福岡教育大学物語5-学長選考のしくみ

今日は短めに。

学長の選び方って、法人化前は多分大学によっていろいろだったでしょうが、私のいた大学ではどこも一応選挙でした。あまり記憶が残ってなくて、誰が学長だったかもよく覚えていません。

多分わりとどこでもそうだったのじゃないかと思いますが、教育大でも学長は、むしろ定年前の先生の名誉職みたいな感じでした。それが、だんだん大学が忙しくなって仕事が大変になって来てからは、温厚な無難な老先生では無理な感じになり、少しだけ若い元気な先生がやるようになってきていました。

教育大の場合、推薦人が5人とか何人かいて、立候補して、複数いたら全学投票でした。学内からだけでなく、外部の人を推薦して立候補してもいいことになっていて、たしか私がこの大学に来た時は、そうやって、よそから見えた学長さんだったと思います。

学長の任期は四年です。再選されたら二年まではやれます。最長で六年は任期があります。
大学改革のはじまった最初のころ、私は一時期改革委員というのをしていて、これが学長室で学長直属のような会議でした。まあ言ってみれば一番、権力の中枢(笑)に近いところにいた時期でした。
で、その体験からくる感触なのですが、そのときの学長もしっかりした立派な人でしたが、メンバーの先生方の誰が学長になっても、そんなにおかしくはないぐらい、誰もが人柄も能力も立派だったと思います。

そのメンバーが特にすごかったわけではなく、要するに学長というのは、その程度のもので、誰がなってもそんなに問題はなかったし、特別な能力が必要でもありませんでした。学長に限らず、いろんな役職者は、まあ程度の差はありましたが、誰がやっても、それなりにつとまるような仕事でした。

本来、私たちの仕事は研究と教育です。学内政治や大学運営については全員、片手間のしろうとです。それでやれる程度の仕事でなければおかしいです。
私の回りで、いろんな役職についた人もつかなかった人もいますが、私の見る限り、それは時期や状況でたまたまその人になる場合が多く、ならないままだった人でも、もし学長やその他の役職についたら十分にやれただろうという感じでした。あの人がなった場合だけは考えられない、あり得ないというような人を、私はほとんど思い浮かべられません。

もちろん個性はそれぞれにありますから、誰がなるかによって、いろんなちがいは出るでしょうが、基本的な流れや手順にそうそうちがいはありません。誰がなったって、そう心配はなかったのです。

今の学長や前学長がめちゃくちゃ批判されていて、まあそれもしかたがないと思いますけど、そのお二人ぐらいの個性の強さやら対応の悪さやらは、以前の学長たちの中にもありました。相当に野心家でカリスマっぽい人もおられました。私はいろんな委員会で何人かの学長といっしょに仕事をしましたから、よく覚えています。

でも、それでもそんなに困らなかったのは、当時はけっこうワンマンで無茶な方が学長でも、そんなに好き勝手はできなかったからです。学長の権限は小さかったし、教授会の決定が最高の力を持っていましたから、いくらでも歯止めやチェックがききました。各種委員会の結論も尊重されていましたから、学長や役職者でも、それはひっくり返せませんでした。

学長が自分の意見や方針を通そうと思ったら、教授会や委員会にねばりづよく説明して、説得して、納得させなければならなかったのです。
それは、他ならぬ学長や役職者にとっても、とても幸せなことだったと私は思っています。たたかれたり、やりとりをくり返す中で、いろんな案の弱点は修正され、欠点は克服され、よいものになって行き、その中で学内の全員にその内容が浸透もしましたから。

最悪、そういうことをサボったり、無視したりすることを学長がくり返せば、次の学長選で落選させればよかったのです。

「大学を効率よく社会の役に立つようにしよう」「国のために便利なものに作りかえよう」ということで、国と社会が学長の権限を著しく強化し、教授会を形骸化した結果、これがまったくちがったことになりました。
名前は同じ学長でも、今の学長という地位は、昔のそれとはまったくの別物です。

独裁者と言えばそれもそうですが、別の言い方をすれば、昔のように「誰が学長になってもおかしくない」有能で誠実な先生方が委員会や教授会でしっかりと学長を補佐し協力していた分厚いスタッフを、皆はぎとられて孤立無援なのが、今の学長や大学のトップです。たいがい立派な人材でも、何していいかよくないか見当もつかないだろうし、どんどん感覚狂うのが普通でしょうよ。

 

 

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