福岡教育大学物語29-学生の皆さんへ

教育大の学生に授業のときにこのブログの話をした。毎回の授業の終わりの小レポートに感想を書いてくれる人もちらほらいる。授業で答える余裕がないので、ここで、その感想に答えることにする。

「学長も犠牲者だ、という発想はなかった」と書いてくれた人がいました。
この連載を始めたときから、この問題を考える時の、それが私の基本です。
さまざまな学長と教職員組合の対立の中で、私は組合の主張の方を支持しますし、寺尾先生、櫻井先生のなさったことには、しない方がよかったことが多かったと思っています。

しかし、どんな学長でも、自治体や国の指導者でも、批判されるべき失敗や過ちはあります。また、お人柄や私生活ということになれば、これまた誰でも言い出せばきりはなく、これまでの学長にも、非の打ち所がほぼない立派な方もおられましたが、いろいろな欠点や弱点をお持ちの方もありました。

寺尾先生の場合、一番の問題は、学長選挙の123対88の結果を無視して、自分を学長にしたことと私は思っています。もちろん、不当労働行為と最高裁が認めた、組合と複数の先生たちへの対応は問題ですが、これは、それに派生して起こったことです。寺尾先生ご自身がどこまで予想されておられたかはわかりませんが、これは、その後から現在にいたる救いようのない組合との関係のこじれ、そこから生まれるいろんな問題のはじまりでした。それはすべての先生、事務職員、学生、市民にまで影響を及ぼしています。

しかし、この選挙結果の無視は、法律違反ではないのです。この結果は文部科学省も、つまり政府も認めたもので、寺尾先生に落ち度も責任もないと言えばないです。
じゃ文部科学省や政府が悪いのかと言うと、彼らだって法律があるから認めざるを得ないのです。
その法律は国会で、決まりました。そんなに昔のことではありません。

「大学は、もっと社会の役に立つべきだ。議論ばかりしていて、なかなか決定できないから、もっと学長の権限を強くして、何でも学長が一人で決められるようにしよう」ということで、それまでの法律が国会で変えられました。
「学長の権限が強くなりすぎて、独裁状態にならないか」という疑問や質問も少しは出ましたが、大きな議論にはなりませんでした。マスコミも世間も話題にしなかったし、私でさえ、あまり真剣に聞いていませんでした。

社会の役に立つ学問や研究や教育って何だ。
議論ばかりして、なかなか決められない状態って悪いのか。
悪いなら、どこを直せばいいのか。
そういう議論をじっくりしなければならなかったのに。

全国の多くの大学では、学長はこのように法律が変わっても、教授会や選挙の結果を尊重し、それに従っています。その方が手間がかかっても苦労が多くても、結果として学内運営がうまく行くという判断でしょう。まあ私が学長でもそうしますね、皆に責任を押しつけられますし(冗談です)。
しかし、そう判断しなくてもいいわけだし、そっちの方がうまく行くかもしれない可能性もあるわけです。状況や事情もいろいろあるでしょうが、寺尾先生がそう考えたからと言って、私は責める気にはなれません。

そんな選択肢があって、そんな権力があったら、厳しい局面では使おうと思う人は多いでしょう。そんな選択肢を作り、そんな権力を与え、そんなことを許したのは、政府であり世論であり私自身です。

その結果、学内の対立は深まり、学長はいろんな強硬手段をとらざるを得なくなり、学内運営に欠かすことのできない、先生方の議論の深まりや意見の吸い上げが行われにくくなり、的確な方針や施策が作りにくくなりました。それを批判され攻撃されるのを防ごうとして、さらに議論の場を制限し意見の吸い上げに慎重にならざるを得なくなりました。

学長や執行部に協力的な先生方や事務職員に対し、「権力におもねる」「地位や保身や優遇に目がくらんだ」などの批判もきっとあるだろうと思います。しかし私はたかがこの大学程度の権力や地位や優遇に目がくらんで生き方を決めるほどに、教員や職員が情けないとは思えない。
その人たちを動かしているのは、基本的にはやはり事態を何とか収拾し、教育大をよりよい環境にできないかという思いだろうと考えます。
しかし、学内の多くの先生方の協力や共感を求めにくい、この状況で、それは非常に困難なことであり、つらいことでもあるはずです。誤解もされるし、孤立無援にもなるかもしれない。それでも、この人たちにこそ、目的と志を失わず、大学にとってよりよい道を考え続けてほしいと願います。

一方で、組合をはじめとして、学長や執行部と戦いつづける先生方は、大学が示すさまざまな提案を批判し、すべての協力を拒むように見えるかもしれません。学内の運営や歴史や、それぞれの専門分野に詳しい、大きな能力を持つ、このような人たちを活用できないのは大学にとって大変な損失であり、痛手です。この人たちの力を活用しない大学運営はどんなに難しく危険に満ちているか、見当もつきません。
それでも、このような先生方は大学や学長への批判はやめないだろうし、協力することもないでしょう。批判をひかえ、協力することは、大学や学長がこれまで行ってきた数々のこと、それを支える現体制を認めてしまうことにもつながりかねません。これはこれで、危険なことだと、私も思います。

学長や執行部、それに協力する人たちにとって、このような先生方への怒りや反感は強いかもしれません。それでも、どちらかが妥協し、歩み寄ることで状況を改善するなら、私は学長と執行部、要するに強い立場にいる方がそうするしかないのではないかと思っています。
ただ、それは非常に難しいでしょう。櫻井学長は、寺尾学長が作った体制の中で、それに守られて運営をして行くしかなかったのですから、それを修正することはとても勇気と工夫が必要なはずです。

長くなってしまったので、あとは、とても簡単に。
私はこの大学の状況に、教員は全員が真剣に精力的に向き合わねばならないと思う一方、事務職員の皆さんや、学生の皆さんは、できるだけ、まきこみたくはありません。
しかし、少なくとも、現状や実情は、限りなく知っておいてもらいたいと考えています。
その上で何をどう判断し、どう行動し、発言するかは、皆さんのひとりひとりが決めることです。

レポートに「私は昔から八方美人と言われる」と書いていた人がいましたが、私のこの分析?も、きっと八方美人と、めちゃくちゃ、あっちこっちから批判されるでしょう(笑)。
それでもなおかつ、この報告は、決して中立でも、無色透明でも、公平でもありません。世の中にそんなものはありません。中立とか無色とか言っているものは、だいたい怪しいし、ろくなものはないです。

これは私の見方に基づく、一方的な見解です。だから、他の先生や友だち、その他あらゆる情報と見比べて、検討して下さい。チラシやビラなど配っていたら、受け取って、読んで下さい。もちろん学長や大学執行部の意見も聞く機会があればぜひ聞いて下さい。

更に、かけ足で。またゆっくり書くかもしれないけど、とりあえず。

こういうことに関心を持ってほしいけど、専門の勉強は絶対に怠けないで下さい。学問をすることと社会や政治に関心を持つことは、時間的には両立はとても難しいですが、一方で両者は刺激しあって、深まります。たとえ卒業後何になるにしても、たとえ中途退学するとしても、大学で過ごし学問に触れたことは、絶対にすべてのことに関わる上での財産になり武器になる。どんなに短い間でも、それを身につけて下さい。

このようなことを、指導教員でも他の先生でも、気軽に話し議論できる人もいるでしょうが、先生たちの立場も意見もさまざまで、反応はいろいろだと思います。言いたくないこともおありだろうし、感情的になる方もおられるかもしれない。あなたの意見とちがったり、予想しない態度をとられても、失望しないで、尊敬と信頼と親愛の気持ちをどの先生に対しても持ちつづけて下さい。
専門の勉強以外では、教師にはあまり期待するものではありません(笑)。一方で、教師は生徒が育て、親は子が育て、政治家は国民が育てるものという一面もあります。あなたが、誠意を持って接すれば、教師もそれに応じて成長します。
でも、それは義務ではありませんからね。このことに限らず、ふだんからの話ですが、ひどすぎると思ったら、さっさと逃げるか、しかるべき相談者に訴えて下さい。

はじめに書いたように、学長や大学をこんな状況に追いやったのは、法律であり政治であり国民である私たちです。だから、選挙に行って下さい。国会の議論や決められる法律、政治家の姿勢が、結局は皆さんたちが教員免許をとれるかどうかのカリキュラムにつながり、特別支援学校を学内に作って市民や大学のお金をつぎこむ計画につながる。私たちの日常に、政治や選挙の一票は、まっすぐつながっています。

誰に入れていいかわからないなら、とりあえず、私のこのブログ、ツイッター、フェイスブックなどを見て参考にして下さい。あくまで他の情報も見て、考えて下さい。

私はともかく野党、それも一番現政権がいやがりそうな共産党に入れようと思っていますが、他の野党にもそれぞれ長所や魅力があります。

与党にしても、自民党も公明党も昔なら、それなりにいいところがありました。自民党は多彩で多様な意見や方向性を混在させていたし、戦争反対の人も多かったし、公明党は宗教がからんで反感を持たれやすいですが、それ故のひたむきさや熱情は日本では貴重な存在と思います。

しかし、特に安倍政権になってから、これは教育大の状況とみごとに重なりますが、議論をしない、反対意見を聞かない、使える権力は皆使って自分の方針を通すという、政府のやり方がひどくなりすぎています。これでは議論が深まらず、憲法でも自衛隊でも、どうするのが一番いいかの方法を考える環境が整えられません。
首相はひどく戦争をしたがっているようにしか私には見えないのですが、その理由をちゃんと話さないから、わかりません。だからますます不安です。

特に今回の選挙で勝利すれば、もしくは勝利しなくても追いつめられて、首相が成立させそうな「緊急事態条項」は、文句なしに超危険です。キンキュウジタイジョウコウと覚えておいてほしいほどです。
災害時の緊急対応を理由にしていますが(そういうのに災害を利用するのもまた、とてもいやですが)、これは「いざとなったら首相が何でも決定していい」というのに等しい独裁者を作る法案です。
そういうものを認めたらどうなるか、トップの「すみやかに決断できる」権利を許したら最後、そのトップも含めて皆がどんなに不幸になるか。
福岡教育大学で、その生きた教材を私たちは目にしたし、学びました。
せっかくだからそれをムダにしないためにも、この法案の危険さを広めることは、福岡教育大学に関わる人たち皆の責任じゃないでしょうかね。

かつて自民党が持っていた多彩さや多様さは、今はむしろ立憲民主党や国民民主党が持っています。昔は社民党の前の社会党がわりとそうだったのですよね。今は小さくなってしまったけれど、社民党にはその頃の自由さや明るさもそのまま残り、共産党と同じように平和を守る点では絶対に譲らない、なくなっては困る政党だと思います。
公明党は残念ながら今の自民党のブレーキとしての役割を果たせず、暴走をくいとめられていません。支持母体の創価学会員の中には、さすがのまじめさやいちずさから政府に反対し公明党に反対する人も出ていて、この人たちのような力が今後どれだけ大きくなって行くかを見守るしかありません。

危険でも不安でも、国民を信じて、ひとりひとりの意見を聞いて、議論をしながら決めて行くこと、要するに民主主義の基本的なルールを守ること。国でも大学でも結局はそこにしか希望はありません。
大学について言うなら、それぞれができる小さなことからでも、少しずつ変えて、よい方向をめざすしかありません。国についてもそうですが、さしあたりは、とにかく選挙の一票です。自分が票を入れたからって政治も国も変わらないとかいう人がいますが、どんだけ自分と選挙とを過大評価してるんですか(笑)。自分の意見がただちに国や世界を変えられないから何もしないなんて、独裁者にでもなりたいのかい。そんならせめてファンタジーのヒーローみたいに、山ん中かどっかで剣術か魔術の練習にでも日夜はげめよ。

と、だんだん雑談になりそうなので、ここまでに。また質問や意見があったら、いつでもどうぞ。歓迎します。

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カツジ猫