福岡教育大学物語21-不当判決?

あっ、ひとつ大事なことを書き忘れていましたが、寺尾前学長は、さきの3月末に副学長をやめられました。寺尾先生の学長時代に「不当労働行為」があったという最高裁判決が確定した直後なので、その影響だろうと見ていて思うのですが、櫻井学長の評議会での報告では「半年ほど前から寺尾副学長は辞職の意志を示していたが、櫻井が慰留し続けていた」とのことです。

「つまり不当労働行為の責任をとってやめるわけではない。反省も謝罪もなし。退職金ももちろんしっかりもらうことになる」「本来なら辞職ではなく解雇すべき」と、反対派の先生方は怒っておられます。

もう私の感覚はどうせぶっ飛んでいておかしいのだろうと思いますが、せっかく半年前から辞職したくて、この時期におやめになるのなら、ちょうどいいから、「責任とって反省と謝罪のためにやめる」ことにした方が、八方とは行かなくても二三方ぐらいは、うまく収まるのじゃないんですかねえ。それじゃ退職金がなくなるのでしょうか。そんなこともないと思いますが、仮にまあ私の財布が痛むわけじゃないから言うのもなんですが、そういう責任とるかたちでやめられるのでしたら、退職金の数千万ぐらい持ってって下さっても私は文句はないですよ。いやそりゃもちろん、惜しいけど。

ただ、いまだに、この判決について、大学側の公式の見解はなく、組合の先生方が謝罪や反省を要求したら、「そんなことは判決文には書いてないから、必要ない」と執行部の先生方(学長もかな。どっちみち当然、学長のご意向でしょう)はおっしゃるそうです。
いやしかし、謝罪も反省も必要ないということなら、「判決は不当である。遺憾である。国家による大学への暴力である」とか何とかいう抗議声明を出すべきではないでしょうか。

「あんたんとこの学長は、雇っている先生を不当に差別し、人権を侵害した」と司法機関にもろに言われるって、大変恥ずかしく、屈辱的なことで、恥をかかされたわけでしょう。
言ってみりゃ、食堂が「おたくのランチには有害物質が入ってます」と、保健所から通達されたに等しい。ニュースで流れ、店の表に貼り紙されたにも等しい。何の反応も対応もしないまま、営業続けますかね。とてもじゃないけど、もうまさか。

納得できないなら、反論、抗議など何らかの見解を示すべきでしょう。学生や保護者や市民に対してでも。大学がこの件をどう考えているのか、わからないままに、そこで働くのも勉強するのも、そりゃ恐いですよ。「もうしません」とも「まだします」とも「考え中です」とも何も言われないままなわけなんですから。

それに、大学の公式ホームページには、この「不当労働行為」の判決を「不服として上訴した」という記事が、高裁、最高裁と控訴するたび、毎回きちんとしっかり掲載公開されていました。
つまり「学長が教員を不当に差別し、多大な被害を与えたという判決が出ましたが、我々大学は、そんなことはないと思っています。この判決には納得できないし従えません。だから、もっと上の機関に訴えて、正しい判決が出るのを待っています!」という宣言を、ちゃんと公表しつづけていたわけです。

それが、最高裁で、「やっぱり、おたくの学長は教員や組合を差別し、法律に違反してます。はい、これ最終的な確定です」という結論が出たら、それまでの、このことに関する記事は全部消え、もちろんその最終的な結果も掲載されませんでした。多分、今もそのままです。

よく、裁判のニュースをテレビで見てると、裁判所の判決が出たとたん、弁護士さんか誰かが「不当判決」と書かれた大きな白い紙持ってかけ出してきて、皆に見せるじゃないですか。そのあとで会見開いて、残念ですとかひどい判決ですとかマスメディアに言うじゃありませんか。

それが普通でしょう。どっちでもいいんですよ。「この結果を真摯に受け止め、今後に活かします」でも、「誠に遺憾な不当判決で、怒りを禁じ得ません」でも、どっちでもいいでしょそんなもん。賠償金があるわけでもなし、どっちを言ってもタダですよ。それをしない理由が私にはわからない。それをしないままの大学と学長のもとで、安心して暮らしている学生や教職員や市民の気持ちもわからない。ついでに毎度のことながら、教育大学で教員養成してるっちゅうのに、生徒指導で、「反省してるのか、文句があるのか、どっちなんだ」と生徒に言わなきゃならない仕事を教えてるのに、大丈夫なんすかそこんとこも。

いやまあ、私は詳しい事情を知りませんからね、何かよっぽど、わけがあるのかもしれないし、見落としてることがあるのかもしれません。ご存じのかたはどうか教えて下さい。すぐに公開して、謝罪して、訂正しますから。この論文の最初に書いているように、私そういうの大好きですから(笑)。

 

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カツジ猫