小説「散文家たち」第33章 黒うさぎ

つやつやと表面が光る大きなデスクの真ん中に置かれた、四方に黄色い房がついた紫色のビロ-ドのクッションの上にはトカゲが目を閉じて眠っていた。低い音楽があたりに流れ、煙草の煙がもうもうとうずまいて酒の匂いと入り交じっている。辛島圭子と那須野遼子、それに上月奈々子とが、そのデスクの壁側に並べて置かれた、座り心地のよさそうな安楽椅子に腰を下ろして、ライトで明るく照らされた向かいの壁際のソファ-の方を、ものうい目つきでながめていた。今、そのソファ-の上からは、シ-ツを身体にまきつけながら裸の少女が二人、こそこそ起き上がり、辛島圭子にもういいと目で合図されて、バタバタと階段をかけ上がって姿を消した。
「───今のが、うちの部員の中じゃ、まあ一番いけてる二人のレスビアンショ-さ」圭子は煙草を口にくわえているために、ちょっとこもった口調でそう言い、ワインのボトルをとりあげて、遼子のグラスに注いだ。「感想はどうだい?」
「下になってた子、肌が汚いわね」奈々子が眉をきゅっとしかめて、あっさり、はっきり、切り捨てた。
「上の子も何か、表情が暗い」遼子はワインをすすりながら、デスクの上に置かれている写真を指先でめくって、のぞきこんで顔を確認しながら言った。「写真だと、そう悪い顔でもないのに、何でかな。その前のSMショ-もそうだったけど、な~んかこう、活気っていうか、やる気に欠けるんだよなあ」
「あんた、粗末に扱いすぎてんじゃない?あの子たちのこと」奈々子は、かたわらから赤いタイツを着た少女がつぐワインをグラスでうけながら、けっこう生意気な口調で圭子に言った。「ああいうショ-や写真のモデルに使おうてんなら、もっとおいしいもの食べさせて、ぐっすり眠らせて、オリ-ブオイルで肌を磨いてやるとかしないと、色つやだって悪くなるしさ、見る方としちゃ楽しくないのよね」
圭子はにやにや笑って、腕時計を見た。「お~や、もう朝かい?楽しいショ-も一晩見てると、さすがに少し疲れるね。そろそろ最後の出し物といこうか」
「はじまったのは明け方よ。大して時間はたっちゃいないわ」奈々子は小さい手のひらを唇にあてて、かわいいあくびをした。「ワイン、おいしかったわ。ごちそうさま」
デスクの両側に立って、さっきからワインをついだり灰皿を代えたりしてサ-ビスにつとめていた、赤、青、白に紫のタイツ姿の四人の少女は、さすがに少しむっとしたようだった。皆、マスクをつけて顔をかくしているために、表情まではわからなかったが、どうやら奈々子たち二人が来るまでは、圭子の側近で特別扱いされていたのらしく、圭子のお気に入りの座を奪った二人に対し、不愉快な態度を隠しきれないでいる。圭子は圭子で、それに気づいて少々面白がってもいるようだった。
「それで、最後のショ-ってどんなの?」奈々子が無邪気に目を見張る。
「ま、その前に、もうちょっと、これまでのショ-の感想を聞こうや」どことなく、蛇が舌なめずりしている調子で、圭子は二人に微笑みかけた。「外見は、あんたらが今言った、そういうことにしておくとして、演技の中身はどうだった?今の二人も、その前の二人も、そのまた前の子たちも」
遼子と奈々子は顔を見合せ、どちらからともなく苦笑して、ちっちっと小さく舌打ちをした。 「それを言うのがしのびないから、外見のことを言ってたんじゃないか」遼子があわれむように言った。「腰の動きに指の動き、恍惚の表情から苦悶の表情にいたるまで、辛島さんよ、ありゃあもう、演技以前の問題だろうよ」
「胸にキスされた時も、あそこにキスされた時も、唇にキスされた時も、おんなじのけぞり方に、おんなじ口の開け方するなんて、ほんっと、信じらんないわっ!」奈々子も、ため息をついて吐き捨てた。「ふだんのセックスでもああなのかしら、あたしが男の子だったら、あんな子とは絶対、寝たくなんかな~い!鈍そうだし、退屈しそ~う!」
「そんなに言うなら、自分でやってみたらどうなのよ!?」タイツの少女の一人が、たまりかねたように小さく、ののしった。
「お黙り」圭子はじろりと横目で見てたしなめたが、すぐに静かに続けた。「あたしもちょうど今そう言おうとしてたとこさ。どうなんだい、那須野、上月?それだけ大口たたくからには、今のあの連中が見せた以上の演技を、おまえら、今からここで、やって見せられるかい?」
「あれ以上の演技ですって?」遼子はせせら笑って、大きく両手を広げて見せた。「侮辱も、いいとこ!」
「あれの千倍も巧みな演技と言ってくれない?」奈々子も、ぱちりと指を鳴らす。「それだったって、お安い御用よ」
「千倍だって?大きく出たね」圭子が、タイツの少女たちと顔を見合せ、苦笑いする。 「さっきからの演技って、どれもこれも限りなくゼロに近いもの。千倍だろうと何倍だろうと、大したちがいなんかないわよ」奈々子はすまして、そう答えた。
「じゃ、やんな」圭子はソファ-の方にあごをしゃくる。「徹夜のショ-のしめくくりは、おまえら二人って最初から予定してたんだよ。大した服も着ちゃいないから、脱ぐ手間もいらないだろうが、いやだというなら、この連中に手伝わせるからな、覚悟を決めてもらおうか」
ク-ラ-は効いていたが、ライトの熱がこもるへやの中で、圭子も、奈々子たちもすでにもう、下着姿になっている。圭子はガウンを肩にはおり、遼子は黒い革ジャンを、奈々子は赤いノ-スリ-ブのブラウスをひっかけているだけだ。さっきの少女たちをののしっただけあって、遼子の長い足も奈々子の胸元も、ひきしまって脂ののった、きめの細かい肌が、つやつやと光って美しく、見ていてぞくりとするほどの、みずみずしさとなまめかしさにあふれていた。
タイツ姿の少女たちが、待ち構えたように、ゆっくり回りをとりかこんできたのを見もせずに、遼子と奈々子は、じだらくにデスクに頬杖をついたまま、いかにもめんどうくさそうに互いの顔を見合わせた。
「───しゃあねえなあまったく」遼子が言う。「やんのかよ?」
「───声だけで、充分じゃねえの?さしあたり、今んとこ」奈々子が、あくびまじりに答える。
「ん~、じゃ、そっちから、設定たのむわ」
「え~、考えんの、うっとうしいなあ。そっちが先にやってくんない?」
「あ~もう、ほんとに、わがままなやつ!じゃあ定番でいこっかな~、中年男にレイプされてるOLなんてどうだ?」
「あ─やめて!───」
今までしゃべっていた声と全然ちがう、かすかに鼻にかかった甘いなめらかな奈々子の声に、遼子を除く全員がはっと思わず目がさめたような表情になった。今のはいったい何だった?と皆がとまどった顔になっているのにもかまわず、すぐにまた、遼子が続ける。 「年上の女にいたぶられてる美少女」
「あ!やめて──!」
まるっきりちがった、かぼそい、絹を裂くような声が痛々しくひびいて、何人かがぎょっと飛び上がる。
「上官に犯されてる若い兵士」
「あ───やめろ──!」
「男子生徒たちに輪姦されてる女教師」
「あ──!や───め、て───!」
紫のタイツの少女がかすかによろめき、壁に手をついて身体を支えた。
奈々子はさっきから頬杖をついたままだ。めんどうくさそうな表情で、しいて言うなら目だけはキラキラ、いたずらっぽく躍っている。表情とも姿勢とも全く関係ないままに変えているのは声だけだ。その高さや低さ、微妙なかすれや、わずかなあえぎが、しかし、ありありと、のけぞる白いのどや、のたうつ手足を聞いている者の目に浮かび上がらせるのだった。彼女は小さく姿勢を動かし、遼子に片目をつぶって見せる。
「選手交代、しちゃおかな───男子寮でリンチにあってる新入生」
「あ!やめろ!───」
「強盗に裸にされてる美人妻」
「あ───やめて───」
「狂った科学者に切りきざまれている若者」
「あ──や───め───ろ!」
「吸血鬼に血を吸われてる姫君」
「あ、やめ───て───」
赤いタイツの少女の手からワインのボトルがすべって床に落ち、がちゃんと音をたてて割れた。

奈々子と同じに遼子もまた、身体をだらしなくテ-ブルにもたせかけて片手を耳のあたりにあてて頭を支え、うすら笑いを浮かべたままだ。もう片方の手の指にはさんだ煙草の灰をときどき灰皿に落とし、時には煙草を灰皿に置いて、コ-ヒ-カップをひきよせては優雅にすすって唇をうるおしている。
それなのに、奈々子と同じように、同じせりふを繰り返す、そのたびごとに、彼女の声の震わせ方、ことばの微妙なとぎらせ方が、生々しく絶望を、苦痛を、恥じらいを、聞く者の心にたたきこんで来る。畳の上に音をたてて落ちる帯の音が聞こえ、メスのきらめく光が見え、血の匂いがただよって来るようだった。
辛島圭子をはじめとした全員が、その場に凍りついてしまっている。割れたびんから流れて床に広がっていく赤いワインにも、誰も気がつく者はなかった。
「おまえら、ほんとに───」圭子がごくりと生唾を呑んだ。「何てやつらだ───化けもんじゃねえのか?───」
「ふふん、まだまだ、これしきのことで、そう驚かれちゃ困るって」遼子がなかば目を閉じたまま微笑み、煙草を横っちょに唇にくわえると、ワインのびんを片手でつかんで、自分のグラスになみなみとついだ。
「奈々さん、いっちょう、右手もつけて見ようかい?」
「よっしゃあ、そんじゃあ、あたしは左手」
「あいよっと、こうか?」
二人はけだるそうに身体を起こす。肩と肩とをくっつけあい、それぞれ片方の手をのばしてデスクの上に並べて置いた。準備運動をするかのように、その手の指を折り曲げて動かし、手首を回す。
「今までの見ててだいたい、わかったろ?」遼子が圭子を見上げて微笑んだ。「リクエスト、いただけるかな?」
圭子も他の少女たちも、かすかにあえいでいるだけだ。奈々子が笑った。
「ふう、待ってると気分がだれるのよね。こっちで適当にやらせてもらうわ。遼子、行くわよ。拷問うけてる女スパイ」
遼子は肩をすくめて笑い、左手でワインのグラスをとって、ゆっくりすすった。が、その右手はひきつるように動き、苦痛に耐えようとするかのように指が動いて何かをつかもうとし、何度も、何度も、握りしめられかけてはほどけて、とうとう最後に、かすかな、ささやくような声が、とぎれとぎれに聞こえてきた。
「あ──やめ───て──」
吸い寄せられるように圭子たちは遼子の右手を見つめていた。その手の動きと、その声だけで、その前後に長くつづいたドラマが見えてくるようだった。陰謀、裏切り、希望、愛、さまざまなものの交錯する物語が。しかも、遼子がそうやって演技しているのは、右手のひじから先と声だけでしかない。彼女の顔は平然と冷たい笑いを浮かべたままで、左手はワインのグラスと煙草とを交互に唇に運んでいるのだ。
「奈々さん、あんただ」遼子が指示する。「いけないなあと思いながら、好きな相手と浮気している人妻、といこう」
「あ───」長い、哀しみをこめたけだるいため息とともに、奈々子の指が皆、指先までぴいんと伸びて、しなやかにデスクの上にそりかえる。それはしばらく、そのまま動かず、やがて薬指が、そして小指が細かく震えはじめ、夢みるように、次第にその一本々々から力がぬけていって、おだやかに丸まり、ふわふわと何かを求めるようにゆれた。
「───やめて」安らかな、甘い、身も心も許しきったようなつぶやきが、静かにもれる。
もちろん奈々子も、その間ずっと、もう片方の手でワイングラスをくるくる回し、顔は面白そうに笑っていて、目はまるで他人の手を見るように、じっと自分の左手をながめていた。
「怪獣に足をかみ切られる宇宙船の乗組員」遼子がまた言う。
奈々子は、いったんぎゅっと手をにぎりしめた。そして再び広げた時、たしかに同じ彼女の手なのに、それはもう、強い、ひきしまった若い男の手としか見えなかった──。

「今日のところはこんなもんでいい?」更にたてつづけに、殉教者だのガンマンだのギャングだの王女だの美少年だのアンドロイドだのを次々やってのけたあとで、遼子がそう言って圭子たちを見回した。
「ま、もう片っぽの手をつけて両手でやってあげてもいいし、顔の表情つけてもいいわよ」奈々子が眠そうにあくびをする。「でも、いっぺんにそこまでやっちゃ、ちょっと刺激が強すぎなあい?」
「ねえ、コ-ヒ-の新しいの、いただけるかな?」遼子がかたわらのタイツの少女に鷹揚な調子で頼み、少女が一も二もなくそそくさポットの方へ飛んでいくのを見送って、圭子の方に振り向いた。
「今みたいなんで、声だけ吹き込んだポルノのテ-プを作るんでもいい。片手だけビデオにとって、声だけかぶせてもらってもいい。それでもけっこう売れるんじゃねえの?」 「まあ───な───」圭子はうめくように言った。「どうせ、おまえら言うんだろうな。力づくで無理強いされても、こういう演技は絶対にできないってよ」
「わかってるじゃ-ん」奈々子が、気持ちよさそうに笑った。「金の卵を生むニワトリや、いい声で鳴くウグイスはさ、大切に扱って、したいようにさせとかなくちゃだめなのよん。鞭で打ったり脅かしたりして手に入るものなんて、しょせんは皆、三流どころっ!第一ねえ、本当に苦しんでる顔や恥ずかしがってる身体なんて、大して苦しそうでもなきゃ、恥ずかしそうにも見えないもんなの。こういうのって、作り物ほど本物っぽくて、ぞくぞくするのよ。リアリズムなんて、バカでも努力すりゃできるわ。頭がよくって才能のある人間にしかできないことをしてもらいたかったらさ、金に糸目をつけちゃだめ。欲しいものの前にはひれふして、捧げ物して頼むしかないのよん」
「てことは、どうやらあんたら、出演料をつりあげほうだいにする気らしいね」
「そこまであくどいことは言わんさ」遼子は薄い唇を軽くゆがめるようにして笑った。「ただ、商品のサンプルはお見せした。あとはあんたが、それをいくらで買う気があるかだ」
コ-ヒ-を持ってきた白いタイツの少女が、あまりにも絶対的な力の差を見せつけられて少々やけになったのか、妙にうわずった声で笑い出した。
「上月さん、でもあんた、いいの?こんな私家版ポルノに出ること、世間にバレたら、あんたのお母さん、困るんじゃない?国連で活躍してらっしゃる上月美佐子さんってたしか、あなたのお母さんよね?しょっちゅう、テレビに出ていらっしゃる───」
奈々子はふんと鼻で笑って、その少女の方をふりあおいだ。
「そうよ。それがどうかした?」切り口上で彼女は言った。
タイツの少女が一瞬鼻白みながら何か言おうとしかけた時、へやの天井の明かりが突然すっと消えた。そして、すぐまた、ぱっとついた。再び消えて、そしてまた───少女たちが天井を見上げる。
「何なの?」遼子が眉をひそめる。
「奥のへやのスイッチを誰かがさわっているんだね」圭子は蛇のような身のこなしで、するりと椅子から立ち上がった。「何かが───地下の通路から侵入したんだ!」

その三十分ほど前のこと───
果樹園の日時計のそばで、まだ朝露にしっとり濡れた草の上に、はおって来たシャツを脱ぎ捨て、黒一色のタイツ姿になって、まとめた髪を背中に押し込みながら、美尾さつきは陰気な小声でぼやいていた。
「かけてもいいがなあ、美沙。アラビアのロレンスがデラアの町に入ったのって、きっとこういう感じの日だったんだぞ」
「お願いよ。縁起でもないこと言わないで」日時計のざらざらした石の側面に手をつきながら、同じ黒タイツ姿の美沙も、いつになく滅入って疲れた顔をしていた。「もう、ここまで来て何言ったって遅いわよ。京子はもう、入っちゃったわ。どうせ、いやな冒険なら早くすまして、さっさと地上に戻ろうよ」
「それが戻れそうにないから、言ってんだ」さつきは石のくずれかけた割れ目に身体をすべりこませながら、死にそうに深いため息をついた。「何だかもう、太陽を見るのもこれっきりって予感がする。ああもう───」
「いい?それ以上言ったら、後ろから蹴るわよ」美沙は警告した。
さつきはもう一つため息をつくと、しぶしぶ中へとすべりこむ。すぐ後ろから美沙が続いた。

人が一人、やっと通れるような細い通路がどこまでも続き、それは次第にかなり急な下り坂になって行った。小さいライトに照らし出される周囲の土壁も、しっとりと湿り気を帯びてきたようだ。
「小川の下かな」美沙がつぶやく。「お-い、ベッキ-、大丈夫かあ?」
「おうちに帰りたいわよ、トム・ソ-ヤ-」さつきがぼやいた。「どっか、そのへんの壁の穴に『わたしをお飲み』って書いてあるびんだとか、『わたしをお食べ』って書いてあるお菓子の箱とかないかしら。身体がでかくなったら、こんな穴、一気にこわしてやるんだのに」
「同感だよ。俺は閉所恐怖症なんだ。トンネル掘りはもうごめんだぜ」
「そんな文句はベトコンの奴らに言いな。まったく、この穴、どこまで続くんだ?」
「果てしない地下の道だな。いとしのイザナミ、どこにいる?」
「いや、それにしても、そろそろアルネ・サクヌセンの署名があるはずなんだがね」
先頭を行く京子がうんざりしたように立ち止まったので、その背中にさつきが、その背中に美沙が次々ぶつかった。
「『世界の文学・地下道シリ-ズ』、二人でやるのはやめてちょうだい」京子は小声でそう言って、ライトで壁をゆっくり照らした。「こちらの道は行き止まりね。最近、土が崩れたようだわ。右の方に行くしかないわね」
少し進むと道は次第に登りになった。小川の下をくぐったらしい。更に進んで行くと、だんだん通路が広くなった。今はもう使われていないらしい古い土管がいくつも壁を伝っている。
やがて行き止まりになった道の上に、明らかに人工の平たい石の蓋が現れた。鉄の取っ手がついているのを、京子が握って、そっと動かす。
石は一方にゆっくりとすべった。用心深く首をのばして京子は上をのぞき、それから石のふちに手をかけて、ひらりと上に飛び出した。
さつきも美沙もつづいて、飛び出す。
京子が手にしたライトの細い光が、あたりを走る。そこは、あの司たちが閉じ込められた写真部室の地下だった。血に染まった寝台、天井から下がった鎖、カメラの列もそのままだ。
最後に床に上がった美沙の足元で、石がひとりでに、ゆるやかにすべって閉まりはじめた。あわてた美沙がつま先をねじこんで止めようとしたが間にあわず、鈍いがしんと言う音をたてて、石の蓋はぴったり合わさり、床の一部になってしまった。
「大丈夫」ぎょっとした目を見合わせる二人の友人を、さつきは手で制した。「司に聞いてる。あの壁のフックをつかんでひっぱれば石は開くんだってさ」
他の二人もそれでようやくほっとしたようにうなずき、京子は壁際のパソコンのところに行って、あたりの引き出しを開けて、残っているフロッピ-がないかのチェックを始めた。
「さつき。とにかく、その石の蓋、開けておいてよ」美沙がひそひそ声で頼んだ。「もしも今、あっちのへやから誰かが入ってきたら、すぐ飛び下りて逃げなきゃならないんだから」
さつきはうなずき、壁に歩み寄り、フックをつかんでひっぱった。
何事も起こらない。
「どうしたの?」美沙の声が、かすかにあせった。「開かないの?」
「そんなはずない───いや、待って」さつきは、考え込んだ。「あの子、何て言ってたっけ───たしか、フックをつかんで身体を支えたら───」
「その前にスイッチを、いくつか押したって言わなかった?」美沙が早口に言う。「灯をつけようとして、ドアのそばにあるのを、手当たり次第に───」
「それと、セットになってんのか、くそっ!」さつきは自分のライトをドアの方に動かし、いくつか並んだ同じようなスイッチを見て舌打ちした。歩み寄り、ためらうように、いったん持ち上げた手をとめて、スイッチを見比べたが、やおら決心したように端の方から次々にスイッチを押しはじめる。
美沙はフックにかけよって、さつきがスイッチを押すのと交互に、力一杯ひき下げた。 だが、石は微動だにしない。かわりに入り口のドアの外で大勢の足音がした。ノブが回って、ドアがぱっと開く。
さつきはすばやく壁に身体をはりつかせたが、その時ぱっと天井のライトがついて、へや全体がまぶしいほどの白い光に満たされた。三人とも一瞬何も見えなくなり、思わず手を上げ、目をおおった。
「おやおや。これはまあ。何という珍しいお客さまたちだろうね」
片山しのぶがその場にいたら、確実にひきつけを起こしたにちがいないような、わざとらしい気どって鼻にかかった声が、三人の耳に入った。辛島圭子は、奈々子と遼子も含めた二十人近い部員を従えて入ってきていた。たちまち部員が四五人ずつ、走り寄ってきて京子たち一人一人をぐるりと取り巻く。
圭子はげらげら笑い出した。
「徹夜のショ-のしめくくりは、最高の出演者をお迎えできそうだ。迫力といい、華やかさといい、最高のキャストだよ。さあ、皆、舞台の準備にかかるんだ!」

写真部員たちが動きはじめる前に、ようやく光に目が慣れたらしいさつきが、片手を額にかざしながら、圭子のそばに立った二人を目ざとく見つけて、声をあげた。
「那須野さん!上月さんも───こんなところで、いったい、何をしているの!?」
しまった、というようにあわてて半身振り向いた圭子のそばをすり抜けて、遼子と奈々子は、さつきの足元に飛びつくように身を投げた。
「───助けて!美尾さん!」
奈々子がうわずった声で叫び、遼子は声も出せないかのようにわななきながら、さつきの足にしがみつく。二人とも髪はくしゃくしゃに乱れて、目は恐怖に大きく見開かれていた。いつの間にか奈々子のブラウスは破れており、二人とも腕や足に血のにじむひっかき傷がいくつもできている。
あっけにとられた写真部員たちが、あちこちで顔を見合わせる。圭子一人は表情を変えずに腕を組んだまま、黙って二人を見下ろした。
「あんたたち!」さつきは呆然と目を見張る。「こんなところで、何してんだ!?」
「つかまって───つれこまれて───」奈々子がとぎれとぎれに訴える。「ゆ、ゆうべからずっと───」
「ちょっとあんた、辛島さん」さつきは、荒々しく圭子の方に向き直る。「この二人に何をしたのよ?」
「何をしようと大きなお世話さ」圭子は腕を組んだまま、ゆっくりと、さつきの前に近づいてきた。
奈々子と遼子が震えながら、床をすさって、さつきの背後にかくれる。圭子とさつきは面と向かい合って立ち、背の高さがほとんど同じ二人の視線は、がっきと宙でぶつかって火花を散らすようだった。
「───美尾」圭子がゆっくり低い声で言った。「どこから来た?地下通路を見つけたらしいな」
さつきは無言で圭子を見つめ返している。圭子の唇が残酷そうな笑いにゆがんだ。
「よく考えて返事をしな。そんな通路のこと、聞いたこともないなんて、とぼけた返事は言いっこなしだぜ。そんな見えすいた嘘を言ったら、どうなるかはわかってるよな?てめえを最初に裸にして、天井からぶらさげてやる。やめてくれって泣いて頼むまで、じっくり痛めつけてやっからな。もちろん写真はとり放題だ。わかったら、ちゃんと答えな。地下通路の入り口を知ってるんだな?」
さつきが返事をするまでに、一瞬の間もなかった。
「聞いたこともない」彼女は答えた。
あまりのことに写真部員たちが息を呑み、圭子自身もぽかんとしたが、すぐに彼女は獣のような吠え声をあげて、さつきに襲いかかった。応戦しようとあげかけたさつきの両腕は、二人の写真部員につかまれて引き下ろされ、圭子の指が、さつきの着ていた黒いシャツの襟元をつかんで、ばりばりとブラジャ-ごとひきちぎって床に投げ捨てる。上半身、裸になっても、さつきは顔色も変えず、唇に冷やかな笑いを浮かべたままで圭子を見つめ返していた。かすかに頭を動かすと、長いふさふさした髪が流れ落ちるように、その身体を半ばおおう。
圭子は再び腕を伸ばして、さつきの髪をわしづかみにして、手首にからめたが、そこで思い出したように、京子と美沙の方を振り向いた。
「お友だちの大ピンチだよ。命乞いのひとつもしないのかい?」

美沙と京子は、それぞれ回りをとり囲んでいる写真部員たちの頭ごしに、ちらりと顔を見合わせる。そして、どちらからともなく、やれやれというような吐息をひとつついた。 「───ねえ、辛島さん」美沙が、ほとほとうんざりしたと言った口調で言い出した。「あんたんとこじゃ、敵に回した人間の、癖だとか、好みだとか、弱みだとかについて、リサ-チとかはしてないの?」
「───その子に、そんな聞き方したら」京子も天井に目を向けて、うそぶく。「返る返事はそれしかないわよ。そんなこと、この学校にいる者なら誰でも知ってると思ってたわよ」
「───ほんっと」美沙が静かに、あいづちをうつ。「その子のあまのじゃくときたらもう、ほとんど病気なんだから。これこれのことをしたら、こんな目にあう、と脅かされたら、絶対そのことするように、身体のしくみができちゃってんのよ。言ってごらんよ、おまえには、仲間を裏切る勇気なんかないだろうって。あたしや京子が、天井からつるされるのを笑って見ている度胸なんかないだろうって。あっという間に、その子、あたしたちを裏切って、あたしたち二人を天井からつるすロ-プをひっぱるお手伝いするに決まってるんだから。せっかく尋問するんなら、もうちょっとうまくやんなさいよ。見てて、こっちが疲れちゃうわよ」
「ほ~う、ほう、そうかい、南条」圭子はさつきをつきとばして、美沙の方へと歩いてきた。「人の神経、逆撫でするようなこと、わざわざ言って見せるのは、おまえから先に裸にむいてほしいってことかい。別に、いいんだぜ、どっちでも。おまえでも、そっちの乙に澄ました部長さんでもよ」
美沙の頬をゆっくりと、黒く染めた爪の先でなでると、思わせぶりな足取りで圭子は京子の真正面へと移動した。
「朝倉、どうする?いろいろ、しゃべりで煙に巻いて時間かせぎをしたっても、どうせ逃げ出す望みがねえのは、わかってんだろ?どうするよ?かわいい部員を助けるために土下座するかい?裸踊りでもして見せてくれるかい?そっちから言ってもらおうか。何をしてくれるつもりかをよ?」
京子は静かに、息を吐いた。
「あなたと、手を組みたい」
「───何だって?」
「黒うさぎの正体をあばいて、戦って、ほろぼすために」京子の声は落ち着いて、強い力がこもっていた。「あなたと、ここにいる皆の力を借りたい」

「───黒うさぎ?」圭子が用心深い口調で言った。「何のことだよ?」
「白い目の、黒いうさぎのマ-クだわ。あなたも、ここにいる皆も知っているはずよ」京子の口調も、はりつめていて用心深かった。「何者かわからないけれど、そのマ-クを使う何かが、この地下を歩き回っている。あなたたちがコピ-して、売りさばいているポルノの中にも、その連中が書いたものがたくさん混じっているでしょう?」
圭子が鋭く、京子を見つめる。それ以上に、押し殺したざわめきが写真部員たちの間に広がっている。さつきの両腕をつかんでひきすえていた二人の少女が、思わずさつきに身体を寄せて、すがりつくようなかっこうになった。
圭子は、ふんと低く鼻を鳴らした。「おあいにくさまだな、朝倉。そうだったなら、どうなんだい?そんなものがいたって、何をしたって、こちとらにゃ関係がない。別に何も困っちゃいないよ」
「そうかしら?」京子の声は低く、力がこもっていた。「黒うさぎには、何か目的があるわ。あなたたちは、それに利用されている。それで、あなたは平気なの?辛島圭子ともあろうものが、わけもわからず他人の道具に使われていて?そんなに、あなたはプライドがない人?あなたも、写真部もいつから、黒うさぎのパシリに成り下がったのよ?」
わずかに沈黙があって、それから圭子が、にやりと笑った。
「朝倉。考えなかったかい?あたしらと、黒うさぎの間では、もう、すっかり話がついていて、その正体も目的も、すべて承知で、あたしが動いているかもしれないってことをよ?」
「当然、その可能性も考えたわ」
「もし、そうだったら?」
「おしまいね。私たちは。あなたの好きなようにされるしかない」
京子は、かすかな微笑をうかべた。平然とした口調だった。
圭子は京子を見つめている。明らかに、どうしようかと迷っていた。しかし、その時、思いがけない叫び声が、かたまりあった写真部員たちの間からあがった。
「辛島さん!朝倉さんたちと、手を組んで下さい!そうしたら、あの黒うさぎを何とかできます!」
そうよ、そうよ、という声が、あちこちでいくつも悲鳴のように起こった。
「もう、黒うさぎに会うのはいや!」
「何とかしてよ、あんなもの!」
「朝倉さんたちに頼んで下さい!」
「その三人なら、助けてくれるわ!」
「黙れ!」圭子があたりを見回して、どなりつけた。
だが、少女たちはすでに皆、パニック状態になっている。黒うさぎが来る、黒うさぎが来る、という泣き声が重なり合って、地下室の中は騒然となった。
「あたしたちには何でもするけど、黒うさぎをどうもできないじゃない!?」誰かが、つんざくようなかん高い声で絶叫した。
「あたしたち、あんたから何されたって我慢したわよ、でも、黒うさぎに殺されるのはいやよ!」
「あたしたちを守れないんなら、あんたなんか、出て行って!」
「死にたくない!」
「黒うさぎはいや!」
何人かは、もはや意味もわからない言葉を髪を振り乱して、ただわめきつづけているだけだ。空をかきむしって一人がばったり床に倒れた。圭子への反抗というより、むしろ極度の恐怖が生み出した、半狂乱の集団ヒステリ-状態である。
「黙れって言ってるだろ!」それを圧するものすごい声で圭子がどなったが、ききめはなかった。「うるさい!てめえら、皆、ぶち殺すぞ!」
「どうせ死ぬわ!」一人が叫んだ。「黒うさぎに殺される!皆、殺される!───」
「助けてよ───助けて───助けて!」
「皆、ちょっと───」京子が呼びかけた。「静かにして───」
とたんに、しんとなった。
京子は、それほど高い声を出したのではない。ただ、澄んだ涼しい声は、少女たちの乱れて濁った叫び声の間を、光か水のようにまっすぐにすみずみまで通って流れた。それにふれたとたん、少女たちは水で洗われたかのように皆、ぴたりと叫ぶのをやめたのだ。その声は、皆をおびえさせるかわりに安心させた。生徒大会、学園祭、体育祭、寮生大会、あらゆる時に、落ち着いて正確で信頼できる判断を下しつづけ、誰の訴えにも暖かい公正な答えを返し続けて、皆の期待を裏切らなかった声だった。まだ、あえぐような激しい息づかいがいくつも残る中で、少女たちの瞳は皆すがるような光をたたえて、ひとりでに京子の方に吸い寄せられている。
あの騒ぎの後では、かえって耳が痛くなるような静寂だった。圭子が、さすがに目を丸くして京子の方を振り返る。京子自身もとまどったように、手のひらを前に向けて軽く両手を持ち上げながら後ずさりして「失礼」と口の中でつぶやいた。「出すぎたことを」
だが、圭子の周囲で少女たちが、京子への期待をこめたまなざしで、またかすかにざわめきはじめているのに気づくと、彼女は小声で強く圭子に呼びかけた。
「辛島さん。これでは話ができないわ。皆を外に出して、私たちだけで話し合いましょう」
もう一度、圭子は回りを見回した。そして、さつきの両腕をつかんでいたはずの二人の少女が、もはや完全にさつきにすがりつき、ひくひく肩をふるわせながら、さつきに髪をなでられているのを見ると、あきらめたように頭を一つ大きく振り「皆、出て行きな」と命令した。
何人かが動いたが、ほとんどの者が動かず、京子の方をちらちら見ている。京子が圭子に気づかれないよう、かすかに小さくうなずいて、ドアの方へと目で合図すると、ようやく二人、三人と少女たちは動きはじめて、圭子と京子、美沙、さつき、それに遼子と奈々子を残したままで、ぞろぞろ、へやを出て行った。

圭子はドアの鍵を閉めると、京子の方へ戻ってきた。
「黒うさぎと話なんか、何もついてねえよ」彼女は、寝台に腰を下ろして、煙草に火をつけながら言った。「わかってんだろうがな」
「いえ、わかってはいなかったわ」京子は首を振った。「でも、写真部の人たちは、何度も見ているらしいわね。あの───地下にいる何者かを」
「ああ。実は、あたしは見たことがないのさ」圭子は煙草の煙を吐いた。「とっつかまえたら、目にもの見せてくれるって言ってるのが、どっかでやつらの耳に入ってるのかもしれん。でも、ここの部のやつらは、けっこう見てる。それも、黒いうさぎの頭をかぶって長いマントを着たやつらが、地下で人間を切り刻んでいたとか、男をレイプしていたとか。その様子があんまりすさまじいもんで、ノイロ-ゼになって退学したやつまでいた」 「いつごろからのこと?」さつきが口をはさむ。
「おおかた、一年以上も前からになるかな」圭子は考え込んだ。「もっとも、あいつらはもともと、もっと前から地下にいて、おんなじことをしてたのかもな。あたしが、この地下通路を見つけたのが、二年近く前だ。遅刻チェックの抜け穴に利用して、他のやつらにも通行料とって使わせてた。写真部のやつに協力させてたけど、まだるこしくなったから、あたしが部員になったのさ。それからはぐんと仕事もやりやすくなった。ところが、その頃から地下道で、黒うさぎの頭をした化け物に会ったって奴が増えはじめて、あんまり皆がびびりやがるから、とうとう、何人かに手伝わせて、土を崩して、枝道の一つをふさいだんだ。その道は図書館の地下につながってて、どうも、そっちの方から黒うさぎは来ることが多いようだったからな。それで、しばらく無事だったんだが、このごろまた、こっちの地下でも黒うさぎを見たって者が出てきて───こっちの入り口も見つかったらしいってんで、うちの連中は今、パニックになりかけてんのさ」
「ポルノは、どうやってうけとったの?」美沙が聞く。
「コピ-の束が地下道に、ときどき、ばっさり置いてあって」圭子は、片手で顔をこすった。「はしっこには、黒うさぎのマ-クと『エフラファ』って署名がある。やつらが逃げる時にあわてて置いて行ったと思って、署名とマ-クを切り落として売りさばいたら、これがけっこう売れるから、ついつい、こっちでも作ろうってことになったのさ。ただ、あんまり、ちょくちょく置いてあるから、このごろは、ちょっと、あたしもおかしいと思い出してた。ひょっとして、あたしらに売りさばいて、広めさせたくて、わざと置いてるのかもしれないってな。いったい、あいつらには、何か目的があるのかい?」
「それは、まだよくわからないけれど、とにかく、とても危険な集団のような気がしてならないの」京子は言った。「辛島さん。少なくとも、この件に関してだけは手を組んで情報交換して協力しない?」
「望むところだね」圭子は煙草をにじって消した。「どうも、あの黒うさぎには、いろいろ頭に来ることが多い。けっこう、コケにもされてるしな」
京子は、ちょっと圭子を見つめた。
「あんまりあっさり承知するから、疑ってんだろ?」圭子は笑った。「さっき、あたしがすぐに返事をしなかったのは、理由があったのさ。今、そこの石の穴を開けてやるから出て行きな。でも、その前に、あたしをなぐって、鎖で縛って、ベッドの脚につないでおくれ。それから、那須野と上月は残して行ってもらおうか」
「ちょっと待ってよ───」さつきが眉をひそめて言い出した。
「その二人には、手を出しゃしないよ。連絡係にほしいだけさ。あんたら三人、この二人が演劇部を裏切って写真部に情報売りに来てたんじゃないかと疑って、助けないで捨てて行った、二人はそれでやけになって、本当に寝返って、こっちの仲間になった───そのくらいの芝居、この二人ならできるだろ?」
「あ───でも、それって、どういうこと───?」奈々子が、とまどった声を出す。「聞いてると、何か、写真部の皆に、演劇部と手を組んだこと、知られたくないみたいだけど───」
「図星さ、上月」圭子は苦々しい表情になっていた。「この話し合いは、うまく行かなくて、朝倉たちがすきを見て、あたしをやっつけて、逃げ出したって風に、うちの連中には思わせておきたいんだよ」
「どういうことなの、それは───」京子が口ごもる。「まさか───?」
「ああ。そのまさかさ」圭子はうなずいた。「黒うさぎの仲間は、うちの部員の中にもいるんじゃないかって、このごろ、あたしはずっと疑っているんだよ」

その夜のことだ。
クッキ-をかじりながら問題集と格闘していた斎藤眉美は、ふと振り向いた。同室の上月奈々子が、風呂上がりのいい匂いのする濡れた髪を、やわらかな白いタオルで拭きながら、ベッドの上でうれしそうに鼻歌を歌っている。
「どうかしたんですか?」ふしぎそうに眉美は聞いた。「ずいぶん楽しそうだけど」
「ふっふっふっ」奈々子は、ベッドから垂らした、ふかふかのピンクのスリッパをつっかけたはだしの足をぶらぶらさせた。「な~んか、もう、ゲ-ムが、すっごく複雑になってきたの。もうこうなったら、絶対に、頭の悪い人は、生き残れないのよ~!」

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カツジ猫