小説「散文家たち」第12章 花束

音子姉さまへ
突然ですが、うちの演劇部はもう狂ったとしか思えません。
三つの公演をたてつづけに大成功させて、これであの厳しい処分もとけると学内の誰もが思ったのもつかのま、生徒会長の小石川さんと、生徒指導の細川先生が、この間に演劇部の起こしたささいな事故や規則違反を皆リストアップして問題にしたため、結局処分は取り消されなかったということは、前の手紙に書いたと思います。
このことについては、演劇部に同情する声も学内にはけっこうあります。それを知ってか知らずにか、処分がそのままとわかった次の日から、演劇部は、正気の沙汰とは思えないテンポで、学内至る所でありとあらゆるジャンルの劇を次々に上演しはじめました。
寮のホ-ルや食堂、図書館の玄関、果樹園の野外舞台、浜辺の階段、小川の土手、すべての空間が舞台になってしまっています。ホ-ル使用の許可や、これらの場所の使用については、先生たちもけっこう協力的なのです。今回の件で演劇部への同情が高まっていることもありますし、演劇部の皆の迫力に負けているということもあります。
この一週間に彼女たちが上演した劇のリストを同封しますから、ゆっくりごらんになってください。これらの劇は、よっぽど好評だったら少し長くつづけることもありますが、大抵は二日か三日でどんどん次の劇に交代してしまいます。
学内どこに行っても今はこの噂でもちきりで、「今度のあれ、見た?」という言葉がほとんど皆のあいさつがわりになっています。「勉強がおろそかになる」と心配する先生もいるようですが、でも、先生方は皆、今回、演劇部の処分が取り消されなかったことについて、同情というか、ひけめを感じていらっしゃるらしくて、まだ今のところ、どなたも何もおっしゃいません。
ですが、勉強と言えば、こんなことしていて演劇部の人たちはいったい、いつ勉強しているのでしょう?私のクラスには、三年になって受験勉強が気になるので、まだ部員ではあるけれど、事実上引退したという演劇部員が二人ほどいて、この人たちは朝倉さんたちのことを、「あの三人なら大丈夫だとは思うけれど───」と言いながらも、すごく心配しています。噂では、南条さんはこのごろしょっちゅう授業中居眠りしているし、朝倉さんも、この前初めて遅刻したそうです。(美尾さんはふだんから、遅刻も居眠りも常習犯ですから、判断材料になりません。)まあ、そうは言っても、三人とも、やっぱり成績はトップクラスなので、「あんまり心配していて、結局あの人たちは志望校に合格して、あたしたちは落ちたりしたら、それはそれでバカみたいだし」と、その元部員たちも複雑な表情をしていました。
姉さまも今は子育てが忙しくて、それどころではないかもしれないけれど、機会があったら演劇部の先輩として、彼女たちに何かアドバイスしてあげてください。
今度の日曜には帰ります。勇樹くんのお土産は何がいいですか?
聡子より

清香へ
あたしもう、毎日幸せっ!麗泉に入ってよかったっ!だってだって、演劇部のものすごい素敵なお芝居が、こんなに毎日見られるんだもの。ただ、どんどん上演作品が代わっちゃうので、よっぽど気をつけて走りまわらないと見のがしてしまいそうなんで、それだけが悩みです!
先週は「ふしぎの国のアリス」と「マイ・フェア・レディ」と「十二人の怒れる男」と「太平洋ベルトライン」と、あとまだ何かあったかなあ-。
「アリス」は何といっても、上月奈々子さんのアリスが、かわいくって最高でした。チェックのワンピ-スに白いエプロンして、赤い靴はいて、ふわふわカ-ルした髪とぱっちり大きな目で、那須野遼子さんのいかめしいハ-トの女王に面と向かって「何よっ、トランプのくせにっ!」てどなるとこなんて、まさに、はまり役。美尾さつきさんのチェシャ猫にも笑った笑った。「マイ・フェア・レディ」は日村通子さんが主役のイライザで、アスコット競馬の場面で上品な令嬢なのに下品な言葉がちらちら出るところなんか、笑わせるんだけど、なまめかしくて、きれいで、見ててぞくぞくしました。彼女のお父さん役の峯さんも、庶民のたくましさ!って感じではまってました。
「十二人の怒れる男」は、むずかしいかなって思ってたけど、そうでもなくて、いろいろ考えさせられたし、主役の子をはじめ、大西さん、斎藤さん、村上さん、皆いい味出してました。それに、南条さんや浅見さん、那須野さん、峯さんなどが、皆、背広姿でずらっとテ-ブルを囲んでいるっていうのも、なかなか絵になりました。
「太平洋ベルトライン」はほとんどが二人芝居で、長距離トラックの運転手と、それに乗せてもらうサラリ-マンの会話です。あたしのパパが、運送会社やってるもんでちょっと興味もって見てしまいました。これって、大西和子さんの運転手が最高で、作業服みたいなの着て、胸はだけて頭に手ぬぐいまいて、タバコくわえて演歌うたいながらハンドルにぎってるかっこうなんて、ド迫力で、大うけでした。
何しろ今もうあたしたち、演劇部から目がはなせません!状態です。
満里奈より

キノシタ先生へ
先生も私の手紙で、すっかりうちの演劇部のファンになってしまわれたようですね。
「若々しいお手紙で、老高校教師も青春を思い出して若返ります」なんて書いていただけると何かキョ-シュクしちゃいます。きっと書き方とかいっぱいまちがいがあると思うので、遠慮なく注意してください。多すぎて注意できないからアキラメテル?まあ、それならそれでもいいけどね~。
でも先生。本当言うと、うちの演劇部の劇って、どれも面白いのだけど、私が頭悪いせいか(「水鳥、おまえ、アッタマ悪いなあ~」って、先生にしょっちゅうアキレられてたもんね)、時々わけがわかんないのがあります。たとえば、ずっと寮のホ-ルでやっている「五つの誘惑」がそうです。
「一応オムニバス形式ですが、必ず最初から見るように」ってキャッチフレ-ズだったんだけど、私の入ってるテニス部が県大会に向けて猛練習中だったから、第一話と第二話は見られなかったんです。それでひとつはわけわかんなくなったのかもしれないんですけれど。
見た友だちに一応筋とか聞いてみたんですよ。でも、さすがは私の友だち(「おまえ、友だち選べってあれほど言ったろ~」って先生に言われそうなんだけど)というか、皆、「とにかくすごくよかった-。感激した-」とかばっかりで、筋が全然説明できないんだもん。
やっとこさ聞き出したところでは、第一話はナチスの収容所長の話で、その所長は清らかな人とか立派な人とか優しい人とかが囚人の中にいると、目の敵にしていじめまくって醜い行いをするしかないようにさせて、「化けの皮をはいでやった」と喜んでいたんだけど、ある時どうやっても屈伏させられない立派な囚人に会って、とうとう心を動かされ、とても小さいことだけど彼に対して人間的なふるまいをする、っていう話のようでした。 第二話は、自分の子どもを殺しちゃったり仲間を裏切って敵にひきわたしたりする、すごく悪い女の人の話で、でも調べていた刑事は次第に、彼女のそうした行動にはちゃんと理由があって、決して悪人じゃなかったことがわかるという筋だったらしいです。
テニス部が予選であっさり負けちゃったので、ようやく私も第三話と第四話を見ることができました。どっちも何だかすごかったです。特に第四話の方が。
第三話は、まだ笑えました。古代ロ-マって感じのある国の話で、すっごい残酷な皇帝がいて(浅見司っていう、超カワユイ一年生がやってましたが)、火あぶりやらはりつけやらライオンに食わせるやら、一日何百人単位でどんどん人を死刑にしちゃうし、きれいな女にはやたら手を出してみだらな遊びをしまくるし(そんな場面、ないですからね-、せりふで説明するだけですからね-、「おっ、楽しそうだなあ」なんてのりだしちゃだめですよ、先生-)、忠告する家来がいたら片っぱしから死刑にしちゃうし、もう、手のつけようがない暴君!
「どこが笑えるんだ?」って?これからです。
とうとう一人、こういう皇帝に、びしっ!と忠告をする家臣が出てくるんです。年取ったえらい家来が皆死刑になっちゃったので、若いのに重要な地位についてしまった人なんです。ところが、この人がまたちょっと変な人で、皇帝が、「こいつ自分とどっちが変かな-」って思ってとまどってる間に、だんだんだんだん、この人のペ-スにはまっていっちゃうんですよね。
この家来は別に全然、正義漢じゃないし人道主義者でもありません。ただもう、やたらきちょうめんなんです。「おまえ、二十世紀に生まれたら公務員のカガミだよなあ-っ」なんて他の家臣から言われたりして、客席は爆笑だったけど。
だから皇帝が「キリスト教徒を百人死刑だ-、はりつけだ-」とか言うと、この人、いきなりパピルスだか羊皮紙だかみたいな巻物を何本もかかえて、テ-ブルの上に広げて、「ま、待って下さい、急にそんなこと言われてもですね───今週のはりつけ柱はもうぎりぎりで、予定外の人数が入る余裕はありません!しかも、この後、火あぶりに使いますから五十本は燃えてしまうわけで、その補充をするとなると日程はどうしても───」とか、数字や予定表を山のように持ち出して、青くなって真剣に抗議するんです。とにかく二言目にはもう「書類が-!予定が-!手続きが-!」って。それで皇帝が「おまえも死刑だ-!」と言うと、他の家臣が今度は青くなって「それだけはおやめください。彼を殺してしまったら、この帝国の事務機構はマヒしてしまって何が何だかわからなくなってしまいます」って。けっこう有能な人でもあるんですよね。
それって、喜劇じゃないかって?かも、しれません。皆、本当によく笑ったし。
でも、皇帝がしかたがないからだんだんこの家臣のペ-スにはまってって、ひとりでに生活も健全に規則正しくなってって、女遊びもお酒もひかえるようになり、国全体がきちんとなってゆくのって、見ていて変に感動してしまいました。家臣には、国をよくしようとか、皇帝を改心させようとかいう気持ちはまったくなくて、ただ「書類が-!スケジュ-ルが-!きちんとしなきゃ-!」って必死になってるだけなのが、かえって変にサワヤカで。
もうラストに近く、星がきれいな宮殿のテラスで「おまえは書類を整理してると、ほんとに楽しそうだなあ」って皇帝が言うと、家臣が幸せそうに笑って「私は何もかもがきちんとしているのが、とても好きなんです。あの星のように、あるべき位置に何もかもが、きちんとあるのが。混乱して意味のないように見える数字の数々が帳簿の中で次第に意味を持ってきて、最後はきれいにゼロになる。そんなようにして、この世から去っていけたらいいなあと、いつも思っています」と語るシ-ンでは、誰ももう笑いませんでした。
この家臣をやったのは、二年生の村上セイさん。病気がちの弱々しい人ですけど、すごく独特の雰囲気があって、この相当変なキャラクタ-が変に見えませんでした。でも、見ていた二年生は皆、狂ったように笑っていて、どうしてかと思ったら、村上さんて実際にこのとおりの人らしいんです。演劇部の中で「予算が!スケジュ-ルが!」って、いつも髪かきむしっていて。「この劇は、セイをからかったお遊びよ」と二年生は皆言っていました。
長くなってしまったので、第四話のことはまた書きます。
先生も、お身体に気をつけてください。
水鳥霞より

マサトへ  マ-君がいつもあたしにSF小説って面白い、ロバ-ト・シェクリイがいいとか言って本も貸してくれてたけど、あたしあんまりよくわからないって、いつも言ってたよね。
でも、先週、誘われてうちの演劇部の劇見に行ったら、それがSFで、ロバ-ト・シェクリイの原作だって、もらった紙にあったから、マ-君思い出して、え~っ!ってなっちゃった。
その劇、けっこう面白かった。「女子校の演劇部?」ってマ-君バカにしそうだし、あたしもあんまりタカラヅカとか興味なかったから、今まで演劇部の公演見たことなかったんだけど、先週見てから病みつきになって、同じ劇三度も見に行っちゃった。
遭難した宇宙飛行士ふたりが、もう誰もいない星にたどりついて、飢え死にしそうなもんだから、前にその星にいた生きモノの食料倉庫みたいなとこに入って食べられるものがないかどうかさがすっていう、ただそれだけの、超カンタンな筋。時間も三十分ぐらいで短いし、出る人物はそのふたりだけ、なんだけど。
その星に前にいた生きモノってのがどんなのか全然わからないから、ふたりが何とか読める宇宙語で「たべられます」って書いてあるみたいな箱あけたら、中からピンクのぷよんぷよんしたものが出てきて、それがくすくす笑いだしたり、水だろうと思った液体がいきなりおそいかかってきたり。
でも、マ-君は、多分この話知ってるんだよね。「人間の手がまだ触れない」っていう題だったよ-。
その、ピンクのぷよんぷよんとか、おそいかかって来る水とかも、よくできていて笑えたんだけど、何て言ってもふたりの宇宙飛行士がね-、お笑いコンビみたいで、おかしいの。しかも、毎晩、やる人が交代すんのね。せりふとか、ほとんどアドリブだろうと思ってたんだけど、人が代わっても同じこと言ってたから、ちゃんと脚本あったんだって、びっくりしちゃった。でも、同じこと言ってても、やる人がちがったら、まるで、ちがった劇みたい。その、ふたりのバランスが、マジメタイプとズッコケタイプとか、気の弱いのとク-ルなのとか、しっかりモノとカッコつけてんのとか、いろいろあってさ-。
見た中では、あたしがイチ押しだったのは、田所みどりと片山しのぶっていう、どっちも一年生の二人がやったやつでした。田所って子はアタマ良さそうな顔してるし、一見きりっと頼りになりそうで、てきぱき仕切るんだけど、肝心なとこがヌケるんだ。そういうやつって、いそうじゃないよ?で、片山って子のほうがほんとはしっかりしてんだけど、いいヤツだから相棒をたてて、大丈夫かなあって内心心配しながら、ついていってるって感じでさ。「おれは、くすくす笑うものなんか食べないよ」って、気ィ使いながらも、これだけはひけない!って感じで、きっぱり言うとこなんか、な~んか、すっごく、おっかしくって、かわいかった。ちょっとマ-君に似てたしね-。あはは。
「電話だけじゃなくて、手紙もくれ~」って言うから書いたからさ。そっちも返事、くれよな~っ!
チャミ、でした!

手紙と絵はがき、うけとりました。きれいだね-。うらやましいよ-。何だかんだ言ってたけど、やっぱり留学してよかったじゃないか-。来年は帰ってくるの?帰ってきたらまた、あと一年、いっしょに遊ぼ!
この前の手紙で書いた演劇部のことだけど、あの後、「フィガロの結婚」やったよ。モ-ツァルトのオペラじゃなくて、原作の方。だけどそこはサ-ビスで、「もう飛ぶまいぞこの蝶々」と「恋とはどんなものかしら」だけは、ちゃんと歌が入りました。華やかで、よかったよ~。何たって、公爵(あれ、侯爵だっけ?伯爵だっけ?)が美尾さん、その夫人が日村さん、主役のフィガロが峯さん、その婚約者で公爵がものにしようとねらっている元気な侍女に上月さん、そして、夫人に恋しているけなげでかわいいお小姓に緑川優子さんだもの。舞台全体から、明るさと色っぽさ、おシャレさと優雅さが、香水みたいにふわふわふわあっとただよってくる感じ。
特に緑川さんのことは、私もあなたも一年のときから「か-わい-ね-」ってファンでさ、なかなかいい役つかないから、「うちの演劇部、男っぽい劇が多いからあんな子は損よね-」って嘆いていたけど、今度の彼女はほんとに素敵で、観客がうっとりしてた。公爵夫人も夫の浮気に悩んでるし、お小姓のことはけっこうかわいく思っちゃったりしてるんでしょう。そんな、ちょっとあぶないモヤモヤしさを、緑川さんの清潔なお色気と、日村さんの妖しいなまめかしさが何ともいえずよく出していてさ。
あっ、そうだ、緑川さんは、もう一つ「アンクル・トムの一日」という劇にも、美少女エヴァンジェリンで登場しています。これは演劇部が「あの人の一日」シリ-ズとして、いろんな有名な人の何でもないある一日を劇にしている中のひとつなんですが、黒人奴隷のトムが、天使のように優しいエヴァに仕えて、つかのまの幸せな日々を送る、そんなある日の話です。エヴァの父親のセント・クレアもいっしょに、皆でボ-トに乗ったり散歩したりしているだけの、名画が動いているような美しい短い劇。でも、この後で、エヴァもセント・クレアも死んでしまい、新しい残酷な主人に売られて悲惨な死を迎えるトムのことを知っていると、見ていてとても悲しくて、さすがの私も泣きました。もっと不思議なのは、本を読んでなくて、この先どうなるかを知らない友だちも皆泣くことです。「幸福すぎて、きれいすぎて悲しくなる」っていうんですけど。それで、本読んでみて、また大泣きしちゃう子もいるみたいよ。
こっちはだいたい、こんなところ。また書きます。お元気で!
佐々木さま                     さやかより

前略
お手紙、先日うけとりました。演劇部のことでは、さぞご心配かと思います。何しろ顧問をされていた先生が、ご結婚、ご退職の直後のこの事態ですから。私も次の顧問をひきうけるようなことを申し上げておきながら、何のお知らせもいたしませんで、心苦しく思っております。ただ、先生も今、ご主人とともにカシミ-ルでお仕事に励んでおられて、お幸せでもあれば大変でもあることがよくわかっていただけに、ついつい遠慮いたしておりました。朝倉部長が何度かお手紙さしあげながら、この間のことについて何も先生に申し上げなかったというのも、おそらく私と同様の心境だったかと思います。どうか怒らないでやっていただきたいと存じます。
さまざまな噂がお耳に入って、お心をお乱しのことと存じますが、この間の事情は概ね先生が把握しておられるとおりでございます。一口に言って演劇部の人たちは大変によくやっており、ご安心くださいと申し上げてもよいかと存じます。
お手紙にもありました、このところの連続上演の件ですが、もちろん、無茶と申せば無茶ですし、特に三年生の三人には受験に何らかの影響が出ないわけはないとは思いますものの、話を聞いたり、私自身の目で見たりする限りでは、あの人たちはけっこう上手に手抜きもして、うまくやっているように思います。若い人は皆そうですが、アイディアが私などにはとても思いつけないことばかりです。
とりわけ、聞いて笑ってしまいましたのが、「あの人の一日」というシリ-ズのことです。なるほどそういうやり方があったかとも思うことなのですが、たとえば「シャ-ロック・ホ-ムズのある一日」という題で、ホ-ムズとワトスンの何も事件のおこらないある平穏な一日の、二人の共同生活の様子を朝から晩まで見せるのだそうで。
つまり、朝、ガウンを羽おったホ-ムズが新聞を手に「おはよう、ワトスン」と言いながら部屋にあらわれ、朝食のゆで卵を食べ、ハドスン夫人が持ってきた手紙に目を通し、やがてホ-ムズはスクラップブックの整理などをはじめ、ワトスンは旧友へ手紙の返事をしたため、そうこうする内日が暮れてホ-ムズはヴァイオリンをひいたりして、「今日は珍しく何もなかったなあ、ワトスン。それじゃお休み」と言って、二人はそれぞれの部屋にひきあげる───それだけなのだそうです。ときどき二人で事件の思い出話をすることもあるけれど、どうかすると、何の話もしないで十分でも二十分でも二人が黙って自分の仕事に没頭していることもあるのだそうです。その間、窓の外からは、馬車の走る音や、果物売りの声などが聞こえてきたりもするそうですが。
そんなのを見ていて面白いのかと生徒たちに聞きましたら、これがもう、大変な人気なのだそうですから、わかりません。一種ののぞき趣味でしょうか。少女漫画の一部に「ヤマなし、オチなし、イミなし」の「やおい」というジャンルがあると聞いたことがありますが、それと共通するものも感じます。ホ-ムズをやっている那須野遼子さんは、私のクラスの子で、青白い顔と鋭い目は、そういえばホ-ムズの雰囲気かもしれません。笑顔など、おやっと思うほど優しいときがあって、一種危険なような魅力がありますし。
他にも「マリ-・アントワネットの一日」(「ベルサイユのばら」の世界で、かの男装の麗人のオスカルも登場するのだとか)「アンネ・フランクの一日」(これはアンネの一家が隠れ家で発見されて、連れ出された後の、収容所生活の中の一日だそうです)、「ロビンソン・クル-ソ-の一日」「アラビアのロレンスの一日」「レイストリンの一日」などがあるようです。
レイストリンとは何者なのか、私は知りませんでした。若い人に人気の長編ファンタジ-「ドラゴンランス戦記」に登場する、病弱でやや屈折した天才的な魔法使いの青年だそうです。二年生の村上セイさんが演じていて、そのお兄さんのたくましくて陽気で親切なキャラモンを峯竜子さんが演じているそうです。もちろん、これも、二人が旅の途中で、焚き火のそばでいっしょに眠っていたり、地図を調べて方角を考えたり、食事を作って食べたり、トランプをして遊んだり、そんなところばかりで、事件らしい事件は何ひとつおこりません。
演劇部では、やってほしい「一日」のリクエストも受け付けているとかで、私にこの話をしてくれた生徒たちの一人は「ゴルゴ13が、仕事の予定がなくて、武器の手入れやトレ-ニングをしている毎日」、もう一人は「トロイ戦争の時、ヘレネ-が城壁からギリシャ軍の武将を見て、トロイの女たちと品定めをしている一日」、また一人は「パリに出てきたばかりのダルタニアンが、三銃士の詰所に入りびたって、四人で毎日だべっている一日」をリクエストしているそうです。
演劇部の人たちは、たとえばこのような工夫をしたりして、なかなかうまくやっているようなのです。
とはいうものの、いつまでも顧問のいない状態がよいはずはなく、私も早く何とかしたいと思うのですが、氷見学長はいろいろとあいまいな言い方をなさって結局私を顧問に任じようとなさいません。他にどなたかあてがあるというようでもなし、正直言って、あの方の真意が私にはよくわかりません。
ここだけの話、私はあの方、氷見学長をどうも好きになれずにいます。あの方を悪く言う方はあまりいらっしゃいませんし、これといってひどいことをなさるわけでもありませんが、いつも誠実に応対していただけてないような気がします。
こちらにお世話になる前に、私が会社勤めをしていたことはお聞き及びと存じます。職場で、良い仕事のアイディアを出したり、積極的に動こうとすると、いつもやんわり周囲や目上の男性から動きを封じられました。つぶされて、平凡になり、私が彼らの地位をおびやかす存在でなくなってしまったと確認できるまでは、彼らは決して私に思うような動きをさせませんでした。女性に仕事を渡すまいとする、やんわりとですが断固としたガ-ド。奇妙なことに氷見先生の私への対応を見ていると、その時のことが思い出されてなりません。
結局、最後は愚痴になってしまったようで申し訳ありません。
ともかく、演劇部のことについては、さしあたりは心配されるほどのことは何もないかと存じます。私の顧問と氷見先生のことについては、私の思い過ごしかもしれませんし。もしまた、何かございましたら、今度は必ずすぐにお知らせすることを、固くお約束いたします。
どうぞお身体に気をつけて、ご活躍下さい。
草々
奈良橋琴美
神谷純子先生

ミミちゃんへ
ふっふっふっ──。
麗泉学院に演劇部がある限り、テレビも映画もいらないもんねっ!
「王子と乞食」にひきつづき、「二人のロッテ」も上演されて、みどりと司の人気はもう、とどまるところを知りません。特に司は、ときどきせりふを忘れたり、しないでいいことしちゃったり、しなくちゃいけないことし忘れたり、やたら失敗が多いんです。「王子と乞食」では、くるみを割り損なって客席まで飛ばすし、「ふたりのロッテ」では、犬のブランカのしっぽをうっかり踏みつけて、あのおとなしい犬を舞台中、キャンキャンかけまわらせるし。でも、そんな時、キャッという感じで舞台に棒立ちになって、ぎゅっと目をつぶっちゃって、「しまった!」みたいな顔をするのがまたかわいくて、皆思わず笑って拍手しちゃいます。司が一つも失敗をしなかった日は「ちょっとものたりなかったねえ」なんて言ったりする子もいるくらい。
みどりは司といっしょの時には司に似せなくちゃならないから、ほんとの彼女よりずっとキャピキャピして元気です。だけど実は彼女、もっと影や憂いのある役が似合うんだよね。先週、片山しのぶとやった「ハツカネズミと人間」では、それがすごくよく出てて、皆、ちょっとショックうけたくらい感動しました。
アメリカの農場で働く二人の男の話なの。しのぶがその一人の、力はやたら強いのに頭の回転が遅く、子どものように純朴なレニ-で、みどりは、そのレニ-をいつもかばう、小柄で頭が切れるしっかり者のジョ-ジ。
しのぶがまた、ふだんはすごくしっかりしていて皆に頼りにされてるのにさ、演技とはいえ、いつもぼうっとうつろな顔して、ジョ-ジにたよりきっている大男のレニ-に、もう、なりきってました。実際よりずっと、二人の体格に差があるように見えたぐらい。おずおずしていて、ジョ-ジにほめられた時だけ、天使みたいに幼い表情で顔中輝かせて本当にうれしそうに笑うの。みどりのジョ-ジはまた、いつも世間からレニ-をかばうみたいに一歩前に出て人と向き合ってるし。
二人とも、めったに身体をふれあわさず、目だってそんなに合わさない。レニ-はいつもジョ-ジを目で追っているのに、ジョ-ジが自分を見ると、ひるんで目を伏せてしまうし。それなのに二人の間に流れている深い愛情が、見ていて手に取るようにわかるの。最後にジョ-ジがレニ-を拳銃で撃ち殺す場面なんか、私たち皆、手放しで泣きました。
「赤毛のアン」も楽しかった。緑川優子さんが、そばかすいっぱいつけてアンをやりました。ちょっときれいすぎるかなあと最初思ったけど、考えてみたらアンって色白だし、すごく精神的な顔してるっていうから、案外、緑川さんで正解かなと思ったりして。そして、アンが空想の中でお姫さまになる場面では、緑川さんがそばかすをとって金髪のかつらをかぶって、変身するの。とっても効果的でした。それと、アンの親友のダイアナをやった立花朝子さんが、いかにもダイアナらしくて、よかったです。
ミミにも見せたい。写真があるといいんだけどな。あ、でも「公演中の写真撮影許可して」って嘆願がすごいらしくて、この前朝倉部長がとうとう「考えてみます」って言ったらしいから、その内何とかなるかもね。期待してて下さい!
夕海より

キノシタ先生
「大変わかりやすい劇ではありませんか。いったいどこが、わからないのですか?」って第三話のことを書いてよこされた先生のお手紙、うけとりました。突然だけど、先生って、会って話してると言葉づかいはめちゃくちゃランボ-でト-テイ女の人には思えないのに、手紙の文章になったら、すっごいていねいだよね-。それでダンナさん、たぶらかしてつかまえたん?へっへっ。それでいて、書いてある内容は、やっぱりキツイっていうか、全然手加減ないってゆ-、この落差がすごいよな-。あのですね、私だって、もちろん、あのお話の筋ぐらい、わかります!ただ、どうして、あの話が、「五つの誘惑」って題と結びつくのかわかりません。それと、ラストが───。
あ、その前に、第四話の話をします。
これは、すごく残酷な、動物や女の子を殺しては喜んでいる少年の話でした。登場人物は彼と、彼がつかまえてどこかに閉じ込めている女の子と、ただ二人だけでした。彼は、その女の子に、ありとあらゆることをして辱め、傷つけ、苦しませるんです。(これも、ほとんどせりふで言うだけだからね、先生。実際に何かしたりするところとかはなかったから、安心して下さいよ!)女の子のかわいがっていた猫を殺して、その死骸を持ってきてみせたり、女の子の家に行って、家族を皆殺した話をしたり。
少年の役やったのが、上月奈々子さんって、とってもカワイイ子で、残酷は残酷なんだけど、それが見ててカラッとした感じになるのが救いでした。家族を殺したなんていうのも、もしかしたら口だけかもしれないなんて思わせるところがどっかにあって。それと、女の子やったのが、緑川優子さんていう、それこそ天使か妖精みたいな、はかな~い感じの美少女なんだけど、どんなひどいことされても、けろっとしてるというのとはちがいますけれど、何かひとごとみたいな余裕があって───少年がいろんなことをしたり言ったりするたびに、悲しんだり苦しんだりはするんだけど、「ああ、そのことだったの。じゃまだ、いい」みたいに、ほっとした優しい笑顔になるんです。
少年もそれに気づいて、少女が一番恐れているそのこととは何か知ろうとして必死になるんです。そして、とうとう最後に少女が告白するんですが、それは、「私が一番傷つけられること、一番耐えられないことは、あなたが苦しむのを見ることです」っていうことだったの。
この劇、全然笑いがなくて、緊張と怖さがつづいていただけに、少女のこの言葉を聞いた少年があっけにとられて、すごく困ってしまった時、客席には思わず笑いが起こりました。だっておかしいですもんね。他人を苦しめようと思ったら、自分が苦しむしかないなんて。
でも、少年はそのあとすぐ、「僕がどんなに苦しんでるか、おまえは知らない」と言って、小さい時から両親にされたこと、友だちにされたこと、世の中で見たこと、学校でのできごとなど、ありとあらゆる自分の不幸をぶちまけるんです。それを聞いた少女は本当にみるみる苦しんで、死んだようになってしまう。「死なないで、死なないで、もっと聞いていて!」と叫ぶ少年の声とともに舞台は真っ暗になってしまいます。
───わからないのは、ここからなんです。
劇はもうそれでおわりなんですが、舞台がふたたび明るくなると、生きてるのか死んでるのか、ぐったり倒れている少年の上に、少女がすっくと立っているんです───妙に落ちついた、さめた顔して。そして、ケ-タイみたいな小さい機械を出して、ダイヤルをプッシュしはじめるところでまた舞台が暗くなって、今度は本当におわります。
そういえば、あの第三話───古代ロ-マみたいな帝国で、暴君の皇帝を改心させた家臣も、たしか最後に、皇帝が民衆のかっさいを浴びているのを聞きながら、階段の柱のかげで、変に静かなつまらなさそうな顔で、ケ-タイみたいなもの耳にあててたんです。でも、時代は古代だし、まさかケ-タイとは思えなかったし。
第一話と第二話のラストでも、これと同じような場面があったって、見ていた友だちは言うんですよ。
これっていったい、何なんでしょう?頭がパンクしそうです。
明日、最後の第五話があります。それ見たら全部わかるんでしょうか。この謎が全部とけるんでしょうか?何かちょっとワクワクします。でも、わかんなかったら、きっとまた先生に「おまえ、やっぱ、バカだなあ~」って言われちゃったりして──ドキドキ。
水鳥霞より

俊樹様
最初のうちは「どうして、こんなことやれるのォ!?」とあっけにとられているだけだったけど、連続公演もこれだけつづくと、演劇部のテクニックもいろいろわかってきました。
まず、舞台装置を極端に少なくしてます。照明も音楽も、最低必要なだけしか使いません。衣装もリアルなものじゃなくて、抽象的なそれらしい感じのものでまとめます。たとえば、ゆうべ見た「ヴェニスの商人」では、アントニオ-の朝倉さんも、バッサニオ-の美尾さんも、ポ-シャの南条さんも、皆ジ-ンズとTシャツで、シャイロックの那須野さんも、その上に黒いマントをはおっているだけ。それがかえって、新鮮でした。
それから、せりふも、全然こまかいところにこだわらず、筋をしっかりつかんだら、あとはけっこうアドリブでしゃべって、つないでいってるみたい。その人物になりきって即興劇をやってるって感じかな。それでも、せりふや動作を忘れたりまちがえたりした時には、あわてず騒がず、堂々と言い直し、やり直したりしてしまいます。このごろでは、それがまた、売り物になって───「キャッ!やっちゃった!」って顔を露骨にして、あわてまくる司のかわいさはもう定番ですが、他にも、ロ-マの貴族やってようが宇宙飛行士やってようが、まちがえるとにっこり笑って「ごめんあそばせ~」と言ってやり直す日村さんとか、いきなり客席の方を向いて、ばっと片手で皆を制して、「今のは見なかったんだ、いいな!」と叫ぶ峯さんとか、あと、それほど派手ではなくっても、さつきの両手を広げて肩をすくめるしぐさとか、那須野さんの片手をちょっとあげて「ごめん!」みたいにするしぐさとか、皆それぞれのNGスタイルがもう決まってきていて、それが出ると拍手かっさいになるし、それを見るのを楽しみにしている者もいるくらい。
その一方で、小規模な劇や短い劇では、一年生を積極的に主役にし、じっくり演技をさせているのも、うまいなあと思います。田所さんや片山さんは、このごろ見ていて本当に上手になりました。大西さんや立花さんの成長ぶりもめざましいものがあります。
しかし、肝心のところでは、やっぱり三年生の三人が光ります。先週やった西部劇「シェ-ン」では、流れ者のガンマンのシェ-ンをやった美尾さんのカッコよさ、彼が滞在する開拓者の家の主人の南条さんの重厚さとあたたかさ、その妻の朝倉さんの切ない清らかさが、文字通り舞台に火花を散らすようでした。火花だけでなく、この日から写真撮影が許可されたため、フラッシュも光りまくっていましたが、三人ともびくともしていなかったのもさすがです。
「シェ-ン」にひきつづいて今週から上演された「鳴神」では、朝倉さんのうまさに驚きました。高潔な聖人鳴神が、宮廷がさしむけた女スパイ雲絶間姫の色じかけに迷って堕落してしまうという、もとは歌舞伎のお話ですが、別に歌舞伎風のしゃべり方とかではなく、普通の劇にしてあります。鳴神上人はかなり滑稽なところもあるんですが、これをやった朝倉さんは、冒頭の近づきがたいほどの神々しさは、まあいつものとおりとしても、中盤の雲絶間のお色気攻勢にメロメロになる情けなさにも、どこか品のよさと哀しさをこめて、しかも十分に笑わせましたし、だまされていたとわかって怒りのあまり雷神へと変身するラストの恐ろしさも、ものすごい迫力でした。
でも、それに食われる美尾さんでもないですよね。誰かのお姉さんの成人式の着物を借りたとかいう派手な衣装にかんざし満載で、ちょっとパンク風のお姫様で、もうちょっとやったら悪ふざけになりかねないほどの大胆なエロチックさで迫りまくって──私が見た次の日なんか、信じられないことなんですが、とうとう朝倉さんが鳴神上人の姿のまま、舞台の上で横向いて笑っちゃったらしいんです。これってもう前代未聞のことで、朝倉さんはすぐ立ち直って演技をつづけたらしいんですけど、客席はもう大喜びで「あんなカワイイ京子、初めて見た!」って、私の友だちは皆、興奮して話していました。
だけど、もうすぐ夏休みです。毎年、休みの直前か、休みになってからは避暑に来ている町の人たちも対象にして、一週間から十日ぐらい夏季公演をするのが演劇部の恒例なのです。それは、今年はどうなるのでしょう?こんなにいろいろなものやっちゃって、まだ何か一般の人たちにも喜んでもらえるような面白い作品って残っているのでしょうか?まあ、あの人たちのことです。きっと何とかするだろうとは思うのですが。
レミより

キノシタ先生
今、第五話を見てまいりました!
「面白かったけど、ちょっとよくわからなかった」って言ってた友だちもいたけれど、私、水鳥は、ちゃんとわかったと思いますです、ハイ!
第五話は、ギャングの話でした。それが、これまでとちがって、いきなり、ど-んと大物登場で───組織の大ボスが美尾さつきさん、その忠実な子分が朝倉京子さん、昔、ボスに父親を殺されて、仇をうとうとつけねらう女が南条美沙さん。この三人は演劇部のトップスタ-なんです!さすがに何かもう、出てきただけで舞台がびしっとひきしまりました。舞台装置もこれまでよりずっと上等に見えましたが、三人があまりにもカッコいいので、そう見えただけかもしれません。
美尾さんも朝倉さんも、背が高くてスタイルがいいから、暗黒街の男たちのス-ツやコ-トや帽子が、憎らしいほど似合うんです。こういうのって皆、衣装係の南条さんが、古着を仕立て直して作ってるらしいんだけど。その南条さんも、細身のス-ツにハイヒ-ルはいて、細い長いパイプでタバコをふうっとふかして「キャ-、こんなに都会っぽいスタイルの似合う人だったの-」って皆、がく然としました。もともと、素朴な村娘とかがあたり役で、大地の女神マ-ファって呼ばれてる人なのに-!
つい興奮してすみません。それで、話のすじですが───。「オヨヨ大統領の悪夢」と「キング・オブ・ニュ-ヨ-ク」を下敷きにしていますってチラシには書いてありましたが、先生はご存じですか?私は知らないので、劇の筋だけ話します。
組織の大ボス美尾さんは、血なまぐさい抗争を経て頂点までのぼりつめ、もう恐いものがなくて、反抗する者は殺すし、マスコミも政府も警察も好きにあやつっている、黒幕で権力者です。でも、ときどきふっとムナシクなったりして、それで一の子分の朝倉さんとお酒を飲んだりする。
朝倉さんがまた、誠実そうに見えて、何考えてんだかよくわからない、ふしぎな雰囲気の子分なんですが、彼がボスにアドバイスするのは「慈善事業をやったらどうなんだい?あんたが手に入れていないのは、貧しい連中からの尊敬と愛情だけなんだから」。
それもいいかな、って思ったボスはその気になって、どんどんボランティアにはげみだすんですよ。何しろお金も権力もあるし、やることは強引だし、(「何、福祉の予算が下りない?担当の係官が手続きでうるさいだと?殺っちまえ」ですから)発展途上国の飢餓やらスラムの貧困やら、ものすごいスピ-ドでどんどん解決していっちゃう。それで、人々には感謝されるし、そういうボランティアをずっとやっているような立派な人たちとはつきあって影響されるし、で、ボスはものすごく感激してハンカチで鼻をかみながら「おまえなあ、内戦で手足をなくした女の子から『おじさん、りっぱな義手をありがとう』なんて言われてじっと見つめられてみろ。ヤクなんかやるよりよっぽどハイになれるぜ」なんて言うの。すると例の子分はク-ルな声で「でも、その内戦の両方の軍に、ボスは兵器を売りつけて大もうけしたんだったろ?」とかいうのよね。「いいじゃないかっ、その金であの子の義手が買ってやれたんだからよっ」って、何かもうわけがわかんない会話で、客席は爆笑の連続。
で、ボスはとうとう、ノ-ベル平和賞までもらっちゃう(いいのかなあ)んですけど、そこへ例の女の人があらわれて、ボスの偽善をなじり、殺そうとするんです。「おれは世界を救わなくちゃならんから殺さないでくれ」ってボスは頼むんだけど、女の人は許さない。とうとうボスは「たしかに、ボランティアというのは、最高の贅沢だった。罪をおかして、おれは、この贅沢にありついたのだ」と言って、女の人に殺されるんです。
世界中が彼の死を悲しんで、ロ-マ法王からも弔電が来るお葬式を見て、女の人も泣いて「私がまちがっていた。彼は本当に生まれかわって立派な人になっていた」って反省するんです。
子分は黙って立ち去ります。やっぱり例のケ-タイみたようなのを、黒い手袋の手に持って耳にあてながら。
先生!この先、わかりますか?一分間、考えて見ましょう!
子分がホテルの一室みたいなドアを開けて入って行くと、そこには第一話から第四話までに登場した四人───囚人、刑事、きちょうめんな家臣、女の子が、テ-ブルを囲んで座っているのです。子分も椅子に座って、帽子をテ-ブルにおいて(美尾さんも朝倉さんも、髪を帽子に入れてたんですが、このとき彼女が初めて帽子をとって、そのとたんに黒い長い髪が流れ落ちるように肩に広がったのって、どきっとするほど印象的でした───まったくちがう世界が突然あらわれたようで)皆の顔見て、「誘惑は成功。スカウトは失敗だ」って言います。
あとの四人も皆それぞれ「あの収容所長は、人間に絶望してたのではなくて、立派な人間を求めていたロマンチストだ」「あの女は全然、悪女なんかじゃない」「あの皇帝は、まじめにきちんと生きる快さを知ったら、それに抵抗できなかった」「あの少年が他者を苦しめるのは、愛情を求めたり注いだりすることと紙一重だから、スカウトするには不安が残る」などと、口々に言います。
そして、皆で愚痴りはじめるんです。「まったく、この星には、本当の悪人というのはいないのか。皆、弱さとか、つまらないこだわりとか、バカなかんちがいから悪人になってしまっているだけで、ちょっと誘惑したら、すぐ美しい心とか優しさを暴露して、いい人間になってしまうじゃないか」「二千年近く、時を超えて探しているが、ちっとも本当の悪人がいない。よい環境を与えたり、求めている望みをかなえたりしたら、すぐ人間らしくなってしまう」「どんなに狂った、残酷な人間でも、チェックしていくと必ず一か所か二か所、いいことをしそうな弱点が見つかる。この星には、悪といっても、『粗悪』しかないようだ。そろそろ、探索をあきらめた方がいいのではないか」なんて───。
「まあ、そうも言ってられないから、一応、今回の報告を本部に送っておこう」ということになり、彼らは皆、あのケ-タイみたいな通信機を耳にあてて、てんでにしゃべりはじめます。「悪魔帝国情報部をどうぞ──悪魔帝国情報部をどうぞ───ハイ、こちら地球です───探索は失敗───悪魔の候補者は見つかりません。くりかえします、候補者はいません───」そして舞台はだんだん暗くなり、部屋の壁には五ひきの悪魔の大きな影が次第に浮かび上がってくるんです──。
先生にはわかりますよね-。つまりですね-。この五人(?)は皆、悪魔で、悪魔になれそうな人間を見つけると、本当に純粋な悪人かどうか、試練を与えてためすんですよ。いいことをする気持ちよさを教えて誘惑して、それでもいい人にならないでいられるかどうか。今、やっている悪いことより、もっとやりたいことが見つかっても、今のままでいられるかどうか。そして、ちょっとでも、不安な点があったら、悪魔候補者としては失格なんですね-。キビシイ~。
すごくおかしかったけど、とても考えさせられました。
カメラのフラッシュの中で、朝倉さんがあいさつしたことによると、夏季公演に向けて準備があるため、連続公演はこれでいったんうち切るそうです。場内、悲鳴とブ-イングで大さわぎでした。でも、夏季公演はデュマの「三銃士」をやると聞いて、今度は大かっさいの大さわぎになりました。
私も、先生にすすめられて読んだから、この話のすじは知っています!十七世紀のパリに出てきた若者ダルタニアンが、三人の銃士アトス、ポルトス、アラミスと仲良しになって、王妃さまを守って戦ったりして大活躍する話ですよね-。アトスはちょっと年上で落ちついていて無口、ポルトスは力の強い大男でおしゃれで陽気でおしゃべりで、アラミスは上品で優雅でちょっとなぞめいたハンサムで、そしてダルタニアンは元気で利口で明るい、けっこう負けずぎらいの男の子───たしか十八ぐらいだったから、私たちと同じくらい!?
帰り道ではもう皆、夢中になって、「誰が、誰をやるんだろう!?」って、そればっかり話してました。
キャ、先生がにらんでる。これ、実は授業中に書いてるんです。先生、ごめんなさい。キノシタ先生も、ごめんなさい。ではこれで失礼します。また、書きますねっ!たのしみにしていてくださいねっ!
水鳥霞より

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カツジ猫