福岡教育大学物語75-比べてみました

学長候補のお二人の、所信表明を読んでみました。
飯田先生のは、割と抽象的です。江頭先生のは、かなり詳しくて具体的です。
現在の櫻井学長の姿勢や方向については、どちらの先生も特にコメントはありません。継承するともしないとも、どちらの方も書いてはおられません。

細かいことについては、学外の方はわからないこともあると思うので、私がこれまでの大学運営で一番気になっている、「皆の意見を充分聞かないで、いろんな方針が決められているので、ともすればピントがずれてしまう」点と、「給与や人事、懲罰など重要な事項が充分な情報が公開されないまま、密室で決められている印象が強い」点について、考えながら読んでみました。

飯田先生の所信表明には、この二点についての言及はありません。最後に近く「学内の融和を図る」という文言が出ますが、これは抱負ではなく、これまでの学部長としての教授会運営の総括で、具体的に何をさすのかは書かれていません。

とても気になったのは、「評価」を行うという言葉が三度(学内の教職員への「皆様に相応の評価」を行うという言葉はその中で二度)くり返され、「人事考課を一層公正かつ適切に実施」したいと述べておられることです。

私の知る限り、現在の評価が公正か適切か判断できる資料や情報は、そもそもまったく公開されていないと思うのですが、それを「一層」と言われるのなら、現在のような、根拠も基準も不明な部分の多い人事考課が更に強化されるということでしょうか。

また「相応の評価」の基準として示されているのは、「実践型の研究に取り組んでいるか」「教員就職率の維持に貢献したか」「外部資金を獲得したか」など、かなり限られた要件です。そして、そのような教員に対して、学長裁量経費を活用しながら、よりよい環境整備を行うと述べておられます。

現状を鑑みると、これらの文言から予想されるのは学長が恣意的に教員を選別して優遇し、教員間の格差を生み出すのではないかということです。少なくとも、そういう誤解を生みかねません。
格差や選別と言っても、その理由も基準も、誰がどう優遇されているかという実態さえも明らかでないのですから、健全な意味での競争意識さえ生まれません。疑心暗鬼と不信だけがいたずらに増すことになります。

江頭先生の所信表明は、飯田先生の三倍以上の長さがあり、内容も多岐にわたっていますが、私が気にしていることについては、最後の「(4)『学内運営』の改革」について、述べられています。

いわく、「学長のリーダーシップのもとで、すべての構成員が方向性を共有し、能力を発揮する」には、「構成員とのコミュニケーション・対話を徹底的に重視」し、「学内運営の透明化を進め」、「人員配置や予算措置については、根拠・過程・結果をオープンにし、学内での公明公正な評価が可能となるように」する。

また、役職や業務、各種のプロジェクトにも適材適所に基づいて、より多くの構成員に参加してもらい、限られた人員に業務を偏らせないとも述べておられます。それが、硬直化や閉塞感の打破につながり、本学の活性化と発展につながるし、学長の権限をそのために使うことが、真の責任体制である、と。

これは、もちろん、決してたやすいことではありません。しかし、現実離れした理想ではありません。法人化で学長の権限が異常に強化される以前の、学長と私たちは、曲がりなりにも不十分でも、歯を食いしばって、そのやり方を追求してきたし、現実には、それしか方法はないのです。大学であれ、国であれ、結局はそれしか、道はありません。

だから、所信表明を見比べる限り、私は江頭先生に学長になっていただきたいと思います。しかし、私どころか、大学に現にいる学生や教職員にも、選択や投票や意見を反映させる機会はまったくなく、現学長が指名した12名の委員による学長選考会議が決定するのですから、現学長の方針を継承される(もしくはより強固にされるかもしれない)飯田先生が学長になられる可能性もないとは言えません。もしそうなったら、せめて私が先に述べた、数々の危惧や不安が、どうか誤解で杞憂であったと言えるようにしていただきたいと願います。江頭先生の述べたような学内運営の方向に、少しでも近づけていただけるように何とか工夫していただきたいと思います。

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カツジ猫