九条の会関係映画「ひめゆり」の感想
(7年前に書いたものです。「板坂耀子喫茶室」に収録していたのですが、見られなくなっているので、転載しました。余談ですがミュージカル「レ・ミゼラブル」のバリケードの最後の決戦直前の場面でリーダーのアンジョルラスが「子どものいる者と女は去りなさい」と言うときに、私はいつもこの「ひめゆり」の映画を思い出して、超むかっとするのです。歌う人が下手な場合は「何を今さらえらそうに」と逆上します。そして、こんなせりふのない原作と映画への愛がさらに深まるのです。
その一方で、語り手の女性たちの美しさにふれるのなど、昨今の「シールズ」の女性たちへの外見の賞賛が問題になるのと重ねて、これもどうなのかなと迷ったりします。…とまあ、いろいろなことがありますが、終戦記念日にあれこれ考えるよすがにしていただければ幸いです。)
1 はじめに
「むなかた九条の会」というのは、日本国憲法第九条の「戦争を放棄する、軍隊は持たない」という条文を守ろうということで、集まって活動している会です。
今年の十一月にこの会で映画を上映しようということになり、いくつかの候補作の中から「ひめゆり」という最近できたドキュメンタリー映画を選んで試写会をしました。
その後で感想を言い合ったのですが、私ともう一人の方以外は、「長いし、難しすぎるし、若い人や、こういう問題に関心のない方が見たら、暗くて退屈と思うのではないだろうか」と上映には消極的な意見が多数を占めました。
「そんなことはない、この映画はよくできていて、絶対に面白い」と私が言い張っていると、「では、それを話してほしい」ということになって、こういう勉強会をすることになりました。会の皆さんに納得していただき、今日参加して下さった皆さんが見てみたいし、人も誘って来たいという気持ちになって下さったら、来年の4月頃に中央公民館あたりで上映したいと思っています。
沖縄の女子学生たちが医療活動のために戦線に配置され、多くが死亡したという「ひめゆり部隊」の話はこれまでにも何度か映画やドラマになっていると思います。けれど私は実は特攻隊とひめゆり部隊の話はあまり好きでなくて、これまでそういう映画もドラマも見たことがありませんでした。
なぜ好きでなかったかについては、これから「なぜこの映画がいいと思ったか」というお話をする中で説明できると思います。
2 すぐれた語り部たち
この映画は2時間以上もあってかなり長く、ほとんどが当時のひめゆり部隊の方々の声で、当時の体験が語られるのです。私は今年の夏にNHKが放送した、元日本軍兵士たちの戦争体験を語る番組を連想して、高齢の素人の方がつらい体験を語るのだから、話し方もまとまらないだろうし、そこが感動的でもあるだろうけれど、たしかに疲れるだろうなと見る前に予測していました。
ところが映画が始まってしばらくすると、そうではないことに気がつきました。元ひめゆり部隊の女生徒だった方々は皆八十代なのですが、決して話し方がたどたどしくないのです。むしろ非常にうまいのです。声もきれいで発音も明瞭で、話に無駄がなくてわかりやすい。私は思わず、民俗学とか考古学とか妹の力とか巫女とかシャーマンとか要するに女はおしゃべりがうまいとか、あらゆることを考えてしまったのですが、そういうこともあるでしょうし、多分、語り部としていろんな場所で話して来られた経験豊かな皆さんだからかなとも思いました。
ですから非常に聞きやすいし、疲れません。逆に私は、こんなに話がうまいと聞いていて白ける人もいはしないか、何より私自身が白けはしないかとちょっと心配になりました。ところがこれまた、この方々は話がうまいのですが、決してやりすぎない。めりはりをつけるけれど、つけすぎない。素人なのですが、素人ばなれして、そのへんの語りがうまい。
ここにおいでの皆さんもそれぞれに、戦争やその他のつらい体験をお持ちでしょう。それを忘れないで、整理して、言葉にして人に語るのは難しいことです。私も学生運動の体験を聞かせてくれと若い学生に言われると、緊張して混乱します。そして、いったん語ってしまうと、今度はそれが型にはまって誇張されたり、脚色されたりしてしまう。被爆体験を小説に書いた作家たちが苦しんだのは、マンネリにならずに、いつも新鮮な記憶をよみがえらせなければならないことだったと言われます。
「ひめゆり」の証言者の方々は、語り部として若い人やいろんな人に苦しい体験を語る時、次第に語りや言葉が慣れて洗練されていく一方で、それをやりすぎることで、なめらかすぎる決まり文句にならないように、いつも相手に訴える生々しい強い力を持つにはどうすればよいか、ずっとさぐり続けておられるのだと思います。それが、あのような、すぐれた語りを生んでいるのではないでしょうか。
大変不謹慎な言い方かもしれませんが、私が皆さんにこの映画で見ていただいて、意見を聞かせていただきたいのは、この証言者の女性たちの美しさです。八十代とはとても思えない。そしてそれぞれセンスのいい、身についた服装をされ、「あら、ここに壕があったんですけど」とか言って、ものすごい崖とかを平気で下って行かれる。身心ともに健康で経済的にも恵まれて幸福な方々なのだろうと、こちらは下世話な空想をついまたします。
そういう環境にある方々だから、こうやってつらい思い出を語る力がおありなのかもしれない。でも、反対に、それは、この方々がこうやって過去の思い出を整理しつづけ、風化させずに、後の時代を信じて伝えようとしつづけることから生み出された力、築かれた環境なのかもしれません。
もちろん、映画が最後に伝えるように、生き残った方々の中には今でも一切の取材を拒まれている方々もおいでです。当然、そういうかたちで過去を整理されている方もおいででしょう。その方々の沈黙にもまた、私は思いをはせました。その方々の沈黙が、証言される方々のことばの背後に深く横たわっているのを感じました。
3 青春映画として
公害問題や戦争被害を扱った映画では、登場する方々のお姿を、こちらも苦しみに耐えて見つめなくてはならないような悲惨な画面がよくあります。でも、「ひめゆり」の証言者は今言ったように、凄惨な体験を話していても今は皆きれいで幸福そうで、過去の少女だった頃の写真を見ても、皆ういういしく清潔で魅力的です。
本当に悲惨なのに、画面はいつもどこか華やかで甘くて明るいのです。初めて塹壕に入った夜でしたか、先生たちが女生徒たちを力づけようと歌を歌って下さったとかで、「お菓子の好きなパリ娘」という歌でした、と聞いて私はなつかしかったのですが、それは私の九十一歳になる母が、「女学校でこの歌を習った時、先生が『ボンジュール』はお菓子の名前だと嘘ばっかり教えた」とよく私に話してくれていたからです。若い人に聞いても誰も知りませんが、一定以上の年令の方は皆ご存じではないかと思う、お洒落で華やかなかわいい歌です。そんな歌を歌う華やぎが、どこか、この映画には漂います。だからこそ悲惨さも増すのですが、それでもこれはやはり青春映画なのです。
私は特攻隊やひめゆりの映画が好きでなかったと言いました。それは私の父母の世代が、そのような人たちを題材にした映画に対して、戦争反対というだけでなく、どこか甘い郷愁を抱いているのを私が感じとっていたからかもしれません。若かった私は、その感傷が許せませんでした。結局、戦争に参加し、敵を殺しに行った若者たちが、学生だろうが若者だろうが、私は決して美しいともいたましいとも思えなかった。ひめゆり部隊だって厳しく言えば戦争の一翼はになったわけで、加害者ではあるわけで、一方的に被害者として同情する気にはなれませんでした。
その思いは今も変わりません。けれど、今回「ひめゆり」の映画を見ていると、たとえまちがった戦争の、たとえ加害者の側であったとしても、その時代に、その場所で青春を迎えなければならなかった人たちの、やむをえない、抑えられない若々しさを、やはりまぶしいと思い、美しいと感じます。
ひめゆり部隊のような苛烈さはなくても、同じあの時代に青春を送った方々は、この映画をごらんになれば理屈を超えたなつかしさを感じられるでしょう。そして若い人たちも…私は今の時代が戦争中より生きやすいわけではなく、もっと苦しいことさえも多くあると思っていますが…今の自分たちとはあまりにも異なる環境だけれど、そこにはたしかに自分たちと同じ若者の暮らしがあったのを感じとれるでしょう。
過去のあやまちをくり返すまいと決意することは、過去から逃げることでも、過去を消すことでもありません。向き合い、見つめて、愛することです。自分の一部として、あるいは自分の一部のように。
4 戦争と子どもたち
証言者たちは当時十六歳前後の女学生で、彼女たちは最初「赤十字の旗の立っている所で医療活動をすると思っていた」ようなのですが、実際には前線の塹壕の中に入ったわけです。そして、砲弾の飛んでくる所で活動して何人もが死に、米軍がいよいよ上陸して火炎放射器であたりを焼き払い始めた状況になって、「もういいから帰れ」と言われた。そう言われても帰る所などなく、彼女たちは戦火の中を右往左往して、ほとんどが死んでしまうのです。
先に言ったように、証言者たちはいろんな場所で語り部として活動しているのだと思います。その話はそれだけ聞いても印象深いだろうとは思います。しかし、この映画の大きな功績、そして魅力は、大勢の証言者の証言を重ね合わせることで、沖縄戦の全体像が実感としてすごくよくつかめることです。几帳面な人はもっと正確につかめるでしょうが、私のようなたいがいずぼらな人間でも、感覚として、戦争とはこういう風になるものだなという全体の図が漠然と実感できます。こういう混乱は会社が倒産したり、イベントが失敗したりする時も同じで、指導部が消え、指揮系統が混乱し、何もかもわからなくなるのですが、戦争ではそれが命のやりとりになるというところが決定的にちがいます。そして、戦争映画ではそこまで細かく描いてくれない、具体的にどうやってひとり一人が死ぬような状況になるかが実によくわかります。戦争映画では画面の端でばたばた倒れて死んで行く名もない人たちひとり一人の運命が見えます。
多分、語っておられる皆さんも、こういう全体像はわからないで語っておられるのではないでしょうか。ひとり一人が必死に目にやきつけた自分の周囲の体験を、一生懸命、正確に話すことで、まるで小さいかけらから大きな絵が出現するモザイク画や、ピースを集めて完成させるジグソーパズルのように、巨大な全貌が見えてくる。それは、それだけたくさんのかけら、ピース、すなわち悲惨な戦争体験があったという有無を言わせぬ事実でもあります。
くり返しますが、その人たちひとり一人には、そんな全体像は見えていません。映画の観客には見えますから、じれったくなるし、腹立たしい。何てもう罪作りな、へまな方針を出すのだといらいらする。特に、軍人でもない大人でさえない人たちを医療担当とは言え、ほとんど戦闘要員なみの危険にさらしたあげくに、「もういいよ」と解放する残酷さと無責任さがたまりません。 彼女たちは泣いていっしょに死なせてくれと頼むのですが、それは当然です。私はここでふと女性としての憤りも感じてしまうのですが、中途はんぱに参加させておいて、結局最後は「いっしょに戦った」という彼女たちの誇りも奪ってしまうのは本当にひどい。その後、彼女たちの多くが死ぬのも、そういう生きがいか死にがいかわかりませんが、仕事をしていた誇りや心の張りを失ったことも大きいのじゃないかと私は思ってしまいます。
そもそも、こんな年令の、子どもといってもいい人たちを最前線に投入していいのか、そんな無茶な方針、誰がいつどこで考えたんだと、つい思うわけです。現在、映画「ブラッド・ダイヤモンド」にも描かれたように、世界各地で少年兵の存在が問題になっていることも思い出されます。
ですが、そこでまたちょっと考えてしまうのが、これはたまたまこんな戦争だったのと、たまたま負けたのとで、非常にとんでもないことに思えてしまうのだけれど、たとえばこれが非常に正しい戦争(ナチスと戦うような)で、しかも勝っていたりしたら、彼女たちの戦争参加は普通に美談になるのかもしれません。
昔、私が学生のころ、山本薩夫監督だかが作った「ベトナム」という記録映画はなかなかいい映画でしたけど、その冒頭は不発弾を処理した少女の兵士がにっこり笑うさわやかな笑顔の大写しでした。ソ連映画「僕の村は戦場だった」もたしか少年兵が登場します。ただ、これはタルコフスキー監督で、非常に「少年が戦う」ことを問題視して描いてはいましたが、さしあたり少年が武器をとってはいるわけです。実際にソ連でもヨーロッパでも大勢の子どもたちがそうやってレジスタンスを行って戦ったはずです。
だいたい、子どもが戦っていけないというなら、「ナルニア物語」も「エヴァンゲリオン」も、たいがいのファンタジーや冒険文学、アニメは成立しません。読者である子どもたちが感情移入できる同年齢の主人公が、悪と戦って倒さないとこの手の話は成り立ちません。日本だって「太平記」で父の仇を討つ少年が登場するように、子どもが戦うのは普通です。
子どもを戦わせる、ということを、どのように考えるか。これも、この映画を見て皆さんのご意見を聞きたい、現代に通じる大きな問題です。そういう材料も提供してくれる映画です。
5 責任を問うということ
私は映画の中盤から後半で、軍の方針のいたらなさにあまり腹が立ったので、証言者たちに思わず「あんたたちも、そんな目にあっていて、もうちょっと怒れよ」と言いたい気持ちになったのですが、この映画の証言者たちは、意図しているのではないかと思うぐらい日本や軍部やアメリカや、その他どんなものに対しても、抗議や非難をまったく口にしません。あるいは制作者の意図で編集したのかもしれませんが、いずれにしても、この映画のひとつの特徴だと思います。
本当に悪かったのは誰かを知り、怒る相手を知ることは、戦争に限らず大変に難しく、また大事なことです。作家の住井すゑさんが、平和教育について「戦争が恐いと教えてはいけない。戦争は悪いと教えなくてはいけない」と言っておられますが、戦争は天災ではなく、人間が起こすものです。責任が誰にあるのか、責任は誰がとるのか、はっきりさせておかなければいけません。
詳しい事情を知らないままに乱暴なことを言いますと、私は平和教育にいらいらしていた時期があって、それは、「大人になれなかった弟たちへ」にしても「火垂るの墓」にしても、皆、子どもが戦争の被害にあう話で、だから戦争は悲惨だと訴える力になるのはよくわかるのですが、そういう、加害者や責任者には絶対なりようのない人を描くことで戦争の悪を告発するのはずるいんじゃないかと思ってしまうのです。もちろん、そういう訴えも文学もあっていいのですが、それで本当に戦争を防げるのでしょうか。
そういう映画や小説では、子どもたちの家族をはじめ周囲の人も皆、戦争に批判的です。兵隊は命令に従って苦しみながらひどいことをし、軍人も苦悩しながら戦っている。見ていると、当時の日本の庶民も知識人も皆、戦争反対で、いやいやいうことを聞いていたように見える。じゃいったい、戦争したがった人、しようとした人はどこにいたんでしょうか。どこにもそんな人がいなくて戦争が起こったという話は、あまりに無理がありませんか。
天皇から庶民まで、皆、戦争はいやだった。敵も殺したくはなかった。そうなると南京大虐殺とか、そういう時にそういう場所でそういう行為が起こったということに対して、そんなことはなかったとするか、そんなことをした人は特別だったということになってしまう。否定するか無視するかして、その人たちを自分たちと近い人たちとして、その人たちの気持ちになって、その人たちを愛することを誰もしない。
私はこのような姿勢は平和な現代でも存在すると思っています。宮崎勤、林真須美、最近だったら加藤容疑者や小谷容疑者、そういう人たちをマスメディアも世間も、理解できない異常な人たちとして怪物扱いしてしまいます。アメリカのミステリ小説でも、最近は犯罪者を治癒不可能な精神を病んだ人に設定するものが多い。
私は宮崎勤も林真須美も、私とそんなにちがわない、気持ちはわかると言って回って周囲に引かれていました。そういう考え方にも危険なものはあるでしょう。でも、戦争犯罪をはじめとした、どんな犯罪でも、そういう罪をおかした人が自分の家族だったらどうか、自分とその人の間の差はいったいどこにあるのかと考えることは無駄ではないと思います。
外国のものが何でもいいとは限りませんが、たかがハリウッド映画でも、そういう点はとても厳しいなと見ていて思うことがあります。ドイツの収容所で生き残った女性を主人公にした「ソフィーの選択」という映画でも、同じように収容所で生き残った男性ボクサーを主人公にした「生きるために」という映画でも、主人公たちは決して全面的な被害者ではありません。前者ではかなりはっきり、後者ではめだたなくではありますが、彼らが生きのびるために仲間を犠牲にしたこともあることを、きちんと指摘しています。どちらの主人公も、これ以上理不尽な目にあう被害者はいないほどひどい目にあっているのに、それでもその中で彼らが犯さざるを得なかった罪を見逃していない。 生き残った者も死んだ者も、醜いことや汚いことをしたかもしれない。それは戦争や状況のせいと言うにしても、まずは、そういうことをしたということを忘れてはならない。
最近のハリウッド映画「告発のとき」はトミー・リー・ジョーンズやシャーリーズ・セロンという今をときめく人気俳優が出演しているにもかかわらず、大胆にアメリカ軍のイラクでの残虐行為を描いています。私が強い感銘を受けたのは、主人公の愛国者でもあり軍人でもあり、息子を深く愛している父親が、息子の死の謎を追ううちに、その息子が残虐行為の中心人物であった真実につきあたり、息子をそのような戦争に行かせ、弱音を吐くことを許さなかった自分の責任と目をそらさずに向き合うことです。そうやってこそ、息子への愛は守れる。
私自身、戦争反対をしつづけて生きてきましたけれど、前線で上官に反抗したり、ひどい目にあって死んで行く兵士は愛せても、残虐行為をした兵士のことは愛せなかった。それ以前にそんな人の内心は考えてもみなかった。「告発のとき」の映画を見たあとで初めて私は、そういうことをした人が自分の恋人で教え子で父で息子だったらと考えました。死んだのであれ生きているのであれ、その人を愛しつづけて抱きしめるには何が自分に必要かと考えました。そんなことをこれまでまるで考えて来なかった自分に、自分で一番びっくりしました。宮崎勤や林真須美は自分と同じと平気で言っていた私が、南京大虐殺をした兵士と自分は同じとどうして思えなかったのでしょう。
昔、まだ体罰の問題が世間でそんなにやかましくなかった頃、私の教え子で就職して先生になった人たちは、男女を問わず生徒をなぐっていました。私は高校生のころ一度だけ先生から頭をたたかれたことがあり、その時に自分に「理由が何であれ、生徒に体罰を加える教師は絶対に愛さない」と誓っていました。しかし私は教師になった時、「自分の教え子は皆何をしても愛する」と決めていたので、うーん、「矛盾」ということばをこれほど具体的にあらわした状況もないな、と感心している内に時が流れて、その問題を私は考えつめないままでした。それと似たことも感じました。
軍人にしろ庶民にしろ、皆がいやがっていたら、いくら何でも戦争は始まらないし続かない。いろいろな理由から、やはり当時の人たちは普通の人も戦争をしたがっていたということをもっと思い出さなければいけないと思います。
そんなことはないと言うなら、少なくとも、ごく少数の人以外は戦争に積極的に反対する人はいなかったということは認めなければいけない。勇敢に反対したごく少数の人は、なぜ自分が孤立し、皆がついて来なかったかを考えなければいけない。
九十一歳になる私の母は、最近の情勢を心配して、「前の戦争の時もそうだったけど、一夜でがらっと世の中が変わって、一気にものが言えなくなるんだから」とくり返します。たとえそうでも、そうなる前に、危ない、おかしいと思った、まだ何かが言える時に戦争をくいとめようとした人が、それほど多くはいなかったことは、忘れてはならない。
いろんな理由があったでしょう。それでも、どうしてそうだったのか。
子どもの頃の私は、それが不思議で、理解できなくて、大人は皆よっぽどバカだったのだろうかと思っていましたけれど、今になって、この数年間の状況を見ていて、それはとても難しいことだったのだと、つくづく感じています。戦争はいやだと思っていても、それをくいとめるために、いつ、何をするかということは。
私は今、誰よりも自分に言い聞かせていることですが、日本がこの先、戦争にまきこまれ、多大の犠牲が生まれたら、その戦争を起こしたのは誰でもない、私たちです。すでにいくぶんか戦争に巻きこまれているのも、誰のせいでもない、私たちが認めたこと、防げなかったことです。どんな戦争でも、一般の庶民が戦争をくいとめられなかった責任を無視してはならない。どんな弱い者も被害者も、やはり何かの責任はある。そのことを忘れたくはありません。
けれど、井上ひさしの戯曲「頭痛肩こり樋口一葉」に出てくる気の弱い幽霊のように、怨んで祟ろうと思っている人を理解すればするほど誰にも怨みを持っていけなくなって消えてしまうのも悲しいことです。松本清張のミステリ「霧の旗」のヒロインのように、少々無茶でもとりあえず納得できない相手に徹底的に復讐する方が、まだしも救われるかもしれません。
戦争を起こす責任は私たちひとり一人にあり、勇敢に反対した人にさえ、その目的を達せられなかった責任はあるとしても、しかし、もちろん、それ以上の責任者はいるわけです。マイケル・ムーア監督の映画があからさまに告発しているように、古くは小説「風と共に去りぬ」の中でレット・バトラーが言うように、岡倉古志郎『死の商人』が述べるように、戦争は思想信条宗教以上に経済問題であり、軍需産業が求めるものです。誰もが否定できない、その側面は決して見失ってはなりません。
もう一つは大西巨人『神聖喜劇』がくり返し述べているように、日本の軍隊や政治機構は無責任で、命令を下して束縛しながら、その方針や判断が誤った時の責任は誰も取らない、すべては「自分も上からの命令だった」とより上部に責任が転嫁され続け、その頂点にいる天皇は神だから、責任はとらない。そうやって最高の天井がすっぽぬけた、ものすごく壮大な無責任体制が誕生する。この図式です。
天皇の戦争責任を問わなかったことについては、当時の事情もいろいろあるでしょう。しかし「天皇も実は戦争には反対だった」と言われると、まったく誰があの戦争を起こしたんだと言いたくなる。ちなみに私の老母は「今の人は知るまいが、当時の天皇の力はものすごいものだった。軍部がいくら強くても、天皇が戦争はやめろと言えば、絶対に誰も逆らえなかった」と断言しています。
天皇はむろん、今は神ではないし、日本の運命について何の責任も負ってはいません。しかし、あの戦争においてはやはり最高責任者は彼でした。
私が平和教育がものたりないと思うのは、結局、「誰もが戦争を望んではいなかった」という悪役のいない話をしても、どうして戦争が起こったのか、今度どうして防げるかはわからないわけで、「天皇の命令だった」「責任は天皇にある」と言わなければ、大西巨人の言うように、誰の責任も問えないと思うのです。それは天皇個人の人格とかそういうことへの攻撃ではなく、その時の位置と役割がそうなっているということです。一人の兵士、一人の庶民の戦争責任を問うためには、最高責任者の責任を明確にしなければならない。
でも、日教組か民主勢力かそういう人たちと、それに反対する人たちの力関係から言っても、平和授業で天皇の戦争責任に触れることは無理だったろうと思うのです。そういう限界を抱えながら、平和教育はがんばってきたし、大きな成果をあげてきたと思うのです。ただ、もう本当にやむを得なかったとはいえ、そこを避けてきたことは、やはりいろんな問題をあいまいにしていると思います。
もうひとつは、アメリカに対する考えです。これは自衛隊の論文問題の田母神氏のような方々にも聞いてみたいのですが、アメリカが日本に対して行った東京大空襲や原爆投下をどうとらえるのか。アメリカは日本をまちがった支配者から解放してくれた正義の国なのか。そうではないのか。もちろん、簡単にわりきれることではないのですが、このへんを考えておかないと、また問題がややこしくなる。
何度も登場させてすみませんが、私の母は、アメリカがベトナム戦争で苦戦していたころ、核兵器以外のあらゆる残酷な兵器を用いた圧倒的な物量作戦にも敗北しないベトナムの人たちを見て、「日本はずいぶんあっさり降服したけど、こんな風にしてもっとがんばれたかもしれないね」と言いました。そういう風に感じたり考えたりした人が、日本全国でどれくらいいたのかは知りませんが、たとえばその後、アフガニスタンやイラクを、テロリストを倒すとか独裁者を倒すとかいう理由で、一般市民の上にも爆弾を落とすアメリカ軍の映像を見て、太平洋戦争の図式を思い出した人はいるのではないかと思います。
アメリカは世界の秩序を守り正義を守るという口実で、そうやって多くの他国に干渉してきています。それは先に言った軍需産業からの要望など経済的な事情もあるにしても、やはりあの国を支えている精神は、そうやってナチスに支配されていたヨーロッパを解放し、天皇制に支配されていた日本を解放したという美しい思い出なのではないかと思うのです。
そのことを、私たち日本人はどのように受けとめればいいのでしょう。
「火垂るの墓」でも「はだしのゲン」でも、戦争反対の映画や小説では、無邪気な子どもが「鬼畜米英」と叫んでがんばろうとする場面がよくあります。それはもちろん当時としては普通のことで、でも、米英は圧倒的に強くて戦争に日本は負けた。そして平和が訪れた。
だから「鬼畜米英」という言葉は、「まちがった戦争」ということとセットになっています。しかし、その後から現在にいたってアメリカが世界でしてきたことは、とても平和を守るためにと全面的に支持し肯定できるものではありません。では、アメリカに負けた時に日本人が確認した「まちがった戦争」という考え方も見直すのか。一方で、現在、平和憲法を改正し、日本も軍備を持つべきだと主張する人たちは、現実にはそうしたら、その軍備はアメリカと一体化し、アメリカの戦争を助けるために日本国民が世界のどこか遠くで血を流すしかなくなる可能性がとても高いということを、どのように考えるのか。そのへんが、最近の愛国心とか自虐史観にまつわる議論の中で、奇妙なねじれを生んでいます。
私は、自民党の一部の人を中心とした、愛国心を強調し教科書を見直そうとする人たちが、「あの戦争はまちがっていなかった」と主張する時、アメリカがこの動きを知ったら、どう整理するかが見ものだと思っていました。今の日本で最もアメリカに協力的な人たちが、先の戦争でアメリカがかかげた、そして今も大切にしている理想を徹底的にくつがえそうとしていることを、アメリカが知ったらいったいどうするつもりなのかなと。
同じようなことですが、大分で九条の会の活動をしている人たちが、イラクへの自衛隊派兵に反対する署名をとっていたら、右翼の人から激励されたそうです。「日本人をアメリカの戦争にかりだすようなことをさせてはいかん」と言って。そういう考え方があって当然でしょう。
先のハリウッド映画の例でもわかるように、アメリカの精神にはすぐれたものが多くあります。それを別にしても、年輩の方は不快に思われるかもしれないほど、アメリカの文化や精神に今の日本は深くなじんでいます。しかし、今アメリカが世界でしていること、日本にさせようとしていることが、平和の問題に大きく関わる以上、私たちはアメリカに対する感情と考えを整理しておかなくてはならない。乱暴に言うと、それは、憲法九条を日本に与えたと言われる国であり、広島と長崎に原爆を落とした国です。どっちもけしからんという人にとって話は簡単でしょうが、そうでない人にとっては、わりきれないものがあります。
「夕凪の街、桜の国」という最近の漫画を映画化した作品は、漫画も映画もとても美しくてはかなくて優しいのですが、強靱な抗議と怒りを秘めています。主人公の女性は原爆症で戦後に死ぬ時、「原爆を落とした人たち、ちゃんとうちが死ぬのを見とってくれる?うちが死んでうれしい?」と問いかけ、健康な時にも「うちたちが死んでもいいと思った人たちがおるんよ、それを思ったら生きとったらいけん気がする」と言います。(思い出して書いているので正確な表現ではありませんが、だいたいこの通りです。)あまりに心弱く繊細そうに見えて、実はそれは強烈なメッセージです。原爆は天災ではなく、運命でもなく、ひとつの街の住民をまるごと殺してしまいたいという、明確な意志のもとに投下された。それでもいい、しかたがないと思っているなら、アメリカ国民は、私が死ぬ時も、当然、やった!と喜ぶべきである。この美しいはかなげな少女はそう言っているのです。
日本の戦後に、アメリカに対するこのような抗議はありませんでした。私の記憶にある限り、それを最初に大きくとりあげたのは本多勝一さんの「殺される側の論理」で、彼はその中で、ベトナム戦争での米軍の残虐さと日本への原爆投下が、アジア人への差別意識という点で一体であると指摘しました。そして、そのように被害者としてアメリカに抗議するなら、日本も加害者として中国に謝罪しなければいけないという観点で、「中国の旅」を書きました。これも私が知る限り初めての、アジアでの日本軍の残虐行為の告発でした。
他者の責任を問うことは、自分の責任を負うことでもあります。私たちが平和や戦争の問題を考える時、それは一方的な抗議や、一方的な謝罪に終わってはならない。
「ひめゆり」の映画は、そのどちらもしていません。反省もしないし、抗議もしない。自分たちは被害者だとも、加害者だとも言わない。ただひたすらに事実を語り、伝えます。それは明らかに、意識してそう作られています。安易に抗議や反省を語ることを抑制した映画だからこそ、それ以上のことを語り、考えるのは私たちにまかされています。
意識して、意図的にと言いましたが、それは映画の作り方の話です。証言者の方々としては、そのことがむしろ自然で、戦争を体験した方の多くも、彼女たちと同じなのではないかと思います。誰が悪いとか、自分が悪いとか、考えて、そのように語れる方もいらっしゃるけれど、そういうことを考えず、そういうことには触れないまま、記憶としてだけ、抱えて、とどめておられる方が多いのではないでしょうか。そういう方々にとって、この映画はもちろんめったにない苛酷な体験を語っているにしても、なじみやすい親しいものではないでしょうか。
6 なぜ降服しないのか
この映画の最後では、多くの女子学生が本当にあっという間に死んでいった話が語られるのですが、絶体絶命の状況で米兵から降服を呼びかけられても、彼女たちは決して投降しません。今の若い人から見ると、それは異様にさえ見えるかもしれません。 映画の中でくり返し語られるのは、当時は捕虜になったら一寸刻みに殺されるとか、とにかく敵は残酷だから、決して捕虜になってはいけないという教育が徹底して行われており、彼女たちもそれを信じていたということです。
なぜそういう教育がされたのか、した方はそれを本気で信じていたのかも気になります。日本軍が捕虜に対してどのように対処していたか、それがどういう影響を与えていたかも気になります。
しかし、そのことは今はおいておくとして、これも私は若い時や子どもの頃には、こういう話や場面が実にじれったく、さっさと降服すればいいのに、日本みたいなひどい国から逃げ出して早く敵の方に行けばいいのに、敵が残酷だと教えこまれて、それを信じこんでいるなんて、何て知識も判断力もないんだろうと思っていました。でも、今考えて見ると、「まちがった自分の国を捨てて、正しい敵の国に逃げる」ということも、そう簡単にできることではありません。
これも、児童文学や冒険小説には、そうやって、もともと敵だった人が味方になって活躍するというケースが多くあるし、実際にそういう例もいくらもあるとは思います。でも一方で、実際に降服して本当に命の保障があるかどうかは、かなりいちかばちかの賭けだろうとも思います。
昔、「コンバット!」というアメリカの軍隊物のドラマがあったことをご記憶の方もおられるでしょう。あのドラマの舞台はヨーロッパの戦線でしたが、そこでときどきドイツ軍が捕虜になると、主人公たちは彼らがどんなに危険で卑劣でも、決して殺さず連れて歩いていました。それはそういうドラマの主人公が人々にお手本として見せるべき行動であり、ドラマとして正しかったと思います。でも、現実はなかなかそうはいかなかったはずです。
最近の映画「硫黄島からの手紙」で米軍に投降した日本兵は、結局混乱の中で米兵に射殺されてしまいます。そういうことだって実際には充分にあり得るでしょう。 映画「人間の条件」の第三部でしたか、主人公梶の中国での軍隊生活の中で、兄が左翼思想の持ち主だったことから上官ににらまれて、いじめられている兵士が登場します。佐藤慶という俳優が演じていました。彼は、前線を突破して敵に投降しようと梶を誘いますが、梶は自分の愛妻が日本で自分を待っていることと、「隣の国が美しく見えるからと行って、そこに行く気にはなれない」みたいなことを言って断ります。しかし、その後、前線での戦闘の混乱の中で、その兵士が敵の方へ逃走した時、梶は「逃げろ、走って行け」と大声で叫んで、それを励まします。
この兵士がどうなったかはわかりません。彼と同じように社会主義を信じて雪の国境をソリで越えてソ連に亡命した岡田嘉子と杉本良吉は、その後ソ連にスパイの疑いを受けて拷問にかけられ、杉本は死亡しました。同じ事がヨーロッパの戦線でもあったと聞いたことがあります。これをソ連の暗さ、陰惨さとして批判する人もいますが、要するに戦争状態になったが最後、どの国もそれぞれのやり方で自国を守ろうとするし負けまいとするし、そんな中で個人の運命など、思いやったり保障したりしている余裕などありません。
そう考えると、「ひめゆり」の女子学生たちが絶対に投降せず、敵を信用しなかったのも、無知だとか教育の恐ろしさだとか、言ってもしまえなくなります。どうしたら助かるのか、いったん戦争になったら、誰にも判断できません。どうやったら生きのびられるかについて、どんな教訓も戦争からは導き出せないでしょう。
何よりも確実なのは、戦争をしないでいることしかありません。それが唯一の教訓です。「ひめゆり」を見ていると、あらためてそれを痛感します。私たちの多くは英雄でもなく超人でもなく聖人でもなく天才でもありません。そんな人間が無事に生きのびるには、ただひとつ、戦争をしないでいることです。いったん始まったが最後、どっちに逃げても、どうしても、大抵の人に助かる保障はないのだとわかります。
私の感想は、あくまで個人的なものです。皆さんがこの映画をごらんになれば、ご自分の体験とも重ね合わせて、見た方の数だけ語りたいことがおありだろうと思います。それを聞かせていただきたいし、私の話にまちがいや見落としがあったらぜひ教えていただきたいと、心から願っています。(2008.12.6.)