福岡教育大学物語69-まとめてみなくちゃ、わからない
文章にまとめてみなければ、わからないことというのは、あるものです。
そういうのは、私だけかな。
寺尾前学長の「不当労働行為」について、チラシを作ろうとしていました。
最高裁から、「これは確かに不当労働行為である」と判決が出た後にも、それに対する見解も総括も何も大学からは出ていません。会議をして話し合ったことさえないそうです(「この件についての会議の内容を知りたい」と組合が資料開示を求めたら、「それについて話し合ったことはないから、記録は存在しない」と回答があったそうです)。
「それでは、また同じことが起こらないという保障はありますまいに」と書いていて、いきなり気がついたのは、
心配しなくても、起こらないんですよ、こういうことは今後、絶対に。
「不当労働行為」と最高裁に裁定されたのは、学長に批判や抗議をした教員が、大学院の研究科長(最高責任者、いわゆる大学院の学長みたいなもの)に、選挙で選ばれたり、全学でいろんな方針を決める大きな力を持つ評議会の評議員に講座から選出されたりした時に、絶対認めないで仕事をさせず、結局その職につかせなかった学長の行為でした。
ですが、もう、今後はこんなことは起こらない。なぜなら、学長はその後、規則を変えて、研究科長も評議員も、全部、教授会や講座の選出ではなく、学長の任命にしてしまったからです。
事態はこうやって、「不当労働行為」が起こらないように改善?されました。
そこに十分気づかずにいた自分のうかつさに、情けなくなりました。
状況の救いのなさにも。
昔、ローマかどこかで、「処女は死刑にしてはいけない」という法律があったため、処女は死刑の前にレイプされることになったという話を聞いた時に感じた脱力感や虚無感と似たものを感じます。
一応、チラシは作りましたが、そのやりきれなさが伝わりますかねえ…無理かもしれない。
チラシを大きくできない人のために、文章だけ、以下に引用します。
福岡教育大学。私たちの気がかりなこと(2)
「不当労働行為」は、くり返されないか?
寺尾前学長は2013年の再選後、その手続き(学内の投票結果を無視したこと)についての抗議行動(チラシの配布)に加わった教員を、大学院の研究科長(選挙で選出)として認めず、他の自分に批判的な意見を述べる教員も評議員などの役職者としての仕事をさせなかった。
このことについて福岡県労働委員会・厚生労働省中央労働委員会から、法律違反(不当労働行為)と判断され改善命令書が出された。ところが、その命令書を不服として、櫻井学長は国を相手に訴訟を起こした。そして、最終的には最高裁まで争った挙げ句に、大学側が完全に敗訴している。
その結果について学長や執行部はいっさい対応や今後の方針について話し合っておらず、命じられた通りの文面の文書を掲示したのみで、何の総括も行っていない。反省や謝罪、または労働委員会や裁判所に対する反論などもまったく公表していない。
法律違反と最高裁から断じられたこの状況を、
大学として今後どうするのかの発言がいっさいない以上、
同様のことがくり返されないという保障は何もない。
そして、現在では研究科長や評議員を初め、学内行政に関わるすべての役職は所属する組織の選出ではなく、学長指名となっており、教職員の意見を反映させる余地はまったくなくなった。
事実上、「不当労働行為」をするまでもなく、学内の意見を集約し反映させる機会をなくしてしまった。
その結果、末端の現状や批判や不満を汲み上げることが困難となり、学内行政が硬直化、不透明の一途をたどっている。
市民有志 (名前が入ります) 連絡先・090-