九条の会関係あなたを守るのは誰?あなたが守るのは誰?
あれほど情熱を燃やしていた憲法96条改定を、安部首相は参院選の争点にはしないようです。評判が悪い、旗色が悪いと思ったのでしょうか? 真剣な議論をさけて取り下げてしまうその姿勢が、この人にとって憲法や日本とは、その程度のものなのかなあとも思わせてしまいます。
かわりに経済政策が参院選の争点になるようですが・・・これが成功か失敗かということは、そんなに問題なのでしょうか?
そもそも、首相が推進する経済政策は、豊かな人がより豊かになり、貧しい人はそのおこぼれで豊かになることをめざしています。
そして、その豊かさとは、原発事故が起こる前とまったく同じ、便利さと快適さを最優先し、競争に勝ち残ることで手に入れられるものです。
首相の唱える経済政策が失敗したとしたら、大変な事態を招くでしょうが、かりに成功したとしても、そこにあらわれる豊かな社会は、私たちが望むような社会でしょうか?
あの震災と原発事故で、多くの人々が、もうそんな豊かさはいらないと思い、これまでとはちがう新しい世の中をめざすことが、犠牲になった人間や動物へのせめてもの慰めと、痛感したというのに。
私たちの幸福や安全は、お金をためれば得られるのでしょうか。他人を犠牲にしなければ得られないのでしょうか。
それは、国や政府や軍隊に守ってもらうものでしょうか。遠い国や未来のことを考えないで、自分や家族や自分の生きる国や時代のことだけを考えて築くものでしょうか。「国際的な責任を果たす」との名目で、充分な議論もつくさず、国外の紛争に軍隊を派遣することでしょうか。何十万年も未来の生き物を苦しめることがわかっている放射能廃棄物を地球に埋めつづける自分たちに目をつぶって生きることでしょうか。
現実的な、さしせまった、難しい問題がある時ほど、基本的なことから考え、話し合わなければなりません。お金や力にどこまで頼るのか。他人や他国と、争い合うのか、助け合うのか。見たことのない遠い国、まだあらわれない未来に対し、どうやって責任をとるのか。この時代と、この場所で私たちは今、どんな世界と人生をめざし、そのために、どう生きるのか。
平和憲法は、そのひとつの答えです。それについて語り合うことから、きっと、さまざまな世界と未来が見えて来るでしょう。