福岡教育大学物語4-よい大学、悪い大学

そうそう、取り急ぎ。

明後日土曜日の朝10時から、赤間コミセン(教育大の下の通りをまっすぐ下りていった右側にあります。三郎丸の赤間西コミセンとまちがえないように)で、教育大の現状についての教職員と市民の集会があります。
情報交換をして、今後どうするかの話になるだろうかと思います。市民の皆さん、教育大の学生、保護者の方、その他、大学や宗像市に縁もゆかりもない方も、どなたでもぜひ、のぞいて見て下さい。別に発言しなくても聞いているだけでかまいませんし、出席なんかも取りません(笑)。

今夜はついでに、ちょっと無駄話みたいなことを。
私は大学院を出てから、私立公立国立と、いろんな大学につとめて来ました。非常勤も含めたらもっと多くのいろいろな大学を見て来ました。

学内政治も人間関係もぐっちゃぐちゃに煮詰まって、暗黒大陸内戦状態になってた大学もあれば、良識と民主主義が普通に蔓延?していて、晴れやかな空にそよ風が吹き渡っているようなまともで立派な大学もありました。

福岡教育大学はどっちかと言えば後者でした。
いろんな政治的な対立があるとか、前もって教えてくれた人もいましたが、そんなのは私に言わせればほんともう何でもなく、嘘だろうと思う公明正大さで、採用人事や講座会議が運営されていたし、教授会でも学生大会なみの真摯な議論が夜中まで続き、200名余の先生方の投票で、一票差でいろんな案件が否決されたり通ったりしていました。
そのような状況が、どんなにいい意味で普通でないか、快い幸福な環境に自分たちがいるのか、ほとんどすべての先生は気づいても意識してもいないように見えました。
幸福とか、まっとうとかいうものは、その中にいると気づかないものなのかもしれません(逆もまた真かもしれないけど)。

私の講座に採用された新任の先生方の何人かが、あとで私に、「コネも何もないのに採用されたのが信じられなかった。周囲の人たちに話しても信じてもらえなかった」と言ったことがあります。私たちは、新任の採用は、まったくバカじゃないかと思うほど正直に真剣に、論文を読み、議論して、誰が一番いいか投票し、余計なことはいっさい考えませんでした。まあ当然のことですが。

ここで言っておきたいこと。知っていてほしいこと。
私はときどき同僚に話したこともありますが、無法地帯でこれ以上ないほどひどい大学でも、信じられないほどまっとうで、皆が聖人君子のようにルールとマナーを守っている大学でも、そこにいる一人ひとりの先生方の人柄や生き方や良心は、私の見る限り、全然差がありませんでした。

ひどい大学を作って、ひどいことをしている先生方も、きちんとした大学を作って、立派に生きている先生方も、一人ひとりは決してそんなにちがいはなかった。
適当に清らかで、適当にわがままで、適当にずぼらで、適当にまじめでした。程度のちがいやばらつきはあっても、人間としての質には、そんなに差はなかった。そうとしか言えません。

つまり、ひどい環境にろくでなしが多いわけじゃないし、理想的な環境に聖人君子が多いわけじゃない。
何かのはずみで、よい場所も悪い場所も生まれます。そうしたら、ほとんどの人は普通にひどくなったり、まともになったりするのです。

これが、救いなのか絶望なのか私にはわかりませんが、それは私の実感です。何かのはずみで、ほんとに世の中、どっちにでも転ぶんですよ。

あ、私の印象ですから、あくまでも。反論はいくらでも受け付けます(笑)。

 

 

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