九条の会関係集会参加者へのお手紙
(これは出すのが遅くなって、実際には使わなかった「お手紙」です。もったいないので(笑)、ここに掲載しておきます。)
8月29日の集会とパレードに参加された皆さま
当日は小雨の中、300人の方が集まって、被爆者で書家の蓮本さんの「私の足の傷の痛みは死ぬまで消えることはない。戦争は絶対にしてはならない」という訴えをはじめ、教育者、若者、母親、外国人など、さまざまな立場からのスピーチに耳を傾けて下さいました。ひきつづくパレードでも「戦争法案はイケン」と、見慣れた街並みに大きな声をひびかせて下さいました。
実行委員会一同、深く感謝しています。
あれからほぼ半月。戦争法案はまだ採決されていません。
あの集会の翌日には、12万人とも35万人とも言われる抗議の人波が国会をとりまきました。北海道、東北、東海、中国四国、九州、沖縄と、全国で反対集会が行われ、北九州の勝山公園では4000人、福岡の冷泉公園では4500人が抗議の声をあげました。
また各地の地方選挙では自民党議員が落選し、山形市長選挙では大差で勝利と見られていた自民・公明推薦の候補が2000票差に追い上げられたように、日本全国が安倍政権への警戒と怒りを強めています。
学者、若者、ママさんたちの反対はもちろん、公明党には法案の白紙撤回を求める9177人の創価学会員の署名が提出され、広島では自民党県議が法案反対の声をあげました。首相官邸に抗議デモを行った右翼団体もあります。
これらの動きに圧倒された政府は「週末はデモが多い」「夜は勤め帰りのデモの参加者が多い」から、「平日の明るいうちに採決できないか」という発言まで出ています。
国会内の審議では、法案の欠陥や政府の意図の危険さが、ますます明らかになっています。安倍首相や中川防衛相の答弁は混乱と迷走を深め、速記中止で議事が中断する事態はすでに100回を越えました。
しかし、この実態をテレビは中継せず新聞も報道しません。内閣支持率がまだ30%以上あるのは、おそらくそのせいもあるでしょう。情報が伝わらないことに、もどかしい思いをしている方もきっと多いと思います。
実行委員会に集まった組織や個人は、この間、それぞれに街頭宣伝、ビラ配布、各地の集会や勉強会への参加など、戦争法案を阻止するための活動をして来ました。
このご報告が皆さまの手に届くころ、戦争法案の審議がどのような状況になっているかは、わかりません。
しかし、どうなっていたとしても、私たちは皆さまとともに始めた、この歩みをとめることはありません。
次の文章は、8月30日の国会前の集会に参加した北原みのりさんが、「週刊朝日」に書いたもので、警察がおいていた鉄柵が決壊して、人々が車道にあふれた瞬間を描いています。
「私はその様子を後ろの方で見ていた。太い道路の終わりの方で、警察が黄色い「立ち入り禁止」のテープをスルスルと畳み、人の波を道路の中に受け入れた。それからはあっという間だった。人の波が、じわじわと50メートルの道路に広がっていった。慎重に、静かに、じわじわと。手をあげ、声をあげ、国会議事堂に向かう人々の背中が凛々しかった。誰もはしゃいでいない。誰も暴れていない。本気の背中だ。
強いリーダーを求めて、面倒くさいことは国にお任せで、経済がよければOKで、沖縄が苦しもうが無視で、原発の対案だせないなら黙れという言葉に呑み込まれるように生きてきた、全然民主主義じゃなーい戦後70年を終わらせよう! そんな空気が、この夏、生まれたのだと思った。若者たちの必死な声が、諦めかけていた社会の空気を変えたのだと思った。
閉じられた柵は、暴力を振るわずとも、開いた。同じように、もう止められない声が何かの扉を開けかけているのだと思う。2015年8月30日、歴史的な日になるのだと信じたい。」
多分、ここ宗像でも、その前日の29日、私たちは何かの扉をあけました。ひとりひとりにできることは小さくても、今新しくはじまりつつある時代に向かって、ともに歩んで行きましょう。
実行委員会では、今後の活動をどのようにするかを話し合っています。
11月に、何かまた戦争法案について考える催しをするかもしれません。その時はまたお知らせします。ネットを使う方は、以下のフェイスブックで予定を確認して下さい。そうでない方は赤間駅前の弁護士事務所「奔流」にお問い合わせ下さい。