九条の会関係村の男たちは

映画「さくら隊散る」や演劇「紙屋町さくらホテル」などに登場する、宝塚男役出身の園井啓子という女優さんがいる。涼しげな美貌が印象的な彼女は、劇団の仲間とともに広島で被爆し、やがて原爆症を発症して苦悶のうちにこの世を去った。その様は映画「さくら隊散る」にも、凄惨に描かれている。

私がまだ幼い頃、つまり戦後まもない昭和二十年代、テレビはモノクロでチャンネルはNHK以外ほとんどなかった時期にテレビドラマでそこそこ活躍していた、園井啓介という若い男優がいた。細身細面のシャープな感じの美男で、何より目が美しく、母は彼を見るたびに「園井啓子ってきれいな女優さんが昔いたけど、何か関係がある人なのかねえ」とずっと気にしていた。
当時は週刊誌もワイドショーもなく、芸能人の個人的情報などほとんど知るすべはなく、とうとう母の気にしていたことはわからないまま、いつからか彼の姿はテレビの画面から消えていった。

その彼をテレビで見た、わりと最後の頃だった。杉村春子か誰か、何かそのあたりの大女優が母親役で、娘の恋人役が彼だった。母親は好青年である彼に好意を持つが、念のためだか何だったかで彼の身元調査をする。そして、彼の本名が「金」何とかで、彼が実は朝鮮人であったことを知って愕然とする。

私はそのドラマの内容を、あまりよく覚えていない。私自身にとって、それはそう衝撃的でもなく切実な問題でもなかったのだ。ただ覚えているのはラストに近く、さまざまに悩んだ母親が結局娘に、「あたしなら、どんな国の人でも好きだったらくよくよしないで、どこにだってついてくけどねっ!」と、ことさらに荒っぽい乱暴な言い方で励まして、娘の恋を認め、後押ししたことだ。そして、もう一つ覚えているのはラストシーンで、どこかの港で出航していく大きな船のデッキに立って、娘と彼とはテープの乱れる中、見送る母親に手を振っていた。多分、彼らは彼の故国の北朝鮮に移住しようとしていて、母親と日本に別れを告げていたのではないかと思う。

あれはいったい、昭和何年ごろのことだったのだろう?そういうドラマが作られて、放送された時代だった。あの船は、北朝鮮に理想の国を求めて帰国して行った人々の乗っていた船だったのではないかと思う。その陰にこんな話もあったかもしれない、ということで作られたドラマだったのだろう。

けれども私が、私にとってそれほど印象的でもなかったこのドラマを、今でもこれだけ覚えている理由は他にある。
美男子に弱くミーハ―だった私の母は、当時園井啓介の熱烈なファンだった。彼女はクリスチャンではないが、キリスト教の影響を強く受けて育っており、そのくせ戦争中は軍国少女で竹槍持ってアメリカ兵を殺す気でいて(本人談)、戦後はそれを反省して徹底的に左翼になった人である。その一方で武士道精神のようなストイックなところや、貴族階級っぽい誇り高さと自由奔放さがあった。これら、一見右に左にゆれているような経歴の中で、終始一貫、迷信と偏見とにはまったく無縁の人だった。それは八十六歳の今でもそうで、娘の私が時々しっぽと舌をくるくる巻いて、負けたとかぶとを脱ぐことがある。

その母が、このドラマの、たしか前後編二回にわけて放映された、その前編を見たあとだったと思うのだが、園井啓介が演じた青年が朝鮮人であったことに、明らかに強くショックを受けていた。「私はね、どんな人でもかまわないんだけど、でも、朝鮮人だけはねえ」と彼女は娘の私に言った。
母がそう言ったのは、その一度きりだった。それでも実に本心からの本音で、当惑し困惑しているのがわかった。幼い私は「ふうん」と言って、何のコメントもしなかった。母の気持ちがわかるような、わからないような気がして、何と言っていいのかわからなかった。

私の方は、母の影響を強く受けて育ったし、読書好きの子どもでもあったから、いろんな児童文学が主張している、どんな人でも差別される理由はない、人種、国籍、性別、その他で人は判断できないということを、あたりまえのように思って育った。同級生に朝鮮人の女の子は一人いたが、私は彼女が朝鮮人であることも知らなかった。特に秘密でもなかったのに、私も友人たちも、そのことを特に話題にしなかったし、また別に避けてもいなかった。
もっとも私はけっこう鈍感で、無神経な言い方で人を傷つけることがよくあったから、自分では気づかず彼女を傷つけていた可能性はある。それよりも、ひょっとしたら、彼女が朝鮮人ということを知らず、意識もしなかったそのことで、逆に彼女を傷つけていたのかもしれない。

それというのが、今思えば、母のような人でさえが「朝鮮人だけは」と、好きな俳優がその役を演じたことに対してたじろぐぐらい、私の住んでいた平凡でのどかな小さな村でも、朝鮮人を劣等な民族として一段さげすむ風潮は普通にあった。
私の祖父は中国で豊かな生活をしていたことがあって、当時の使用人だった朝鮮人の男性を、母は今でも「かわいがってもらった」と心からなつかしそうに語る。幼い姉妹だった母と叔母が、その人とたがいに抱いた愛情と信頼は決して嘘ではないだろう。その母にして「朝鮮人だけは」と言わせた状況が、たしかに当時の日本にはあった。だからこそ、おそらくは、あんなドラマも作られた。あのドラマが訴えようとした問題のターゲットは、おそらく母のような人と、それをとりまく世間だった。
今の韓国の映画やドラマ、俳優たちへの絶大な人気からはとても想像できない状況だが、それが当時の実態だった。

たとえば、さすがに幼い私には聞かせなかったが、大人になった私に母はしばしば、村のさまざまな宴会の席で、中国か朝鮮かに行った男性たちが、村を焼いたり女や子どもを殺したりした話をしていたことを話して聞かせた。「つかまえた人たちを一列に並べておいて、端から撃ってどこまで弾が通るか試した」「つかまえた親子に性交を強要し、恥ずかしがるのを面白がった」という話を聞いたと母は言った。
それを話したという村の男の人たちの名前も私は知っている。皆、ふつうの気のいいおじさんたちだった。その人たちも今は皆、死んでしまってこの世にいない。彼らがそんなことをしたのが、どこでいつかも、もう確かめることはできない。

これらの話が真実でなかった、誇張されていたという可能性はどのくらいあるのだろうか。母は今でもテレビで、アジアの人々への日本軍の残虐行為が作り話だという発言を聞くたび、「だって私は何度も聞いたもの」「○○さんたちが何度もしゃべっていたもの」と、強い口調でくり返す。母が特にサディスティックな妄想にふけったり、そういう本を読みふけったりという傾向は、長年暮らした私の見る限り、特になく、彼女が独自に頭の中でそんな話を紡ぎ出したとは考えにくい。

村の男たちはやっぱり酒の席などで、何度もそんな話をしたのだと思う。では、彼らのそんな話は事実でなくて作り話か。川で巨大な魚を釣ったの、山でクマと素手で格闘したのといったたぐいの、誇張されたいくさ話か。私も顔を思い出せる、それらの素朴なのんきな村の男たちが、実際に体験もしなかったそんな話を作り話で語るとしたら、日本民族の趣味の悪さと民度の低さは決定的だ。せめて彼らは本当にやったことを話していたのであってほしいと、かなり心から私は願う。

またおまえが、わけのわからないことを言い出してと言われそうだが、実のところ私は、彼らが本当はやってもいなかったことを、人から聞いたり適当に作ったりしてしゃべっていたのだとしたら、その方が許せない気がしてならない。
もしも村の男たちが、実際にやってもいないのに、そんな殺し方や苦しめ方をした話を公然と人前で口にしていたのなら、それはそれで中国人や朝鮮人やアジアの人々に対して、これほど失礼なことはない。

実際にやっていたって失礼なことに変わりはないだろうがと言われれば、それはまったく、その通りだ。
要するに、私が問題にしたいのは、思い出してほしいのは、覚えておいてほしいのは、知っておいてほしいのは、私が幼い頃、戦後のかなり長い時期、民主主義が花咲いて左翼が全盛だったと言われる頃でも、中国人や朝鮮人にそんなことをしたということを、酒の席で人前で平気で言える雰囲気が、私の故郷だった、ごく普通の村にはあったのだ。私の村が特別だったとは思えない。多分、日本のかなりの村で、もしかしたらほとんどの村で似たような状態はあったのではないか。

当時、中国人は私の周囲にはいなかった。けれど朝鮮人はあちこちにいた。そして私の同級生だった朝鮮人の彼女を含め、そんな雰囲気の中で暮らすことは、どんなに気分が悪かったろうと、あらためて今、私は気づく。それに気づこうとも考えようともしなかった自分の冷たさや弱さや残酷さ、愚かさも。

日本軍が中国や朝鮮やアジアでやった残虐行為が、正確にはどの程度で、どれだけ誇張されて伝わったかそうではないのか、私には今わからない。そのほとんどが捏造された作り話と主張する人たちに対し、反論する材料を厳密に言えば私は持たない。それは、広島・長崎の死者の数や、ホロコーストについても言えることだが。
ただ、そういう残虐行為をしたという話が、大っぴらにかつて自分の周囲の普通の人たちによって話されていたということは、母の証言を通してだが、かなりの確率で確信できる。
もし、その話のほとんどすべてが嘘で誇張であったのなら、ありもしないそんな話を長い期間にわたって公然と口にしつづけたことで、侮辱し辱めた人たちへの、責任はいったいどうなるのだろう。

話をもう一つついでにややこしくすると、平和教育などで、日本がひどい目にあわせた朝鮮や中国の人たちの話をわんさとして、被害を与えた人たちに謝罪することが、はたして日本に住んでいる中国人や朝鮮人の人たちにとって、快い住みやすい雰囲気を作るのかどうかも、私にはかなり疑問だ。
「ひどい目にあわせた被害者」と言われるのは、言われる側にとってうれしいとは限らない。そういう被害者に対して当然持つべき、尊敬や共感を、聞かされた人たちが抱くかどうかも怪しい。
女性へのレイプを告発し抗議する映画の大半は、女である私にとって、ただ不愉快なものでしかない。「女性は子どもを生む性だから、いたわって、大事にしましょう」といったたぐいの性教育のせりふにも、言いようのないおぞましさを感じる。
学校の先生たちの集まりで、いじめがどんなに残酷なものかを教える授業の実践報告を聞くたびに、私は「この授業を受けて、『自分はいじめられる側になりたい』と思う子どもがいるとは思えない」と批判してきた。加害者の罪を告発している気で、被害者の立場に立っている気で、実は被害者を更に汚していることもある。

いずれにせよ。
かつて、中国人や朝鮮人をなぶり殺しにしたことを、人前でいくらしゃべっても平気な時代と社会があった。
そのような行動や事実が恥ずかしいこと、許されないことという感覚が定着しはじめると、今度は、そんな事実はなかったと主張する時代が訪れ、社会が生まれた。

映画「将軍の娘」のヒロインは、レイプされたことそのものよりも、それがなかったこととして闇に葬り去られたことに決定的に傷ついた。
私もまた、自分に対して加えられた侮辱や差別に対し、平然と強く生きて滅びなかったら、そのことをもって、私に対する侮辱や差別はなかったと思われるのが、かねがね腹にすえかねている。
だから、「そんな事実はなかった」と言うことの重大さと残酷さが、自分でも情けないほど、ひしひしとよくわかる。
しかしもし、そんな事実はなかったと、それでもどうしても言うのなら、なかったはずの事実を多くの人がしゃべりまくった、しゃべることを許した、そうすることで一つの民族にいいしれぬ苦痛や恥辱や屈辱を与えつづけた、そっちの罪を充分に国をあげてつぐなえと言いたい。もちろん、私も、その罪を負う人間の一人だが。

そして、もし、そんな事実がやはりあって、この二つの罪がセットで成立するのなら、つまり、言っても安全な時は酒のさかなにしてしゃべりまくることで傷つけ、言ったら危険になった時はなかったことにして無視することで傷つけ、犯罪そのもの、犯罪の宣伝、犯罪の否定、と三重に被害者を苦しめて傷つける、これが日本の国民性か。幼女を誘拐して殺し、それをメールや写真で公表し、逮捕されたらシラをきる、最近よくあるタイプの犯人は、そう考えれば何も特殊でも異常でもない。こんな風土に生まれるべくして生まれる、最も日本人的な人間像として世界に示すのにふさわしい人物なのかもしれない。(2006.1.26.)

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