九条の会関係九条の会九月のチラシ

「井戸塀政治家」って、ご存じですか?

「井戸塀」ということばは、今どのくらい普通に知られているのでしょうか?
私は子どものころに「週刊朝日」に連載されていた、兵庫県知事(社会党公認)の阪本勝さんの随筆で知りました。年賀状の返事を一枚ずつ自筆で書く予定で、最後の一枚がポストに落ちるのは「油蝉鳴く初夏か。ああ、これまた愉快なことではあるまいか」などとユーモアと人間味のあふれる文章を、母と二人で毎回愛読していました。

立派な政治家というのは、人々を救い、よい世の中を作るために、私財もなげうって献身する。そのため、やめた時には家屋敷も財産も何一つ残っていない。売って金に換えることができない、井戸と塀だけがあとに残る。それが「井戸塀政治家」なのだそうです。
阪本さんは知事時代には県営ギャンブルを撤廃し、「知事は3期以上務めるべきではない」と2期目で勇退しました。尼崎市長時代には市長室に施錠せず常に市民に開放していたそうです。

いろんな役職についた方ならおわかりと思いますが、大学の講座主任とか地区の町内会長とか、誰もがするような仕事が実は一番大変です。事務から交渉から何もかも一人でしなくてはならないからで、ある程度責任ある地位につくと、有能な事務関係者や官僚が、きっちり資料をそろえてミスがないよう補佐してくれます。
だから大統領や首相や市長や学長などは、特別な能力がなくても誰でもなれます。「他に人がいない」なんて、まったく、とんでもありません。

最高の権力を持ち、上に立つ人に必要なのは、何よりもまず、ほとんどただひとつ、自分の権力の及ぶ範囲の人すべてを、一人残らず守ろうという強い決意と意志だけです。そして、本気でそう思ったら戦争など、わずかな可能性や選択肢としても考えられるわけがない。どんなに優秀で強力な軍隊があっても、国民を一人残らず守り抜ける戦争など、この世に存在しないからです。

毎日新聞8月5日の夕刊で、田中優子法政大学総長は、「好きな服も着られない」と嘆いた稲田前防衛相にふれ、自分の服装について「女性であっても基準は好き嫌いではなく、似合うかどうかでもない。なぜなら社会的地位は自分自身のためにあるのではなく、組織と社会と理想のためにあるからだ」と書きました。
「井戸塀」とまでは行かなくても、私たちは今、本来の政治家や指導者がどうあるべきかという常識から、あまりにも遠くに引き離されてしまってはいないでしょうか。(2017.8.5.)

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カツジ猫