福岡教育大学物語72-消えた車輪

前回、大学運営の両輪の一方が消えていると、私が感じている現状について,

大学の自治とか学生の利益とか教職員の自由とか、そういうことに目を配り主張して大学の方針を決めるのが、教員の役職者や学生自治会や教職員組合の仕事で、それを抑制して経営や危機管理をするのが文科省を初めとした事務方の偉い方々の仕事と大変大ざっぱな区分を考えていて、それは両方必要なのに、このところの教育大のあり方では、後者ばかりが優先されて、車の両輪が片方だけになっていそうだから、まともに走れないんじゃないか

と書きましたが、その実態はこのチラシの原稿のようになります。(チラシをクリックしたら、大きくなります。)

実はチラシの原稿を作っていて、一番げっそり落ちこんだのはこれを作っている時です。
全部すでに公開されて知っていたことではありましたが、こうやってまとめてみると、インパクトがすごすぎた。

このチラシの原稿にも書いているように、私はこの状況が、寺尾前学長や櫻井現学長が、意図的に作ったものではないと思っています。他の役職者の方もそうでしょう。
ただ、学長の権限の突然の増大にともなって、学内の機構や組織は片はしから作り変え、規則も規約も手続きも変更しなければならない状況が続いたし、充分な予測や検討をする時間もない中で、混乱を避けよう、治安を保とうという意識が優先し、そして文言や条文には現れない互いの信頼関係がなかったら、上に立つ人たちの防衛本能が優先して、自然とこういうことになってしまうのだろうと思います。ミステリにある、偶然ひとりでに出来てしまった密室のように。

そのようにして生まれた、この状況は、ごらんのように、誰にとっても、あまりに救いがありません。
その中に現におられる方々を思うと、私が落ちこむのもぜいたくな気がしますが、それでも本当に気持ちが暗くなります。

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カツジ猫