九条の会関係憲法記念日の朝に

今から十年前、加藤周一、澤地久枝、大江健三郎、小田誠、など日本の代表的な作家や学者たちによって、「憲法九条を守ろう」という「九条の会」が発足しました。その会の呼びかけによって全国に多くの「九条の会」が生まれ、現在その数は数千にのぼっています。ここ宗像市でも福岡教育大学の学長だった菰口治を代表として「むなかた九条の会」が作られました。

私も九人の世話人の一人として参加しました。しかし当時の私は憲法について詳しく勉強していたわけではなく、九条を守れるという信念もありませんでした。その頃の日本では憲法九条を変えようという意見が強く、「アメリカに押しつけられた憲法だ」「平和を守ると言って国連の戦闘に参加しないのでは無責任だと思われて世界から孤立する」と盛んに言われていました。この分ではその内に憲法は変えられ、日本は戦争できる国になる。そして若者は戦死し、国は戦火に包まれる。私はそう覚悟しました。そして、その戦争もいつか終わって「なぜ反対しなかったのか、なぜ何もしなかったのか」と、自分が子どもの時に大人たちに対して思ったように、子どもや孫の世代に私たちは思われるだろう。せめてこのくらいのことはしておきたい。そんな気持ちでした。

それから十年たちました。私が思ったように日本は今、戦争できる国になろうとしています。戦死する若者が作られようとしています。しかしそれは、私が思っていたように憲法が変えられたからではありません。国民が選んだからではありません。首相が国民投票はおろか国会での議論さえしないまま、事務的手続き程度の簡単な閣議決定で、集団的自衛権をはじめとする国の未来を決定する重要な法案を次々作っているからです。

この十年間で、憲法についてさまざまなことが明らかになりました。「アメリカに押しつけられた」のではなく、日本の憲法学者たちがその制定に大きくかかわっていたこと、国会で承認され、国民もこれを支持してきたことが指摘されています。そして、自分たちの新しい憲法を作ろうという自民党の憲法草案は橋本治、内田樹、などから時代錯誤、幼稚な欠陥品と否定され、ネットでも「読むだけで胸が悪くなった」と反発されています。
何よりも「アメリカに押しつけられた」ことを憲法を変える理由にする自民党や安部首相が、TPPで日本の農業を破壊し、基地の存続で沖縄県民を苦しめることについては、まったく「アメリカに押しつけられた」状態を問題にしていないのだから、この理由は何の説得力もありません。

「平和憲法を守っていたら、無責任だと言われて世界から孤立する」という意見も今ではまったく聞かれなくなりました。アフガニスタンで人々を救っている中村哲さんをはじめ、中東やアジアで活動する多くの人々から、「九条を守って戦争をしない」日本に対する現地の人々の信頼と評価がどんなに大きいかということが続々と伝わって来たからです。九条を守ってさまざまな国際活動に貢献することこそが、日本が世界に期待され信頼される方法だということが今では広く知られるようになりました。

議論すればするほど今の憲法と九条の良さが明らかになる中で、首相はついに議論しないで憲法を変える方法をさぐりはじめています。改憲を唱えてきた憲法学者の代表的な存在の小林節さんにまで激しく反対されながら、首相はこの方向を強引におしすすめようとしています。

その際によく利用されるのは、「中国や韓国、北朝鮮の脅威」です。たしかに近隣諸国との関係は重要ですが、それらの国を恐れ憎む人でも、戦争をしたいと望む人はいないでしょう。だとしたら、軍隊や武器を持つことが戦争をしない抑止力になると期待するのは単純すぎます。それらの国と話し合うこと、そして国際世論を味方につけること、この二つの努力が欠かせません。そして今の日本政府は、アメリカと協力するだけ、それもアメリカ議会での演説で首相が原爆投下についてまったく触れず被爆者を激しく失望させたように、屈辱的な関係を続けていて世界から尊敬も信頼も得られにくい状況です。

また、現政権下でとにかく景気はよくなっているというのが、国民が我慢を重ねる理由のひとつになっていますが、景気回復と言われるものは、それが支持率を維持する唯一の方法である首相と財界が、年金の財源までも危険な投機に投入するような強引な手法を重ねて作りだしているもので、現実には格差が広がり不正規雇用者が増え、消費は低迷し、富裕層や大株主以外は恩恵を受けるとは程遠い状況です。

今、首相が最後に、大きく期待しているのは、国民の無気力と無関心です。「自分には何もわからない」「自分が何をしても世の中は変わらない」と私たちが思うこと、「上に立つ人はそんなひどいことはしないだろう」「戦争は自衛隊が、原発事故への対処はそこで働く人がやってくれるだろう」「誰かが守ってくれるだろう」と私たちが思うことです。

自民党をぶっつぶすと言った首相や、新しい時代を作ると言った政党に、国民は期待しては裏切られて来ました。そうやって、疲れ、しいたげられると、私たちは自分に自信が持てなくなり、巨大な敵や危険な現実から目をそらしてしまいます。けれどもそれは、自分たちの未来も、子どもや孫の未来も、人の手にゆだねてしまうことです。

今、責任を持って生きるなら、誇りを持って生きるなら、私たちは自分で自分と愛するものを守らなければなりません。武器を持つ前に自分の意見を持ちましょう。反対意見の人とこそ、充分に話し合いましょう。それができる平和を、守りつづけましょう。

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