福岡教育大学物語45-いくら何でも恐すぎる
今回はあっさりと(ほんとか?)。
いわゆる「大学のしていることは法律違反です」と最高裁が決定した「不当労働行為」について、大学も学長も、被害を与えたとされる先生や組織(教職員組合)に、まったくお詫びもコメントもしていない件。
裁判所の判決で、「これを貼り出しなさい」と命じられた文章を、ホームページにのせただけで、組合との交渉では「それ以外のことは要求されていない」と、理事さんによっては、ものすごく激怒されるようです。
いやそんな深刻に怒るようなことですかねえ。大司教の暗殺の責任とって鞭うたれた英国王みたいな反省しろとか、首にプラカード下げて正門に立っとけとか、土下座しろとか言われたわけでもあるまいし、辞職や減俸も要求されてないんだし、とりあえず謝っとけば、と私は思うんですけどね。
組合が毎回そうして大学側を刺激して、要するに死んでも謝る気はないんだということを確認したことは、それなりにやらなくちゃならないことだったとは思います。
でも、どういうか、水掛け論や、不毛な意地の張り合いと思われないように、そのことの意味するもの、それがなぜ問題なのかは、もっと煮詰めてわかりやすく伝えなきゃいけない気もするんですね。他の先生たちにもそうですが、「しつこいぞ」と激怒する理事さんたちにも、いくらかはわかってもらえるように。
私にそれができるとは思えないけど、少しだけ。
謝罪するかどうかはともかく、それも含めて大学側は、自分たちの立場や意見が法律で認められなかったら、最低、その対策は考えなければならないでしょう。
心から反省するのか、頭だけ下げとくのか。
また同じことが起こったら、今後はどうするのか。
これまでと、これからの、どこを変えるのか変えないのか。
自分らの主張が国に認めてもらえなかったのは、戦略負けか、力の差か、それとも反省すべき間違いだったか、その線引きをきちんとして今後に臨まないと、やっていけないでしょう、学内行政なんて、根本的に。
学長や執行部が、たとえ何をめざすにしろ、その検討と、今後の方針の選択は絶対に必要でしょう。
めざすものは、組合とはちがっていい。むしろ、同じじゃ困ります。それぞれの役割があるんだから。
ちがう方向をめざし、敵対もするからなおのこと、その中で守るルールは今後どのように変わるのか、変わらないのか。反省して変更する部分はあるのか、それはどこか。
それは学長や理事の中でも、いろんな意見があるはずで、そこを真剣に集中的に議論して、各自の人生観や哲学もぶつけあって、今後の方向を決めないと、そしてそれを全学に示さないと、執行部に協力したい人たちだって、何をしていいのかきっと、わからない。
それって、当然じゃありません? それとも、当然じゃないのかな。そこをうやむやにしたまま、貼り出せと言われた文章を貼り出しただけで、皆また前進しちゃうなんて、そんなこと、できるもの? だから日本の戦後処理や、慰安婦問題なんかも、いつまでもすっきり片づかないのかな。
などと考えていましたら、例によって現実は、私の想像のはるか上を斜めにぶっとんでいましたよ。
先日、組合の先生が一枚の文書を見せてくれました。5月29日に、組合は大学に対し、
「寺尾慎一元学長(前副学長)、並びに櫻井孝俊学長の「福岡教育大学不当労働行為事件」及びそれに関係する一連の裁判に係る懲戒について審議した役員会、経営協議会、及び学長選考会議の議事の詳細がわかる書類一式」
を開示請求したのですって。要するに私が「話し合わなきゃ前進できるはずないよね?」と思ってた、その話し合いの内容を知りたいということです。
結果は不開示(教えられません。公開できません。という回答)でした。で、その理由がね。
「開示請求のあった法人文書を保有する部局に照会した結果、当該事案に係る懲戒についての審議は行われておらず、したがって、議事の詳細がわかる書類が存在しないため。」
うそー。ずるるるっ。
せめて、「今後の学内運営に係る機密事項だから」とか言ってほしかった。せめて、どっかの料亭か地下室で、記録に残さない秘密会議をしたんだと思いたい。
でも、本当にこの通りかもしれない。最高裁判所から「学長は法律違反を犯した」と判決を言い渡されて、それに関する審議は何一つ行われていないのかもしれない。
でも、あきらめが悪いけど、ほんとに、嘘であってくれ。
だって、恐すぎるよ。いくら何でも、あまりにも。