小説「散文家たち」第31章 捜査会議

暗い、果てしない荒野の上を、一面の雲がおおっている。
低くたれこめた、その雲を引き裂いて、稲光が赤くはためく。
腰までかかる白髪を振り乱した背の高い女が一人、その空の下をよろめくように歩いている。
袖もすそも、ちぎれてたれさがっている長い衣は、以前は豪奢だったらしい赤と金色だが、今、それは泥で汚れて見るかげもない。
天を仰いで青ざめた顔に、狂ったような大きな目が見開かれている。

「岡林由記先生、『リア王』の舞台より。一九七一年春」等身大のカラ-写真が入っている、あちこち塗料のはげおちかけた古びた額ぶちについた、小さい説明の文字を斎藤眉美が声を出して読んだ。「きれいな人だね。ちょっと朝倉部長に似てるか?」
「でも、なんかもっと、もろい、アブナい感じ」和子が首をかしげて横からのぞきこみながら言った。「この劇、やった少し後で、本当に気が狂ってしまったんだろ?あんたのおばさんの手紙によるとさ」
「うん。でも、それ知ってるから、そういう風に見えるのかもよ」
「お二人さん!会議、はじまるよ!」廊下の向かい側のへやから竜子が呼ぶ。
二人はあわてて、トロフィ-や古い校舎の模型などが飾られている、ひっそりと暗い記念品室を出て、向かいの小会議室に入って行った。
図書館の二階の、この会議室は、学生が使う時は、ほんとはけっこういろいろ面倒な手続きがいる。しかし、夏休みであることもあって、司書の荒川先生が「片目つぶっといてあげるわよ」と言ってくれたので、今日一日、借りられることになったのだった。
ホワイトボ-ドと楕円形の長いテ-ブル、それにパイプ椅子だけのすっきりした会議室は、窓までが曇りガラスで外が見えず、まるで宇宙船の中のようだった。
数名の、帰省している者を除いたいつものメンバ-の演劇部員は全員、椅子に座っている。さつきが指で皆を数えて頭数を確認すると、ドアを閉めて中からカギをかけた。
「出席予定の者は皆来てるわ」彼女は椅子に座りながら、かたわらに立った京子を見上げて、報告した。

「これは一応、部会だけど」朝倉京子は立ったまま、皆を見回した。「いつもと場所を変えたのは、誰にも邪魔されずに、この四月からのいろんなことについて報告し、皆の意見を聞きたかったからなの」
何人かがうなずき、何人かは顔を見合わせる。京子は続けた。
「四月に『ハムレット』の練習中、事故が起こって私たちは地下の部室に移った。でも事故はそのあとも、起こりつづけた。そのためかどうか、演劇部は何かに呪われているという噂が流れ、それは、あの壁画に関係があるとか、昔死んだ女の子の霊だとか言われているわ。そして、あの壁画が描かれた事情を調査している内、実際にほぼ三十数年前に、あの図書館のテラスから落下して死んだ生徒がいることがわかった。関喜志子と言って、当時十七才だった」
ほとんどの少女たちが、唖然とした表情になり、身じろぎして近くの者と顔を見合わせる。立花朝子や緑川優子などは、はっきり脅えた顔になった。
落ち着いた声で、京子はつづける。
「この事件は、他殺でも自殺でもなく、事故として処理された。その時の刑事はもう死んでいたけれど、その奥さんに会うことができた。彼女の記憶では、この事故には目撃者があった───那須野さん、あなたから話してくれるわね?」
遼子がうなずき、立ち上がった。
「目撃者の名は白里愛子。当時は会社員でした。刑事の奥さんが、あとで思い出して電話をくれたので、藻波市の電話帳でチェックして見たら、今も独身で、岬にある漁業組合の事務員になっていました。訪ねて行ったら、元気なおばさんで、当時のことをよく覚えていました。彼女はあの夜、ボ-イフレンドと会っていて、図書館のテラスがよく見える浜辺にいたそうです」遼子はポケットからメモを取り出し、のぞいた。「夜の十時を二三分回った頃、白い、人のような姿が、テラスから下に落ちるのがはっきり見えた。人間かなと思ったけれど暗かったし、夜にそんなところで男といっしょにいたと噂になるのがいやだったから、その時はそのままにした。でも、次の日に新聞で事件のことを知って警察に届け出た。検死結果ともほぼ符合して、それで死亡時刻が確定できたんです。警察は彼女に配慮して、目撃者に関する記事を伏せてくれた。だから、当時の新聞をチェックしても出てこないんです。死亡時刻が、えらく細かく発表されていたので、おかしいとは思っていたけど」
「その時間、図書館には彼女しかいなかったし、その夜は図書館の前で学生大会が開かれていて、周囲は人でいっぱいで、誰にも見られずに中に入るのは不可能に近かったから他殺の線が消えたんです」朱実がつけ加える。
「じゃ、その──関喜志子さんは、どうして中に入ったんです?」眉美が聞いた。
「彼女は図書委員会の委員長だった」京子が答えた。「図書の整理の仕事があって、連日、一人で図書館に詰めてた。そのことについては次に話すわ。那須野さん、報告は、それだけでいい?」
「あとひとつ、ちょっと気になることがありますが、それはあとで話します」
「ありがとう」京子はうなずき、遼子が座ると、また皆を見回した。「ところで、そもそも調査していた、壁画の作者のことだけど、これはほぼ数名の候補者に現在、しぼりこまれている。皆、関さんの事故が起きたのとほぼ同時代───今から三十年前に、在学していたことになっているわ。その頃に集中しているのは、偶然ではないの。この時期は、大学紛争のあおりで、この高校でもウ-マンリブの運動や政治活動が盛んだった。その中心となっていたのが、図書委員会だった。でも、関さんの死をきっかけに、図書委員会は崩壊し、いろいろな運動も分裂し、混乱する。退学者も、自殺未遂者も出たし、当時の学長岡林先生は精神的におかしくなって、辞職され、入院された。最悪の暗黒と混乱の時代と言う人もいる。卒業生にも連絡のとれない、行方不明の人が多い。壁画の作者として名があがった人で、それ以前やそれ以後の人は皆、消息がわかって連絡がとれて、結局、皆ちがっていたのだけれど、この三十年以前の時代の人たちは連絡がとれず、確認のしようがないのよ」
「───ママの時代だわ」浅見司が隣の眉美にささやいた。
「あたしの叔母も、いたはず」眉美が首をすくめる。「でもォ、そんな大変な時代だったなんて、ちっとも知らなかった」
「うん、うちのママの話聞いてると、そんなに別にどうってことない、普通の高校生活だったみたいだけどなあ」
「図書委員会については、村上さんから報告してもらうわ」京子はそう言って腰を下ろし、立とうとしたセイを手で制して、座ったままでいいと合図した。
「───関さんの事故が起こった一九七〇年頃、図書委員会は学内で最も力と権威を持つ学生組織でした」セイは机の上に置いたノ-トパソコンのキイをたたきながら、画面を見ていた。「それは『蘭の会』とも呼ばれていて、現在の生徒会、サ-クル会議、寮委員会をあわせたと同じような存在だったみたいです」
「少し前の、わが演劇部と同じようなもんと思えばいいのかな?」腕を組んで、椅子の背によりかかった峯竜子が、太い声で聞く。
「それ以上かも───」セイは答えた。「特に、この委員会は図書館に入れる本の選択を、ほぼ全面的にまかされていたんです。それだけに、メンバ-の読書量や博識ぶりも並みじゃなかったようですね」
「何人ぐらい、いたんです?」和子が尋ねる。「名前とか、わかるんですか?」
「人数は十二名。名前なんだけど、やっかいなことに、この人たちは皆それぞれ、愛称というかペンネ-ムがあって、それを使うことが多かった。もともとは、図書館の本の受け入れを決定する会議の時に、誰が賛成し反対したかが外部にもれないように、会議の記録をペンネ-ムで発表してたのが始まりだったらしいんですけど、七十年代には、それはもうかたちだけで、誰が何のペンネ-ムかってことは、学内じゃ皆知ってたみたいです。だから、なおのこと、ふだんでも、その名でしか呼んでいなかったらしくて、何の記録を見ても、なかなか本名が出てこない」
「ペンネ-ムから、本名の見当つく人とかいない?」奈々子が聞く。
「一応、全員、言ってみようか」セイは画面を読み上げた。「ラントナック。タレ-ラン。ロ-ランサン。アルデバラン。オランプ。アスラン。ランボ-。オ-ランド-。ランスロット。アラン・ナデ-ル。森蘭丸。ブランカ」

ざわめき、ため息、まいったというような笑い声。「冗談きついな」としのぶが首を振って言った。「それって、蘭の会だから、全員『ラン』が入ってるんですかね?」
「歴代こうだったのか、この時だけなのかはわからないけど」セイが答える。「何人かは確認できたのよ。たとえば関さん───死んだ彼女は、アスランだった。ラントナックは根岸昌代。アルデバランは原須美子。今のところは、名前がわかるのは、この三人だけなのよね」
みどりが、何か言おうとして口を開きかけたが、その前に優子が聞いた。
「その、根岸さんと、原さんの現住所は?」
「例によって、消息不明」
あっちこっちで、ため息が起こった。
「関喜志子の死とともに、図書委員会は事実上、活動を停止しています」セイはつづけた。「次期の委員は選ばれませんでした。委員会自体がまもなく廃止されています。この間の事情については、まだわからないことが多いんですが、ひとつ、目立った事件としては、例の図書館の本の大量処分事件があります。病的とか不健康とか先生たちが判断した本のすべてが廃棄されて、図書館の本棚は一時期ガラガラになったと言われている、あの事件ですね。この時、図書委員会は壊滅状態だった。しかも現在のような寮委員会、サ-クル会議、生徒会というような体制はまだできていなかった。学生たちも無気力になっていて、先生たちのすることに逆らう者はいなかったそうです」
「ある意味じゃ、それは今でもつづいているわな」竜子がつぶやく。「先生たちの言いなりになるってのはさ」
「その時の学長は?」眉美がせきこんで聞いた。「その人がそういう処分をしたんでしょう?その人に聞いたら、何か事情がもっとわかるんじゃないんですか?」
「武元先生という、その当時でもかなりお年を召した方で、もうとっくに亡くなっておられるの」京子が言った。「岡林先生が倒れて入院された後、その混乱の収拾のためにかつぎ出されたような方で、当時のいろんなことには実際にはほとんどタッチしておられなかったようなのよ。もちろん、そういう処分って、誰かがやったのにはちがいないんでしょうけどね───ただ、向坂先生とか石田先生とか、古くからいらっしゃる先生が、私や美沙の質問に答えて、しぶしぶ話して下さったことでは、何となく、その頃は職員会議も疲れていて投げやりで、誰かがリ-ダ-シップをとったとかいうよりも、とにかくもう、学生がおとなしくなるようなことを、どんどん皆で決めちゃったってことらしいの。そして、向坂先生なんか一番古い先生だけど、それでも当時はまだ自分は新米で、関さんの事件も図書館のことも、あまりよくわからなかったし、ほとんど覚えていないっておっしゃるの。真剣にそういうことに関わった先生方は、嫌気がさして、その後すぐ、次々やめて行かれたらしくて」
「向坂先生はさ」さつきがつけ加えた。「こう、おっしゃったんだよね。『何があったか、今でもわからないけれど、ただ麗泉学院の歴史の中で、何かがあの時、死に絶えたのではなかったかと思うことがある。自分は、何者かの墓場にいるという気持ちが、そのあと何年間もずっとしていた───』って」

テ-ブルの回りには、しばらく沈黙が広がった。目を伏せている者は一人もいない。皆が落ち着かない不安げな目で、近くにいる者とそれぞれ顔を見合わせている。
日村通子が、ためらいがちに、せきばらいした。
「まだ、何となく、よくのみこめませんわ───その図書委員会が、そんなにあっさり滅びてしまったのは、なぜですの?それだけの伝統と力を持っていたのでしょう?関さんとおっしゃる方が、仮にどんなに偉大なリ-ダ-だったにせよ、その方一人がいなくなっただけで、そこまで崩壊してしまうものでしょうかしら?」
「記録や資料がほとんど残っていないから、ある程度は推測になるけれど」京子は、ちょっと目を伏せた。「関さんの死ぬ少し前、ある本を図書館に購入するかどうかをめぐって、かなり学内がもめていたらしいの。宮本エリザの『クラッシュされたミ-トパイ』という本の名前が何度も出てきて、この本の購入を主張した関さんは、そのことで学生裁判にかけられたらしいのよ。そして、その本の購入は認められず、これが、図書委員会が購入を決定した本が図書館に入らなかった最初の例になったようね」
「その本を入れるかどうかで、どうしてそんなに、もめたんでしょう?」みどりが小さい声で聞いた。
「猥褻すぎたかららしいの」京子は、再び顔を上げ、静かに皆を見渡した。「今ならそれほど、どうということもなかったんでしょうけれどね。美少年がレイプされる場面なんかが、ひっきりなしに出てくるような内容で、残酷な描写も多く、当時としては過激すぎると思われたらしくて」
「その本って、今も読めるんですか?」朝子がおずおず質問した。
京子は首を振る。
「出版されてないどころか、本屋さんや図書館の人、誰に聞いても、そんな作品があったことさえ知らないの。そもそも、ほんとに存在したのかどうかさえ、疑わしいぐらいだわ。ひょっとしたら、これも記録の上でのペンネ-ムのような呼び名で、本当の作品名はちがうのだったら、もうお手上げね」
「ポルノの流行───それをきっかけに、それまで大きな力を持っていたグル-プが、没落して、消滅する──」浅見司が、唇をかんだ。「今、起こっていることと、何か似てますよね」
「あたしたちゃまだ、消滅はしとらんぞ」竜子がうなった。「それに、前回のその、図書委員会の崩壊の時には、何かの呪いだの何だのって噂はなかったんだろ?」
「記録を見る限りでは、まったくないわね、それは」美沙が答えた。「時代が時代だったからかもしれないわ。奈良橋先生がいつか授業中におっしゃったこと、覚えていない?このごろ、ラジオやテレビの番組で、風水とか占いの相談やったりすることがあるでしょう?あんなこと、三十年前だったら絶対に考えられなかったって。公共の放送で、そういう非科学的なこと持ち出すなんて、あり得なかったって。そのかわり、性の解放が叫ばれていた時代で、たとえば映画なんかでも、今だったら初めから終わりまで主役の男女が裸にならない映画って、けっこうあるわよね。三十年前には、それもあり得なかったって。どんなにロマンティックなラブスト-リ-でも、勇ましい冒険活劇でも、重々しい文芸大作でも、主人公たちがお尻まで丸出しにして、前にはモザイクのかかるようなオ-ルヌ-ドでベッドをぎいぎい言わせて激しいベッドシ-ンをするところが最低一回はなかったら映画じゃないって感じだったって。スピルバ-グの映画ぐらいから、だんだんそういうのがまったくない映画が登場しはじめて、奈良橋先生、ほっとしたっておっしゃってたけどね」
「それでいて、『クラッシュされたミ-トパイ』でしたっけ?それは過激すぎるって言われたんですか?」眉美がけげんそうに声をあげる。
「それぞれの時代の文化っていうか、皆が何にショックをうけるかってことは、微妙だし、難しいわ」美沙は小さい吐息をついた。「何を残酷と思うか、猥褻と思うか───何を悪ととるかって、時代によって、とても違うわ」
また、沈黙がひとりでに広がる。
「それでも、あの──」緑川優子が、やっと聞き取れるほどの小さい声でつぶやくように言った。「いつの──いつの時代にも悪と言えるものが、もしあるとしたら」
「うん、図書委員会を滅ぼしたものの背後に、何かそういうものがあるとしたら」和子が考えこんで、眉をひそめた。
「───サンド・クラブ・パ-ティ-?」日村通子が、目を伏せて、ほろ苦い笑みを浮かべた。
竜子が大きく身体をゆする。「もう、アホなこと言うんじゃないよ!」
「あら───だって、さっきから皆さん、その名を口に出そう出そうとして我慢していらっしゃるんじゃございません?」通子は細い白い指を唇にあてながら、ゆったりと身体を斜めにテ-ブルにもたせかけた。「あなたもそうじゃありませんこと、大西さん?」
「───て、いうか」和子は頭をこぶしでたたいた。「何かねえ、考えれば考えるほどですよ、あたしら誰かにいいように振り回されてるみたいな感じがしてきて、しょうがないんですよ。偶然にしちゃ、できすぎてることが、いっぱいあるような気がして。何か、大きな企みの一部にあてはめられてるみたいな、そんな感じがしちゃって」
京子が、かすかに眉をひそめて顔をそむける。たったそれだけのしぐさだったが、それでも皆が、ひやっとして、たじろいだ。しかし、和子はひるまずに、京子をしっかり見て言った。
「朝倉さん。思うんですけど、何かが、あたしたちをねらってて、何か企んでるんじゃないかってこと、認めちゃった方がよくないですか?もう、早いとこ、その気になって、対策たてる方が安全だってこと、ないんですかね?」
京子は吐息をひとつつくと、テ-ブルの上の書類を引き寄せ、立ち上がった。
「今日のところは、こちらから報告しておくことは一応それだけだし、皆さんからの質問も、そういうことしかないのなら、部会はこれで解散するわ。この世に存在しないものへの対策は、私のいないところでどうぞ皆さん、心ゆくまでお話し合いになってちょうだい」
「朝倉さん!」和子はあわてて、京子を押し止めようとした。「だって、あたしの言ってるのは、呪いとか、悪魔とか、そんなんじゃないですよ。あくまでも現実の───」
「誰もメンバ-の姿を見たこともなく、伝説でだけ語りつがれている、悪の組織が?」京子の声はもう明らかに、爆発寸前になっている、鋭いぴりぴりした冷やかさがみなぎっていた。「そんなものの、どこがいったい現実と言えるの?女こどもじゃあるまいし、ありもしないおとぎ話をでっちあげて、人をおどかしたり、自分も脅えたりするのなんて、時間の無駄もいいところだわ。そんなことして遊んでいる暇があったら、もっと現実を見つめて対処して、片づく謎から片づけて行けばどうなの?それをするのが恐いから、架空の巨大な悪の集団をでっちあげるのなんて、オカルト趣味より、始末が悪い!そう思わないの、大西さん?」
たじたじと目を伏せて、芋虫のように椅子の中にちぢこまってしまった和子を、もう見もせずに、京子は長い髪をひるがえすような勢いで、ドアをひきあけ、バタンと閉めて、荒々しくへやを出て行った。

まだ首をちぢめたまま、和子が皆を見回した。
「ひえ~、すみません」誰にともなく、彼女はあやまる。
「いいのよ。あなたが悪いんじゃない」美沙が慰めた。「それにしたって、本当に、京子の超合理主義、超科学主義、超現実主義、オカルトぎらいの神秘主義ぎらいは、いつもながら筋金入りねえ」
「みがきがかかったんじゃないのか、一段とさ」閉まったドアを見やって、さつきもぼやく。「女こどもじゃあるまいしとは恐れ入ったね。よく言うよ!ここにいるのは、あいつ自身も含めて皆、女で子どもだろうが。何考えているんだよまったく」
「バンコラン似は髪型だけかと思ってましたがね」竜子もつぶやく。「まあ、でも確かに、一応、これまでわかっていることの情報交換はできたわけですから、今日のところはこれでいいのかもしれませんが。あとはめいめい、これをもとにして、もっと調査をつづけるしかないでしょう。意見も、もっと出し合って」
皆、何となく落ち着かない顔でうなずく。しのぶが口ごもった。
「朝倉さん、大丈夫ですか?」
「大丈夫なんじゃないの?まあ、気持ちはわかるけど」さつきが、いたずらっぽく唇をゆがめた。「定番だもんね。オカルト映画の。ああやってさ、『幽霊なんているもんか!迷信に決まってるだろうが!?』とか言って、へやを出て行ったやつが必ず次の犠牲者なんだよな。普通だったら、今頃、京子は階段のあたりで何者かに首をもぎとられ──」
「もう、やめて下さいよ」新名朱実が顔をしかめた。
「あら、心配することないわ。朝倉さんがおとなしくそんなことされてるわけない」奈々子が鼻で笑った。「幽霊が出てきたら、彼女びしっと指をさしつけて、『あんたなんか存在しない!』ってきっぱり言うに決まってるでしょ。そうしたら幽霊の方も迫力負けして『そ、そうかなあ──』とかつぶやきながら、だんだん薄れて消えてっちゃうのよ」
「本当ですか?」苦笑だったが、ようやくしのぶが笑い、他の数人もつられて笑った。 「しかたがないのかもな」さつきが小さく口笛を吹く。「何しろ孔子さまだって言ってなかったっけか?『君子は怪力乱神を語らず』ってよ。京子が断固として現実しか見ないのも、きっとあいつが君子だからだ」
「でもね。大西さんが言ったとおり、悪魔や幽霊とサンド・クラブ・パ-ティ-とはちがうわ」美沙が、珍しく深刻な表情で言った。「それはやっぱり────」
「え、存在してるってか?」さつきが振り向く。
美沙は首を振った。「そりゃ、昔からめんめんと続く悪の組織なんて話はあんまりよ。でも、何かそれに類したものの存在って、ほんとにないと言い切れるかな?大西さんがさっき言っていたようなこと、あたしもずっと感じているの。ある人間───ある集団?組織?何かそういうものの意図が、どこかで働きつづけていると感じない?誰かが嘘をついていて───誰かがあたしたちをだましてて───何かがあたしたち皆をあやつっているみたいな───」
「この中の誰かがですか?」和子が聞いた。
皆が思わず、顔を上げる。言ったことばの反応に自分であわてて、和子は片手で口をおさえた。「いやあの、そのあの、ただちょっと、単につまり、そのですね───」
「やめろよなもう!」遼子が、吐き捨てるような口調で言った。「言ってる意味がわかってんのかよ?」
「あなた方に告げよう、このテ-ブルについている者たちの中に、裏切り者がいるのだと」日村通子が夢見るような小さい声で、聖書の文句を引用した。
「いいかげんにしろっつってっだろ」遼子がいらいらしたように、ひきしまった肩をゆする。
「ですけど、それも定番ですよね」司が不安そうにつぶやいた。「一番の敵の大物は、実は仲間の中にいた、ってパタ-ンは。たとえば───」
「司!」数人が声を上げた。「あんた、そこで、私たちのまだ読んでない小説とか、見てない映画の題名を、一つでも言ったら、殺すわよ!」
「あ、大丈夫です。あたしが考えてたのはアニメの───」
「おんなじ事だ、黙れ~!」
「ま、とにかくさ」司の両側の眉美とセイが、三月うさぎのお茶の会のように両側から司の頭を抱えておさえつけようとしているのを、横目で見ながら、さつきが美沙に向かって言った。「京子の言うのにも一理ある。悪の組織の何のって言う前に、まだまだ調べることはありそうだ。今日はこれで解散して、更に調査を進めようよ」
「ええ、ええ、『定番』シリ-ズで続けさせてもらうと、そうやっている内に、犯人が追い詰められて、あせるのよね。でもって、誰かに『この調査をやめろ』って脅迫状が届き、誰かが暗闇でぶんなぐられ、誰かが突然、原因不明の死をとげるんでしょ」美沙は、やけっぱちの声で言った。
さつきは笑った。「恐いかい?」
「あら!あたしが恐いのは、次の模擬試験の成績よ」美沙は悄然とした口調になった。「来年受験の高校三年が、それ以外の何がいったい恐いっていうのよ?前回の模試の成績ときたら惨憺たるものだったし、夏休みに塾と予備校の特別セミナ-に通って、これまでの遅れを取り戻そうと思っていたのに、この分じゃそれもどうなることやら。さつき、あたしもあんたも、受験生にあるまじき夏休みを送っているんですからね。京子があんなにカリカリしてるんだって、結局はそれが原因なのかもしれないわ」
「わかってる。だから、こんなくだらないごたごたは、絶対、夏の終わるまでには解決する」さつきは宣言した。「そして、秋の訪れとともに、健全な受験生らしく、受験勉強に突入するぞ!」
「とっても、遅すぎると思うけど」美沙は憂鬱そうに言った。

「朝倉さん!」
那須野遼子が走ってきて、京子に並んだ。少しだけ足をゆるめて、京子は顔をそちらに向ける。
「───もう、終わったの?」
「ええ」遼子はショ-トパンツのポケットに手をつっこんだ。「朝倉さんが出てってからすぐ」
「そう───」
二人は寮の食堂の方へ向かって歩いている。正面に真昼の夏の海が輝いていた。
「もう一つ報告しておくことが」遼子が海を見ながら言った。
京子が立ち止まる。
「───忘れていたわ。ごめんなさい」
「いいんです。どうせ、あそこじゃ話す気はあまりなかった」遼子は笑った。「目撃者に会いに行ったって言いましたよね?」
「白里さんて方のこと?」
「そう、そのおばさん、最初、あたしと朱実に会った時、めちゃくちゃ愛想が悪かったんです。まあね、朱実もあたしも、その気になれば感じよくできるから、結局は気を許していろいろ話してくれたけど、最初はひどかったんですよ。敵意に満ちてたと言いたいぐらいで。で、帰り際に、白里さん、あたしたちに謝って、『最初つっけんどんにして悪かったけど、麗泉についちゃ、ここ数年、このへんじゃ妙な噂があるもんだから』って弁解したんです。『あたしは信じちゃいないけどさ』なんて言ってたけど、初めの内は信じてたんだと思いますよ、その噂のこと」
「どういう噂なの?」
遼子は苦笑いした。「麗泉にゃ、魔女が住んでて、男の子をさらって生き血を吸い取る───ほら」京子が立ち止まって、けわしい目を向けたので、遼子はまぶしそうに目を細くして笑った。「あの場では言わない方が、よかったでしょう?」
「それは何か、根拠でもあるわけ?」
「あそこの漁業組合じゃ、あっちこっちの港に行く船乗りの人がたくさん出入りするから、この半島のあっちこっちの町の話が集まりやすいんですよ。それで、そんな噂が出たんでしょう。何でも、一年か二年前、裸で血まみれになった男の子が、岬の方の海岸を一人でふらふら歩いてて、『麗泉の女にヤクを打たれてレイプされた』って言ったらしいんです。ただのシンナ-中毒の暴走族の妄想だって、あまり相手にする人はいなかったらしいんですけどね。でも、それとは別に、上中島市のあたりで、小学生ぐらいの男の子が何日か行方不明になった後、気が変になったみたいになって帰ってきて、それも『麗泉で女の人たちにひどいことされた』って言うばっかりなんだそうです。他にも、それと似た話がいくつかあって───でも、船乗りのおじさんたちが、面白半分、冗談で言ってる部分もあるかもしれないんですけどね」遼子は京子の腕をつかんだ。「大丈夫ですか?顔、真っ青ですよ」
「風邪がまだ、直ってないのね」京子は弱々しく言って笑ったが、強い陽射しの中にいるのに、その身体は小刻みに震えていた。「その───その話、誰かにした?」
「いえ。してません」
「しばらく、誰にも言わないで」
「言いません」遼子はうなずき、気がかりそうに京子の顔を見た。「何か、心当たりがあるんですか?」
厳しい、暗いまなざしで海の方を見つめたまま、京子は黙って答えなかった。

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