福岡教育大学物語55-ちょっと目からウロコ

前回の「会議は踊る」について、まさに「女神の見えざる手」を紹介してくれた卒業生が、フェイスブックで、次のようなコメントをよせてくれました。

この前気づいたのですが、非正規雇用の人間をどんどん増やした結果、会議というものをあまり経験せず、決定に関わったりそれに伴う責任を持たずにきた社会人って多いんですよね。
自分たちの世代もですが、雇用形態が変化してきた若い人たちはもっとそう。組織を知らないというか、会議に参加する機会もほとんどなくきている人も多い。
大事なことは誰かが決めて、決定は上から下りてくるものだというのが当たり前。そこをごちゃごちゃ言ってると、雇用自体を失う、と刷り込まれてきている。
そういう意味で、操りやすくされてきているんだなと。
ましてや提案側を経験することなどありません。ということは、提案を通すためには何が必要かなんて、考える力を育むこともしてきてないということ。
ムダな会議は私も嫌いですけどね、学校辞めて随分経ちますが、会議にはとんと縁がなくなりました。
悪知恵の世界の格差、そうかもしれません。

ふわあ~、これは目からウロコだったなあ。言われてみれば、そのとおりだよ。
で、私の返信がこれ。

これすごく重要な指摘かもしれない。ブログに転載させて下さい。ちょっと関係ないかもしれないけど、いやあるかな、今の若い人が戦争が起こるのにあまり危機感もたない一つは、「戦闘は自衛隊がするでしょ」ってことらしい。電気工事や水道工事や車の修理じゃあるまいし、プロにまかせるってわけに行かないこともあるって実感できないのかよ、と不思議でしたけど、そういう雰囲気がすべてにわたってあるのでしょうね。

やばいなあ。いかんなあ。悪い意味で、すべてはつながってるんだなあ。つくづく頭を抱えたくなる。

そう言えば、私、高校生のとき、友人たちと鳩時計文庫というのを作ったんですが、そのときの小説のひとつ「細菌群」というのに出てくる、波勢真砂子っていう太った女の子が、私がモデルらしくって(笑)、この女子のすることがロビイストどころじゃないのよ。高校生のころ、すでに私ってこうだった。だから、別に司会や提案者になる機会がなくても、誰でもみがけると思いますよ、こういう技術は。

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カツジ猫