福岡教育大学物語70-危ない橋

教育大のお金の使い方についての、チラシの原稿です。
文章の部分だけは、下に大きくコピーしておきます。

福岡教育大学。私たちの気がかりなこと(3)

お金は有効に使われているのか?

この規模の大学としてはあり得ない、役職者の多さ。それに支払われる報酬。

2008年まで 副学長1 学長補佐4

2009~2013年 理事兼副学長3 副理事5

2014年~現在 理事兼副学長3 副学長7 副理事6

(2009年、寺尾学長就任から激増)

その他 2013年 アカデミックホール建設 1億円超

2014年 正門前に看板 260万円

プールの改修 短くなって公式記録が取れなくなる

2015年 英語名称変更 文法的におかしいと批判も。

ロゴマーク決定 307万円

2016年 寺尾学長の退職金一割増し

英語習得院 4000万以上の初期投資

 

学内の意見を十分に聞かず、専門分野の教員の協力体制も得られないまま、一方的に施策が決定されるため、投資が有効に活用できていない。

 優先順位、重要度、緊急度の判断もおかしい。

 

一方で、教員研究費の大幅削減、2年で4分の1に。

(2014年~2015年に連続して、前年の半額に。)

各種センターの統合により、職員は減少、体制は脆弱化。

教員の後任補充をせず、専任教官数は激減。

市の審議会委員やボランテイア活動に関わった先生たちも去った。

 

各分野での人手不足により、仕事が過重になり、教育や研究の質は低下せざるを得ない。地域との連携にもかげり。

 このままでは明るい未来がまったく見えない。

 

講習などで訪れた卒業生や学外者からは「草もぼうぼうで、建物内も暗く、さびれた雰囲気」と嘆かれている。

 

市民有志 (名前が入ります)

          連絡先 090-

 

お金と言えば、このチラシには書いていないのですが、以前にこの連載でも書いた、学園祭への芸能人招聘を櫻井学長が許可しなかったため、学生自治会が違約金を払い、学生たちが積み立てていた80万円が消えてしまったという話がありました。

前の記事を書いた時は気がつかなかったのですが、その後で考えると、この問題は別の面でも大きな危機をはらんでいます。

前の記事にも書いたように、櫻井先生の拒否の根拠は「芸人は教育大にふさわしくない」ということでした。この芸能人(ひょっこりはん)が、いろいろと教育的な活動にも携わっている上、これまでにも「芸人」にあたる人が学園祭に招かれた例はありますから、これは明らかに調査不足で、根拠にならない理由です。櫻井先生個人の責任だけではなく、周囲の方々も資料を調べて配慮するべき事柄でした。

これも前の記事に書いたことですが、このことに対し、自治会を初め学生は強い不満を持っていますが、それはまだ全体のものにはなっていませんし、何かの大きな運動に結びついてはいません。今のところは。

しかし油断はできません。私はあえて経営者の立場で発言しますが、今の自治会は福岡教育大学に限らず、いわゆる政治的色彩はまずないし、そういう行動もしません。私の知る限りでは、教育大の自治会の活動のほとんどすべては、大学祭の運営でした。もちろん、これも一年がかりの重要な仕事で、多大なエネルギーを要します。全クラスと全サークルが参加して、準備を進めて行きます。

いくら今の学生が政治や社会に興味がなく、団結して組織的な行動をしないと言っても、何かのきっかけで火がついたら、若さのエネルギーは途方もない力で爆発します。そうなったら手がつけられません。

そして、大学祭の行事に不用意な介入をするのは、この点でまったく危険な冒険です。
もう、覚えている人などほとんどいないでしょうが、昔、学園紛争が盛んだった時期、私のいた九州大学でも、それ以前は、ときどき十人程度のデモが行われていても、全学の学生の政治活動や社会参加への関心は、今と大して変わりませんでした。私は当時、共産党系と言われた民青系の自治会で役員をしていましたから、肌身にしみて、よく知っています。

それが、ジェット機墜落事件などを経て大きなデモやストライキに発展して行きますが、それよりもっと前の、そもそも全学の学生が関心を持って討論し抗議し団結しはじめたきっかけは、学園祭か寮祭かどっちか忘れましたけど、とにかくそれの際に仮装や神輿で市内を練り歩くパレードのコースが、交通規制のためとかで、従来の繁華街を外されたことでした。

これが大きな学生たちの怒りを呼び、運動につながり、ついに元の通りのコースが認められたのです。勝利に酔ったかのように、中洲や天神を行進する長い仮装行列を、私も沿道からずっと見ていました。当時は荒っぽい時代でしたから、張りぼての巨大な男性性器の神輿などもありました。ということは、やっぱり寮祭だったのかな。

その後の大きな学生運動、バリケードストにいたる、あれは入り口でした。政治や社会に関係なく、自分たちの祭りを守ろうという熱意と怒りが、自治会活動の基盤を作ったのです。

ついでに言いますと、これは私個人の総括ですが、それまで細々と営々と自治会活動を続けて来た私たち民青系の活動家たちの功績も決して否定はできなかったし、基盤を作ったとは思いますが、自治会活動に忙しく、普段の授業やクラスのつきあいに充分参加する間のなかった私たちは、結局その後、急激に燃え上がった学生全体のエネルギーとパワーを充分に分析もできず指揮もとれないまま、学生大会でも敗北し、急進的な全共闘系の指導者たちが、以後の学生運動の中心となりました。

彼らの多くは、それまでは普通の学生でした。だからこそ、多くの一般学生の気持ちをつかめたし、その心情も活かした運動ができたのです。当時は今では考えられないほど、共産党への拒否感や嫌悪感も強かったから、その点でも彼らの方が多くの学生を結集させることができました。
でも一方で、民青系や共産党系の活動家の持っていた、組織や運動についての判断や計算はその人たちには難しかった。その結果、やがて急進的になり四分五裂し、バリケードストに突入し、運動は崩壊し終焉しました。

このことについては、私の小説「従順すぎる妹」をごらんください。特に第2部。第4部のラストの方にも、ここで述べたような総括を、主人公が話しています。

両者が協力できなかったのは、無理だったとは言え、残念なことでした。両方の持つ力が必要だったのです。
ともかく、その間、大学も学生も傷つき、その傷跡は長く残りました。

話を元に戻します。
そのいきさつを考える時、私は今の学生自治会がほとんどすべての力を注いでいる学園祭に軽率に大学が口や手を出すことは、本当に慎重でなくてはならないと思うのです。火種としては、これ以上のものはありません。学生運動に限りませんが、抵抗運動でも一揆でも革命でも、盛り上がる時は一気です。私たち民青系の自治会が敗北したように、そうやって進んで行く中では、穏健派さえはじき飛ばされ、急進派の暴走が止まらなくなります。

櫻井学長と大学当局のなさったことは、その点では本当に危ない橋をわたったとしか言いようがありません。いや、橋を渡りきってしまったのか無事なのかも私にはわかりません。不満が学生の中に蓄積されたら、いつ、どんなかたちで爆発するかは、彼ら自身にもわかりますまい。そうなった時の悲劇は、予想もつきません。

次期学長がどなたになるにしても、このような点での学長の権限の行使については、慎重すぎるほど慎重であっていただきたいと、あらためて強く希望するものです。

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