福岡教育大学物語73-グラウンドが消える

あまり気をもたせるのもいい趣味じゃないので、ごく簡単に事実だけ報告します。
教育大の硬式野球部と準硬式野球部の使っていたグラウンドが、なくなるそうです。

硬式野球部は福岡六大学連盟の一つで伝統も実力もあり、準硬式野球部は今年は全国大会に出場しました。不足分の費用は募金を集め自分たちも負担して参加するなど、努力を重ねてきています。

それが突然、これまでのグラウンドは使えなくなると言い渡された。これからは電車で数駅離れた場所のグラウンドを有料で借りなければならなくなる。交通費、運搬費などもかかる上、授業と部活を両立させるための時間の上でも、大きな負担、打撃をこうむります。

なぜ、そんなことになったのか。
以前にこの連載で書いた、いろいろと問題の多い、特別支援学校を学内に作るという計画の一部で、土地が足りなくなったので、グラウンドをそれに当てることになったとか。

特別支援学校の設置については、もともと学内への説明が不足しているのですが、その中でも以前、「グラウンドが削られることはない」と明言されていました。それ以後、それを訂正するような説明もないままです。

学生にだけ、一方的な通達のかたちで、この事実は告げられました。部員の一人が教員に話したことで、初めて教員も知りました。

詳しくは、その教員が「福岡教育大学の再生を願う会」に報告した、詳しい説明をごらん下さい。
お読みになれば、さまざまな詳しい経緯や、もっと深い問題点も、いろいろおわかりと思います。
詳しすぎて、かえってわからないという方のために、私がいつものように、まとめたり、つけくわえたりしてもいいのですが、今夜はここまでにします。また明日にでも。

考えれば考えるほど、もうすべてが情けなくて、くやしくて、たまりません。
学生たちの部活動が、どんなに重要で貴重なものか。それを育てて守るのが、大学の仕事ではないのですか。しかも教育大ですよ。恥ずかしすぎる。

私はどちらかというと、学生には勉強を何よりしてほしいから、部活動には冷淡な方です。それでも在職中に研究室の学生たちから、部活動の苦労も工夫も喜びも、いやというほど聞いたから、肌身にしみて知っています。それが彼らにとってどんなに大切で、勉強とはまたちがった多くの豊かなものを与えるか。彼らのことを少しでも考えるなら、愛しているなら、どんな犠牲を払っても、それができる環境を守ってやるのが、大学のつとめでしょうに。

すでに、教員免許や大学院や留学生などに関して、大学は学生たちの学ぶ場所や環境を奪い続け、劣化させて来ました。それに加えて部活動まで奪うのですか。いったい何を教えるのでしょう。いったい何を育てるのでしょう。

やりきれないのは、これが初めてではないことです。すでに50メートルプールが埋め立てられて25メートルになり、公式記録がとれないプールになりました。通用門横に新しくできたアカデミックホールの建設の際も、アメリカンフットボール部とラクロス部の使用していた場所がなくなりました。

いろいろな事情はあると思います。しかし、大学として何を最優先し、何を守ることを第一にするのか、問いかけ、話し合う場を保障しなければ、大学人や教員や大人としてだけでなく、人間としてのあり方さえも、見失ってしまいます。

たまたま私は、この連載の前々回から、学生や若者の怒りは予測し難い動きをするという懸念を示しました。これは、大人として経営者としての判断で、そういった危機管理の面からの怒りも今の私にはあります。

しかし、それと重なって、学生たちの心と身体を守らないで何が教師だ大人だという怒りが、さらに強くこみあげます。

まさかと思いますが、昨今のおかしな理屈をひねり出す風潮で、「特別支援学校の子どもたちはどうなってもいいのか」とか言い出すのではないでしょうね。
その子どもたちにも、このような場当たりづくしの危うさの上に立った計画ではなく、本当に関係者すべてが、あらゆる知恵をしぼって、よせあって、最善の策を練り上げることこそが、絶対に必要なのではありませんか。納得できない犠牲や、了解もしないままの無責任さの上に築かれる楽園など、地上のどこにも存在するはずがありません。

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カツジ猫