福岡教育大学物語10-123対88

私は何だかちゃらちゃらした書き方をしているが、寺尾先生が学長になってからの四年間は、組合をはじめとする批判的な人たちにとっても、学長やそれを支持する人たちにとっても、多分とても長く苦しい時期だったろう。

その後、寺尾先生が学長の任期を最大限の六年務められた後、更に副学長になってなお教育大の運営に関わろうとされたのも(そして実際そうなった)、私には反対勢力の人たちの怒りや驚きよりもかなり手前の地点で、信じられないし理解できないし、よくそんな気持ちになれると敬意さえどこかで抱く。
下世話な話、収入や名誉などでどんないい思いをすることがあったにせよ、それに替えられないほどの不快感や疲労感を持つ仕事ではないかと思うし、言っちゃ何だが、それほどの収入や名誉や地位かとまで感じてしまう。
もっと大切で楽しいことなど人生にはいくらでもあるだろう。
ならば、やはり、そこにあるのは何らかの責任感か使命感か。一度お話してみたいぐらいだ。まあそんなこと言い出せば、どこかの首相や知事など、同じ話をしてみたくなる人は多いが。

それは私自身の弁解めいた話にもつながる。教育大はいい大学で好きだったが、私はとてもそこまで関わり続けるような愛も責任感も持てなかった。退職後の数年間、年収はいきなり四分の一程度に激減し、母の介護や家の管理に必要な金は底なしで、自分自身の研究もまだまったく中途半端で先が見えない状況で、しかも同じ状況を共有する人もいないまま、退職金の使い方も親族の相続問題も、まったく孤独の手探りで悩み決定しなくてはならない中、私はなかば半狂乱の毎日で、退職した後の職場のことまで考える余裕はまったくなかった。
非常勤で週に一回行くたびに、先生方や事務の人から、学長や現体制に関する怒りや嘆きは多く聞いたし、相談もされた。しかし、正直、それが新しい体制への普通に起こる不満なのか、それとも明らかに異常事態なのか、判断はつきかねた。

これでも学者のはしくれである。何かを判断し、決定するなら、一方的な意見だけでなく、批判されている側の声も聞き、情報も集めなければならない。そんな時間もエネルギーもまったくない以上、いくら私に親しい、好意を抱いている人たちの話だからと言って、全部をそのままうのみにして、信頼することはできない。
何より、私はもう退職した人間である。教育大を何とかするなら、それは今いる人たちの決めることで、私が口を出すことではない。そんな意識も根本にあった。それは、以前のすぐれた学長たちが、退職後に後任の学長の不満を聞いても、「自分は辞めた人間だし、口を出すのもねえ」と言って心配しながら遠慮しておられた姿への、安心感や信頼感とも重なる思いだった。

だから、その四年間に聞いた学内の不満や怒りは、具体的にどんなものだったか、今ではほとんど思い出せない。本当にすみません。
ただ、学長の任期の終わりが来て、学長選が行われ、若い女性の先生が立候補されると聞いたとき、私はそれを教えてくれた元同僚に「もちろん彼女は立派な学長になるでしょうけれど、もうこの際立派な学長とかでなくてもいいから、とにかく普通の学長であってくれればいいんですよ」と言い、相手も「そう、そうなんですよ」と共感したのを覚えている。
ということは、当時の私の上の空の意識の中でも、先入観や一方的な判断はするまいという慎重な気持ちの中でも、明らかに教育大の学内政治も学長も、普通でないという意識は、定着していたことになる。

123対88という投票結果は、私のその印象を肯定した。現職の学長を支持する人が多いのは当然なのに、若手の女性候補がそれだけの票を得て勝利したということは、一部の人の不満などでは説明がつかない。この結果はやはり現学長の方針や運営に不満を持つ人が多いことをはっきり示していたし、私はこれで教育大の問題は一応の決着がつくと、よそごとの、ひとごとながら、それなりにかなり安心した。ここまではっきり結果が出れば、寺尾先生もあきらめはつくだろうし、たしか任期四年でやめた学長も珍しくはなかったから、そんなに傷つかれることにもならないだろう。難しい時期に文科省と学内の間に入っていろいろ苦労したという評価だって残るだろうぐらいに考えていた。

それがそうならなかったから、「え」となった。すでにもう無駄話が長くなってる気がするので肝心なところを簡単に述べると、寺尾学長はこの結果に従わなかった。たしか自分の指名で選出できるんじゃなかったっけか、とにかくご自分の意見をかなり反映できるメンバーの十数名の学長選考会議(私のいたころにはなかった)で、この結果を検討し、その若い女性の先生に何の問題点も指摘できないまま、つまりほとんど、いやまったく理由もないまま、88票の寺尾先生を新学長に再任した。

どう考えてもむちゃくちゃである。
問題は、これが、しつこくくり返すが「社会の役に立つ大学にするため、学長が何でもとっとと勝手に一人で決められるように法律をかえて、効率的な運営をしましょう」というスローガンのもと、政府もマスコミも一般市民も一致して賛成して作った(だから、これ読んでるあなたにだって、たとえニートのかたでもホームレスのかたでも、ちょこっとぐらいは責任があります)新しい法律のもとでは、学長がやろうと思えば違法にも何にもならないことで、現に似たようなことをした大学が、そのころ全国に二つか三つかあった。

ということは、星の数ほど多い全国の大学の大半では、さすがに学長はそんな権力は行使せず教授会や投票の結果に従っていたわけで、まあ混乱を招くまいと思ったら、それが普通だろう。

そして、寺尾学長が報告した、この選挙結果と選考結果を、文部科学省だか政府だかは、少し時間はかかったが、結局全面的に認めた。
そりゃまあ、法律的に瑕疵はなかったのだろうから、認めるしかあるまいが、それにしたってむちゃくちゃである。

で、これは、組合の先生たちの話をそのまま引用するが、文部科学省がつまり政府が公式にそうやって認めるまでは寺尾学長もやや不安があったのか、まだいくらかは慎重だった。
しかし、それが認められた、つまり学長選挙の投票結果が完全に理由なく無視されてもかまわないとわかった時から、さまざまな姿勢がものすごく強硬になった。
報復としか言いようのないさまざまな処分や決定が、次から次へと下される。
教員の研究費はいきなり半分に減らされ、翌年は更にその半分になった。
同じころ、学内投票で選出された、大学院のトップである研究科長は学長が認めず、その後規則を変更して、学長が指名する人が研究科長になった。

何かが狂ったと私が感じはじめたのは、そのへんからである。
まあ、気づくのが大変遅かったのかもしれないが。

かの有名な映画にもなった「指輪物語」(ロード・オブ・ザ・リング)の根幹は、正義の味方たちの最終目的が何かを獲得することではなく、何かを捨てること、つまり世界を支配できる強力な力を有する指輪を、火山の火の中に永遠に葬ることにある。
巨大な権力が自らのほしいままになるとわかったとき、狂わずに、まちがわずにいられるのは大抵の人には難しい。
寺尾先生や次の学長の櫻井先生(現学長)に限らず、全国の大学の学長は全員、今その物騒な指輪を指にはめさせられているのだ。
それにとらわれ、支配されてしまったら、最悪の末路はゴクリ(映画ではギムリだっけ)という、卑小で醜悪で無力で哀れな怪物だ。「いとしいしと…」とうわごとのように口走りつつ、ひたすら指輪に執着しつづける、その姿は見る者を戦慄させずにはおかない。

またまたもって超無駄話だが、私はときどき、新宗教の方々から勧誘めいた話を受けるとき、「お医者さんや大学の先生も信者の中にはいらっしゃいます」と言われて、それが何の意味なのかわからなくて、きょとんとする。
数日たって気づくのは、ああつまり、医者や学者は冷静で知性的で信頼できるから、そういう人も信者にいる宗教だから安心という意味でおっしゃったのかと理解する。
私の家族親族は医者だらけで、仕事先は大学ばかりだったから職場の仲間は皆学者だ。
立派な人もむろん多いが、どっちかというと、はちゃめちゃな人の方が多いのは、骨身にしみて知っている。当然、私自身も含めて。
専門的な知識ならともかく、他の点では普通の人とそう変わらない人が多い、大学関係者に、そんな大きな権力を持たせるのは、本人にとっても危険だし気の毒だ。

私は司法も裁判も完全に信じるわけではないが、寺尾学長の行為を「不当労働行為」と断じた最高裁の判決の中に、学長が、自分に反対する教職員を不当に差別し迫害したと認定した文章で「嫌悪の情をもって」と書かれていることに、強い印象を受けている。
方針が異なるからとか、政策上やむをえないとかではなく、「嫌悪の情」で処分をしたと司法から指摘されるというのは、施政者として、学者として、教育者として、これ以上の恥があろうか。

それは事態をここまで放置してしまった、私自身の恥でもある。

 

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