九条の会関係九月のチラシ(二つの講演会)
(近況報告もかねて、お読みください。引用、転載などはいくらでも自由になさって下さい。)
二つの講演会
土曜日、二つの講演会に行って来ました。
家の近くのコミセンであったのは、「発達障害者の可能性」についての、障害者事業所を経営する桑の実会の桑園英俊氏のお話。相模原の事件にも触れながら、障害者と私たちの間には基本的な差はないこと、ともに生きる社会の豊かな未来について心をこめて語られました。フロアからの発言で何人もの方が発達障害の子どもを持つ体験を率直に話されていて、私たちの身近にそういう悩みと取り組みながら生きている方々が、実はとても多いのを知りました。
夜は古賀市で民進党の田辺一城議員が毎日新聞の遠藤孝康記者と憲法について語り合う「記者と語る憲法の未来」という勉強会に参加しました。自民党憲法草案で「個人」という表現が消え、家族のあり方が押しつけられるなど、いくつもの大きな問題点があることが資料を用いてていねいに指摘されました。参加者には若い人も多かったです。質疑応答の中には「押しつけ憲法は変えた方がいい」という発言もあるなど、大変活発で充実したものでした。
宗像でも18日には憲法学習会を開きます。このような催しを通じて一人でも多くの方が具体的な知識を学んでいただきたいと思う一方、強い空しさといらだちを感じるのは、そもそも改憲を唱える安倍首相は、この問題を避け続け、まともな回答をせず、何一つ勉強もしていないことがあまりにも明らかだからです。考えること、話し合うことを徹底して拒否する精神、それを恥とも思わない感覚と戦うことの情けなさを、まじめに勉強するほど感じないではいられません。
その一方で、一切の情報をかくし、すべての権力を時の総理に一任し、それを永遠に続けることができる「緊急事態条項」と、政府に反対し批判する人たちを葬り去ることができる「テロ準備罪」の成立を、政府は急いでいるようです。どちらも、事実上の独裁に道を開く本当に危険な法律です。
映画「シン・ゴジラ」を見て、不安になったのは、野党は登場せず、国民はうろたえて守られる群衆としてしか描かれず、実際の緊急事態ではそういう無名の群衆の一人でしかない観客が、自分が政府や軍隊のトップであるかのような思いで画面に引きこまれてしまうことでした。会議も法律も邪魔なものでしかなく、緊急事態条項が必要と、すんなり納得してしまいそうでした。
でも現実には私たちの多くは、障害者や高齢者や子どもやペットといった、弱い足手まといのものを抱えているか、自分自身もそのひとりとして必死に生きている、名もない群衆のひとりです。まさに誰もが大切な「個人」です。そのような存在が安心して生きられる社会とは何か。私たちのすべてが、それを考え、そこに向かって歩き出すことが、今本当に、緊急に、必要になってきています。
2016.9.4
むなかた九条の会世話人代表 板坂耀子(福岡教育大学名誉教授)