九条の会関係最大の防衛、それは平和を守ること

震災や原発事故に対する政府の対応を見ていると、「これで戦争にでもなったら、今の指導者たちがどれだけ国民のために、この国を守ってくれるのだろう」と、不安になる人は多いでしょう。「せめて、もう少し軍隊を強くし、軍備を増強しておけば、何とかなるかもしれない」という気持ちになる人も少なくないかもしれません。

しかし、今のような政府や指導者ではなく、もっと真剣に身体を張って国民のことを心から思って行動する政府や指導者であったとしても、今の何十倍も強力な軍備を日本が持ったとしても、いったん戦争になれば、私たちひとりひとりの命や財産をすべて守ることは、とてもできるものではありません。
歴史を見ても世界を見ても、国民を一人残らず守った指導者や軍隊などはありません。また、そんなことは要求できるわけがありません。
戦争になった場合、政府や軍隊が最終的に守るのは、大統領や首相や国王や天皇など、「それが残っていれば国は再建できる」と期待できるものだけです。
私たち多くの国民は、そういう存在が守られて生きのびるのを見て、「ああ、日本の国はどこかでまだ続くだろう」と満足しながら、滅びて行くのが、正しいあり方ということになるのでしょう。

それでいいと思えるほどの気持ちがないのだったら、私たち普通の国民が、自分の命と財産と愛するものを守る最大の保障とは、何が何でも石にかじりついても、平和を守るしかありません。
戦争とは、誰かが私たちを守って戦ってくれることではありません。私たちの生活も財産も、自分や愛するものの命も、そして自由も、求められたらいつ何どきでも、国のためにすべてさし出すことなのです。すでに自民党の憲法草案では、非常時には国民の権利も制限され財産も提供しなければならなくなることが充分に予想されます。

パニック映画や戦争映画で、画面のはしで、救助される船からこぼれ落ち、山のように重なって死んで行く、その他大勢の名もない人びと。あなたがよほどの重要人物でない限り、いったん戦争が起こったら、あれが私たちの姿です。
平和だからこそ、私たちひとりひとりの命も、自由も、財産も守られている。どんな国家も軍隊にも不可能なことを「平和」がやってくれているのです。「何としてでも平和を守る」と決めることから、私たちの防衛は始まるのです。

Twitter Facebook
カツジ猫