福岡教育大学物語8-ことの起こりはいつ?

福岡教育大が今のような事態になった、そもそもの起こりはいつかというと、いろいろ意見はあるだろうが、最高裁で「不当労働行為」が確定した寺尾前学長が、学長選で選出されて、学長に就任したのが、始まりと言えば始まりだろう。

もう十年ばかり前で、私も在職していた。当時の学長はまだ若い人で一期目で、特に大きな問題や失点もなかったから、再選されるだろうと何となく思っていた。(学長の任期は四年で、再選されたらあと二年やれる。今は規程が変わって、四年でおしまいで再選はないそうだ。)

教育大はたとえば誰かの派閥とか、そういうものや対立はなかった。組合にもほとんどの教員が参加し、その中には各政党の支持者がいたし、執行委員は毎年いろんな人がやっていた。役職についたら組合はやめるが、組合費の分は寄付というかたちで収める人が多かった。

とは言え、一番大きな対立と言えば、組合に対する親近感と、反感であって、それは結局、政治的思想的な立場というか好みの、革新と保守の対立とも重なるところが多かった。私の見る感じでは、組合が特に革新的であるとさえ思えなかったが、やはり大きな勢力ではあったから、それが大学を牛耳っているという感覚を持って反発する人もいた。それはむしろ、主流に対する反主流の不満だったと私には思える。

しかし、講座でも大学全体でも、組合と反組合が常に鮮明に対立するという図式はなく、むしろ私が役職者(人文系の第一部の主事=学部長みたいなもの)だったときの、菰口学長は生協設立に尽力し、むなかた九条の会の初代世話人代表でもあったが、(相当いやいや)学長に選ばれた直後の、役職者の親睦会で、「生協に参加するとソ連に金が流れる」と学生に言っておられた保守そのものの先生と「大学のためにがんばりましょう」と手をとりあっておたがいに感動しつつ飲んでおられて、事実その後の改革委員会をはじめとした学内運営で、私はそういう保守派の先生方とも大変信頼しあって、仕事をしてきた。

おおむね、そのように、いろんな議案や選挙で対立しても、それはそれで協力するときにはするし、信頼もしあうという関係は保たれていた。大学をめぐる状況は厳しく、各学部の対立や個人的な好悪もあったが、それは永久不変とか恒常的なものにはなってなかった。

私は自分が執行委員や書記長をしていたころでも、あまり真剣に組合活動をしていたわけではなく、学長選でも特に何かをしたことはないから詳しいことはわからない。ただ、そのときの若い学長は言ってみれば組合に近い立場の(と言っても組合と学長は団体交渉などでは、きちんと対立していたが)人だったから、組合に批判的な人たちは対立候補を出すだろうと漠然と思った。その候補が寺尾先生と聞いたときは、これこそ漠然とした印象だが、もっと候補になりそうな人は何人かいたので、そういう人は皆、断ったのかなと思い、寺尾先生を少し気の毒に思った。もともと教育大に特に派閥はないし、カリスマのような人がいるわけでもないが、寺尾先生も教授会で発言されることはあったが、もっとアクの強い、うるさいメンバーは、組合反組合にかかわらず、いくらでもいた。

結果として寺尾先生が当選し、学長になった。少し前から規程が変わって、事務職員も投票できるようになり、それは上司の束縛も強いから反組合の票になるとか、いろんな話はあったが、詳しいことはわからない。ただ、くり返すが、その時の学長に大きな問題はなかった一方、だからこそ健全に批判も行われていて、いわゆる組合の中心の先生方も、安心半分、距離感半分で、ものすごく危機感を抱いて熱心に当時の現学長を支持し応援する体制はとれてなかったのかもしれない。

私が強烈に覚えているのは、私の周囲には組合を全面的に支持し、政治的思想的にも左翼だかリベラルだかという人は多かったのだが、その中の何人もが、学長選投票の当日に旅行や私用で投票できないと言っていて、事実そうしたことだ。多分不在者投票の制度はなかったから、当日の限られた時間にどこかに行って、投票しなくてはならなかったのだと思う。言いかえれば、そのくらい、のんきな選挙でもあった。

私はその何人かに、冗談半分本気半分で、「あなたの棄権で結果が変わるかもしれないから、棄権するのは勝手だが、その後どんな状況になっても、少なくとも私の前ではいっさい文句も愚痴も言うなよ」とすごんだものだ。

その後、教育大がおかれて来た状況の不幸さやひどさを思うと、毎週非常勤で大学に行くたびに、誰かから嘆きや怒りや愚痴を聞かされるのに、とてもその時すごんだことは口に出せない。だいたい誰が棄権したか、もう私は忘れている。

ただ、私は今の国政選挙や地方選挙のたびに、投票に行かない人たちに「えらそうにあきらめたり無気力になったり無関心になったりしているのは勝手だが、その結果、貧困にあえいで道端でのたれ死にしようが、戦争に巻き込まれて頭上から爆弾が降って自分も家族も恋人も手足もぎとられてずたずたになっても、いっさい文句も愚痴もぬかすなよ、少なくとも私の前ではな」と、ひそかに同じ毒づきはしているので、いや皆さん、あらゆる選挙には万難を排して投票には行きましょうね。もう亡くなられたかしれないけど、ものすごく高齢の共産党員の女性歌人の、かような歌もあることだし。

這うこともできなくなったが手にはまだ平和を守る一票がある

とは言っても、もちろん、その学長選の結果は、何かの始まりではあっても決して終わりだったわけではなく、「問題がある学長なら、次の選挙で代えればいい」という感覚も漠然と皆の中にはあったかもしれない。だって、それまでがずっと、そうだったから。
でも、もうそうはならなかった、というのが次回のお話。本当に民主主義なんて、幸運の女神の前髪みたいに、つかみそこねて手放したら、再度つかむには、ものすごいエネルギーが必要になります。長い目で手抜きしたいなら、目の前の手抜きをしちゃいけません。

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カツジ猫