下さい。
つらくても、不愉快でも、苦しくても、そうすることからしか、この状況をよい方向に向かわせる道はないと思います。

 

 

Twitter Facebook
カツジ猫